第八話 私、このままで、いいんでしょうか?
第八話 私、このままで、いいんでしょうか?
「私、このままでいいんでしょうか?」
女は、椅子に座るなり、そう言った。
二十代の終わりくらいだろうか。髪はきちんと整えられ、服装にも隙がない。膝の上に置いたバッグまで、きれいに形を保っていた。
ババアは、女の顔を見た。
「どのままだい」
「え?」
「このままって、どのままだって聞いてんだよ」
女は困ったように笑った。
「仕事も、それなりに順調です。生活にも困っていません。友達もいますし、両親とも仲は悪くありません」
「へえ。いいことずくめじゃないか」
「そうなんです。でも……」
「でも?」
「何かが違う気がするんです」
ババアは、料金を受け取った。
「違うって、何が」
「それがわからないから、占ってほしいんです」
「占えばわかるのかい」
「先生は占い師でしょう?」
「そうだよ」
「だったら……」
「だったら、何だい」
女は口を閉じた。
ババアは、水晶玉を机の中央に置いた。
「仕事は嫌いかい」
「いいえ。嫌いではありません」
「辞めたいのかい」
「いいえ。そこまででは……」
「恋人は?」
「いません」
「欲しいのかい」
「それも、よくわかりません」
「結婚は?」
「いつかは、できたらいいなと思います」
「子供は?」
「……わかりません」
ババアは女を見た。
「ずいぶん、わからないことが多いねえ」
女は、少しむっとした。
「だから、相談に来たんです」
「そうだったね」
ババアはあっさりとうなずいた。
女は拍子抜けしたようだった。
「先生は、私の将来がどうなるか、わからないんですか」
「わかるわけないだろ」
「……」
「明日の天気だって外れるんだよ。あんたの十年後が、そう簡単にわかってたまるかい」
女は、思わず笑った。
「でも、何か、指針が欲しいんです」
「指針ねえ」
ババアは、腕を組んだ。
「あんた、今まで何かを決めるとき、どうしてたんだい」
「よく考えて、決めてきました」
「自分で?」
「もちろんです」
「本当に?」
女の笑顔が消えた。
「……どういう意味ですか」
「大学は、誰が決めたんだい」
「自分です」
「就職先は?」
「自分で選びました」
「今の仕事は?」
「自分で決めました」
「じゃあ、何が不満なんだい」
女は、膝の上で両手を組み直した。
「不満があるわけではないんです」
「そうかい」
「ただ……」
ババアは黙っていた。
女は、窓の外を見た。
「何かを決めるたびに、親に相談していました。友達にも聞きました。先生にも相談しました。みんな、親身になってくれたんです」
「そりゃ、よかったね」
「はい。だから、私は間違えずに済んだんだと思います」
「間違えずにねえ」
ババアは、女の言葉を繰り返した。
「じゃあ、あんたは今まで、間違えたことがないのかい」
「……大きな失敗は、ありません」
「失敗しなかったのと、自分で決めたのは、同じことかい」
女は、すぐには答えなかった。
店の外で、誰かが笑っていた。
「私は、失敗するのが怖いんだと思います」
女は、ようやくそう言った。
「失敗したら、今までの選択が全部、間違いだったような気がして」
「へえ」
「だから、誰かに相談して、納得してから決めるんです。そうすれば、少なくとも、自分ひとりの責任じゃないような気がして」
そこまで話して、女ははっとしたように顔を上げた。
「……私、ずるいですね」
「何が」
「自分で決めたと言いながら、本当は誰かに責任を分けてもらおうとしていたんです」
ババアは、鼻を鳴らした。
「人間なんて、そんなもんだよ」
「先生も、そうなんですか?」
「当たり前だろ。あたしを何だと思ってるんだい」
女は笑った。
今度の笑いは、さっきよりも自然だった。
「じゃあ、私は、これからどうすればいいんでしょう」
「また、それかい」
「……はい」
「何でも自分で決めりゃいいってもんでもないよ。人に相談するのが悪いわけでもない」
女は、黙って聞いていた。
「ただね、相談した相手が、あんたの代わりに生きてくれるわけじゃない」
「……そうですね」
「失敗したら、そんとき考えりゃいいじゃないか。失敗する前から、失敗した後のことばかり考えて、何が楽しいんだい」
女は、しばらく考えていた。
「先生。私、来月、ひとりで旅行に行こうと思っているんです」
「ほう」
「前から行きたかった場所があるんです。でも、ひとりで行くのは不安で。友達を誘おうか、家族と行こうか、ずっと迷っていました」
「それで?」
「……ひとりで行ってみます」
ババアは、目を細めた。
「旅行くらいで、ずいぶん大げさだねえ」
「そうですね」
女は笑った。
「でも、私にとっては、大きな一歩なんです」
「そうかい」
女は立ち上がった。
「ありがとうございました」
「まだ何も決まってないよ」
「はい。でも、ひとつ決まりました」
女は、料金を払って店を出ていった。
ババアは、しばらく閉まった戸を見ていた。
「ひとり旅ねえ」
そう呟いて、机の引き出しを開けた。
奥には、古い写真がしまってある。
ババアは写真を取り出しかけて、やめた。
「……あたしだって、昔はね」
誰に聞かせるでもなく、呟いた。
それから写真には触れず、引き出しを閉めた。
「さて、次は誰だい」
内幸町の占い師は、今日も未来を占わなかった。




