第七話 身勝手な依頼人
第七話 身勝手な依頼人
「先生、ちょっと聞いてくださいよ」
男は、座るなりそう言った。
四十代。高そうな腕時計に、よく磨かれた革靴。ネクタイは少し派手だが、身なりには気を遣っているらしい。
「聞くのはいいけど、金を払ってからにしな」
「はいはい」
男は財布から札を取り出し、机に置いた。
「実は、会社で揉めてましてね」
「会社ねえ」
「部下がいるんですが、これがどうしようもない。何度言っても同じミスをする。注意すれば、パワハラだなんだと言い出す。最近じゃ、私が悪者ですよ」
ババアは札を引き寄せた。
「そりゃ、大変だね」
「でしょう?」
男の顔が明るくなった。
「いやあ、わかってくれる人がいてよかった。最近は、何でもかんでも上司の責任にされる。昔はこんなことなかったんですがね」
「昔はねえ」
「そうなんですよ。私なんか、上司に怒鳴られて育ったようなもんです。それでも仕事を覚えた。今の若い連中は、ちょっと注意しただけで傷ついたとか言い出す」
ババアは、頬杖をついた。
「それで?」
「それでって?」
「あんた、何を占ってほしいんだい」
男は一瞬、きょとんとした。
「ああ、そうでした。私の今後の運勢です。今の部下と、うまくやっていけるでしょうか」
「うまくやりたいのかい」
「そりゃ、そうですよ」
「部下が変われば、うまくいくのかい」
「もちろんです。あいつが、もう少しまともなら」
「へえ」
ババアは水晶玉を手に取った。
「じゃあ、あんたは何も変わらなくていいんだね」
男は笑った。
「先生、そりゃそうでしょう。私は、ちゃんと仕事をしているんですから」
「そうかい」
ババアは水晶玉を机に戻した。
「じゃあ、占いは終わりだ」
「えっ?」
「部下が悪い。あんたは正しい。これでいいんだろ?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「そういうわけだろ。あんた、さっきから自分の話しかしてないじゃないか」
男の顔から笑みが消えた。
「私は、相談に来たんですよ」
「そうだねえ」
「なのに、先生は私の話を聞いてくれないんですか」
「聞いてるよ。ずっと聞いてるじゃないか」
「だったら、何か助言を……」
「助言ねえ」
ババアは男をじっと見た。
「何を言ってほしいんだい」
「何をって……」
「部下が悪いって言ってほしいのかい。あんたは間違ってないって、保証してほしいのかい」
男は、口を開いた。
けれど、すぐには声が出なかった。
「……そんなことは」
「違うのかい」
「私は、ただ、仕事をきちんとしたいだけです」
「そりゃ、結構なことだ」
ババアは、あっさりとうなずいた。
「仕事ができるようになってほしい。部下にも成長してほしい。あんた自身も、きちんと評価されたい。そういうことかい」
男は、少し驚いたようにババアを見た。
「……そうです」
「最初から、そう言やいいじゃないか」
「でも、あいつが変わらなければ……」
「また、それかい」
男は黙った。
ババアは、机の上の小さな時計を見た。
「時間だよ」
「えっ、まだ何も……」
「何も決まってないねえ」
「五千円も払ったんですよ!」
「知ってるよ。あたしが受け取ったんだから」
男は、唇を噛んだ。
「先生は、相談者に寄り添う気がないんですか」
「寄り添う?」
ババアは、鼻で笑った。
「そんなに寄り添ってほしけりゃ、女房の隣にでも座ってな」
「……」
「ただね」
男が顔を上げた。
「部下が変わらなきゃ、何も変わらないってんなら、あんたがここに来た意味はないねえ」
男は、しばらくババアを見つめていた。
「……私に、何かできることがあると?」
「さあね」
「先生!」
「自分で考えな。あんた、仕事じゃ部下に考えろって言ってるんだろ?」
男は、返す言葉を失った。
やがて、椅子から立ち上がった。
「……もういいです」
「そうかい」
男は財布をしまい、戸口へ向かった。
扉に手をかけたところで、振り返った。
「先生。私が間違っていると思いますか」
ババアは、机の上の水晶玉を眺めた。
「知らないよ」
男は、今度こそ何も言わずに出ていった。
鈴の音が、店の中に残った。
ババアは、五千円札を引き出しにしまった。
「まったく。自分の答えが決まってるんなら、占いなんか来るんじゃないよ」
そう言ってから、少しだけ黙った。
男が間違っていたのかどうか。
そんなことは、ババアにもわからない。
ただ、あの男は、誰かに話を聞いてほしかったのだろう。
いや。
話を聞いてほしかったのか。
それとも、自分の言い分を認めてほしかったのか。
「……どっちでもいいか」
ババアは、次の客を待った。
内幸町の占い師は、今日も答えを出さない。




