第四十七章 選択
猪飼は、香蓮に、最後にもう一度、会うことにした。
これまでの調査で、猪飼は香蓮という人間の輪郭を、かなり深いところまで理解したつもりでいた。だが、彼女をどう扱うべきか――その答えだけは、まだ出せずにいた。
「懸野さんの死には、あなたの意志が、直接関わっています」猪飼は、静かに切り出した。「法的に見れば、これは殺人教唆、あるいはそれに近い罪に問われる可能性があります」
香蓮は、その言葉を、静かに受け止めた。
「わかっています」
「なぜ、逃げないんですか」
「逃げても、意味がないからです」香蓮は、まっすぐに猪飼を見た。「わたしがこの五年間、抱えてきたものは、法から逃げたところで、消えるものではありません」
猪飼は、その言葉に、香蓮の覚悟の重さを、改めて感じ取った。
「あなたの動機は、単純な復讐ではなかった」猪飼は、言葉を選びながら続けた。「懸野さんへの怒りだけでなく――あなた自身が、五年前、葉山さんを裏切ったことへの、自分自身への罰でもあった」
香蓮の表情が、わずかに揺れた。
「――その通りです」
「あなたは、懸野さんを消すことで、五年前の真実を知る人間を、一人、消そうとした。それは、正義のためというより、あなた自身の過去を、なかったことにするための行動だったんじゃないですか」
香蓮は、しばらく沈黙していた。やがて、静かに頷いた。
「猪飼さんの言う通りです。わたしは、自分の罪を、正義という言葉で、覆い隠そうとしていました」
猪飼は、その率直な告白に、かえって言葉を失った。
「それでも」香蓮は続けた。「懸野さんへの怒りが、偽物だったわけではありません。彼が葉山さんにしたことへの怒りは、本物です。ただ、その怒りの中に、わたし自身の罪悪感が、分かちがたく混ざっていた。それだけのことです」
猪飼は、香蓮の言葉を、しばらく黙って咀嚼していた。
正義と自己保身。怒りと罪悪感。それらが分かちがたく絡み合った人間の行動を、単純な善悪の物差しで測ることの難しさを、猪飼はこれまでの人生で、これほど強く感じたことはなかった。
「わたしを、どうするつもりですか」香蓮が、静かに尋ねた。「警察に、突き出しますか」
猪飼は、すぐには答えられなかった。
多湖に、香蓮の関与を伝えれば、彼女は正式に罪に問われることになるだろう。それが、法治社会における、正しい手続きであることは、猪飼にもわかっていた。
だが同時に、猪飼は、香蓮が背負ってきたものの重さを、法律の条文だけでは測りきれないと感じていた。彼女は、加害者であると同時に、このシステムに利用され、追い詰められた被害者でもあった。
「――今は、まだ決められません」猪飼は、正直に答えた。「あなたのしたことを、俺は、簡単には許せません。ですが、あなたを、単純な悪人として断罪することも、できそうにありません」
香蓮は、その答えに、小さく頷いた。
「それで、十分です。今のわたしには、それ以上を望む資格もありません」
猪飼は、香蓮の顔を、じっと見つめた。
「一つだけ、聞かせてください。もし、すべてが終わったあと、あなたはどうするつもりですか」
香蓮は、静かに、しかしはっきりとした声で答えた。
「償います。どんな形になるかは、まだわかりませんが」
その言葉に、嘘は感じられなかった。猪飼は、その答えを、ひとまず受け止めることにした。
香蓮をどう扱うべきか――その最終的な答えを、猪飼はまだ、自分の中に見出せていなかった。だが、この問いを、これから訪れる最後の局面――全記録をどう扱うかという、より大きな決断の中で、答えを出さなければならないことだけは、猪飼にはわかっていた。




