第十四章 進士柊真
多湖は最後まで、猪飼の話を遮らなかった。話し終えたあと、しばらく沈黙が続いた。
「信じてくれとは言いません」猪飼は言った。「ただ、進士さんに関する証拠が、事件前から集められていた可能性があるとすれば、その出所を辿る価値はあると思います」
「わたしが正規の捜査でその場所に踏み込むことはできません」多湖は静かに首を振った。「証拠能力もない、実在すら確認できない話です」
「わかっています。だから、俺が個人的に動きます」
多湖はしばらく猪飼を見つめていたが、やがて小さく頷いた。
「進士柊真本人に会ってみるつもりですか」
「本人の言い分を、直接聞いてみたいんです」
数日後、猪飼は進士の勤務先である企業の本社近くで、彼が退社するタイミングを待った。すでに進士は、警察の任意聴取を複数回受けていると聞いていた。マスコミの一部にも、彼の名前が漏れ始めているという噂もあった。
夕刻、進士がビルから出てきた。憔悴した表情で、周囲を気にするように何度も視線を巡らせている。猪飼はタイミングを見て、声をかけた。
「進士さん、少しお話をうかがえませんか」
進士は猪飼を見た瞬間、明らかに顔色を変えた。
「マスコミの方ですか。何も話すことはありません」
「元記者です。今はフリーで動いています。あなたに不利な証拠が、実は事件前から不自然な形で集められていた可能性について、調べています」
その言葉に、進士の表情が一瞬揺れた。だが、それは猪飼が期待したような、安堵の色ではなかった。むしろ、追い詰められた獣のような警戒だった。
「――誰の差し金ですか、あなたは」
「差し金というのは」
「もういい」
進士は猪飼の言葉を最後まで聞かず、足早に歩き去っていった。猪飼は後を追おうとしたが、進士は途中でタクシーを拾い、そのまま走り去ってしまった。
猪飼はその後ろ姿を見送りながら、苦い思いを噛みしめた。進士の反応は、無実の人間の反応というより、何かに怯えている人間の反応に見えた。そしてその怯えは、猪飼にとってさらに不都合なことに、傍から見れば「疚しいことがあるから逃げた」という印象を強めてしまう。
翌日、進士が突然、海外への渡航予約を入れていたという情報が、多湖経由で猪飼のもとに届いた。
「本人は、以前から決まっていた出張だと主張しているようです。ですが、このタイミングでは――」
多湖の声には、隠しきれない苦さがあった。進士の行動一つ一つが、意図とは無関係に、彼をますます不利な立場へと追い込んでいく。まるで、無実を証明しようとすればするほど、逆の方向へ引きずられていくような、奇妙な力学がそこにはあった。
その夜、猪飼は一人、自室で今回の事件を整理し直した。
証拠は事件前から集められていた。懸野は、事件の数日前に「ある人物の身辺調査記録」を落札していた。オークションでは「近く生じる変化についての情報」までもが出品されていた。
そして、次のオークションでは――稲本が漏らしていたある噂を、猪飼はふと思い出した。次回の出品予定リストに、まだ公表されていない番号があるという話だった。
猪飼は自問した。
これは、すでに起きた殺人の証拠を、誰かが後から売りに出したのか。
それとも――。
殺人そのものが、最初から出品されていたのか。
その問いの重みに、猪飼はしばらく、身動きが取れなかった。




