第二十五章 松尾あずさ
進士柊真の名前が、初めて週刊誌の誌面に載ったのは、懸野の死からわずか五日後のことだった。
猪飼はその記事を、何度も読み返していた。「大手企業幹部、議員変死に関与か」という見出しの下、進士と懸野の金銭トラブル、離婚訴訟の記録、そして事件当夜の目撃情報らしきものまでが、驚くほど詳細に書き込まれていた。
――多湖たちの捜査資料と、ほとんど一致している。
猪飼は記事の署名を確認した。「松尾あずさ」という名前がそこにあった。
猪飼は古巣の人脈を頼り、松尾あずさという記者について調べた。中堅週刊誌の記者で、企業スキャンダルを専門に扱っている。決して無名ではないが、これほどの独自ネタを、これほど早く出せるほどの太いパイプを持っているという評判は、これまで聞いたことがなかった。
猪飼は思い切って、松尾に直接連絡を取ることにした。同業者――かつての同業者――としての立場を使い、取材協力という名目で接触を試みた。
松尾は、意外なほどあっさりと会うことに応じた。都心のカフェで顔を合わせると、彼女は開口一番、こう言った。
「猪飼さん、お名前は存じています。五年前の一件、業界では有名でしたから」
その一言に、猪飼は苦笑するしかなかった。
「今日は、進士柊真さんの記事について、お伺いしたいことがあります」
「情報源は明かせません。それが原則ですから」
「わかっています。ただ――」猪飼は言葉を選びながら続けた。「あの記事の情報は、あまりにも早く、あまりにも詳細でした。ご自身で、違和感を覚えたことはありませんか」
松尾の表情が、わずかに強張った。
「――どういう意味ですか」
「情報提供者は、匿名だったんですよね」
「ええ。メールで、資料が送られてきました。裏取りはもちろんしましたが、内容はすべて事実でした」
「その情報提供者と、これまでにやり取りをしたことは?」
松尾は少し考えてから、答えた。
「今回が初めてでした。ただ――正直に言うと、あまりにも準備が整いすぎていて、逆に不気味だったんです。普通、内部告発やタレコミというのは、もっと荒削りなものです。今回のは、まるで最初から記事になることを想定して組み立てられていたような、そんな印象を受けました」
猪飼の中で、点と点が繋がった。
「その情報源からの資料に、何か特徴的な部分はありましたか。文体とか、送られてきた時間帯とか」
松尾は少し記憶を辿るように、視線を宙に向けた。
「そういえば――資料の中に、明らかに事件とは無関係な、進士さんの離婚訴訟の記録が、妙に詳しく含まれていました。編集の過程で、その部分はほとんど使いませんでしたが」
猪飼の脳裏に、眞弓が組み上げたであろう、あの断片的なデータパッケージの存在が浮かんだ。証拠として警察に流れたものと、松尾のもとに届いた記事用の資料――出所は、おそらく同じだった。
「松尾さん。これは、俺の推測に過ぎませんが」猪飼は慎重に切り出した。「あなたが受け取った情報は、警察に流れた証拠とは、また別のルートから来たものかもしれません」
「別のルート、というのは」
「もしかしたら、真実を伝えるためではなく――世論を、意図的に動かすために設計された情報だったのかもしれません」
松尾は、しばらく無言で猪飼を見つめていた。やがて、低い声で言った。
「猪飼さん。それが本当なら、わたしは知らないうちに、誰かの道具に使われていたということになります」
「その可能性は、否定できません」
松尾の表情に、初めて明確な動揺が浮かんだ。ジャーナリストとしての矜持が、静かに揺らいでいるのが見て取れた。
「もし、その通りだとしたら――わたしにも、協力させてください」
猪飼は、思いがけない申し出に、一瞬戸惑った。だが、松尾の目には、単なる好奇心ではない、職業的な怒りに似た光が宿っていた。
こうして猪飼の周りに、もう一人、協力者が加わることになった。




