第二十七章 もう一つの市場
猪飼は、松尾あずさから聞いた話をもとに、同業の記者たちに、それとなく探りを入れ始めた。
「最近、妙に出来すぎたネタが入ってきたことはないか」
その問いに、複数の記者が、思い当たる節があると答えた。ある政治部の記者は、半年前、ある議員の不倫スキャンダルについて、匿名の情報提供者から、極めて詳細な資料を受け取ったと語った。ある経済部の記者は、企業の内部文書が、まるで最初から記事化されることを前提に整えられていたと証言した。
共通していたのは、いずれも情報の出所が特定できないこと、そして、情報の質が「事実の裏取り」よりも「読者の興味を引く構成」に最適化されていたことだった。
猪飼は、これらの断片を、一つの地図の上に並べ始めた。
――表のオークションが扱うのは、証拠として機能する、事実に基づいた情報。
――そして、もう一つの、別の場所が扱っているのは、事実であるかどうかに関わらず、世論を動かすための情報。
猪飼は、この「もう一つの場所」の存在を、もはや確信に近い形で捉えていた。
「これは、対立する二つの組織なのかもしれません」猪飼は多湖に電話で報告した。「一方は、証拠として機能する真実を売る。もう一方は、印象操作のための嘘を売る。互いに競合するか、あるいは、互いを利用し合っている」
「対立している証拠は?」
「まだありません。ただ、少なくとも、二つの異なる情報の流れが、同じ対象――今回で言えば進士柊真さん――に向けて、ほぼ同時期に動いていたことは確かです」
猪飼は、松尾に、もう一つ頼み事をした。
「もし、また同じような『出来すぎたネタ』の情報提供があったら、教えてもらえませんか。今度は、送られてきた経路を、できる限り詳しく記録しておいてほしいんです」
松尾は快諾した。ジャーナリストとしての矜持を傷つけられた彼女は、この件に、猪飼以上に執着し始めているようだった。
猪飼はその夜、この「もう一つの市場」の入り口を探すべく、香蓮に連絡を取ろうとした。だが、いつもの連絡手段では、返事が返ってこなかった。
数日後、ようやく香蓮と連絡がついたとき、猪飼は単刀直入に尋ねた。
「表のオークション以外に、もう一つ、別の場所があるんじゃないですか」
電話越しの香蓮は、しばらく沈黙していた。
「――何を根拠に、そう思われるんですか」
「根拠はいくつもあります。松尾さんという記者に届いた情報。同業者たちが受け取った、出来すぎたネタ。それらの出所を辿ると、進士さんの証拠を作り上げたのと同じ技術が使われている痕跡がある」
香蓮の声が、わずかに硬くなった。
「猪飼さん。その質問は、あまり深追いしないほうがいい」
「なぜですか」
「――それは、わたしにも、うまく説明できません」
その返答は、これまでの香蓮の態度の中でも、特に不自然なものだった。単なる規約による拒否ではなく、彼女自身が、何かを恐れているような響きがあった。
猪飼は、その恐れの正体を突き止めることこそが、この事件の核心に近づく道だと確信した。
真実を売る市場と、嘘を売る市場。
もしその両方が、同じ人間たちによって運営されているのだとすれば――このシステムの本当の恐ろしさは、猪飼がこれまで想像していたよりも、はるかに大きなものになる。




