第二十七話 街の再開発 【前編】
商店街の会館に、いつもより多くの人が集まっていた。
商店街振興会の臨時総会である。
古くからこの町で商売を続けている店主たちに加え、最近になって店を構えた若い経営者の姿もあった。
会館の前方には、見慣れないスーツ姿の男が二人座っていた。
再開発を担当するデベロッパーの社員だった。
定刻になると、商店街振興会の会長が立ち上がった。
「本日はお忙しいところ、お集まりいただきありがとうございます。今日は、この地域の再開発計画について、事業者の方から説明を受けることになっています」
会長はそう言って、前方の男に視線を向けた。
「それでは、お願いします」
男が立ち上がり、深く頭を下げた。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます。私どもは、こちらの地域の再開発事業を担当しております」
男はスクリーンに資料を映し出した。
そこには、現在の商店街の航空写真と、再開発後の完成予想図が並んでいた。
「今回の計画では、老朽化した建物の更新を行い、耐震性や防災性の向上を図るとともに、地域の利便性を高めることを目的としております」
スクリーンには、ガラス張りの高層建築物が映し出された。
低層階には商業施設、上層階には住宅やオフィスが配置されている。
広い歩道、植栽、整然と並んだ街路灯。
どこかで見たことのあるような街並みだった。
「こちらが完成後のイメージです。商業施設については、現在の商店街の皆様にも、可能な限りご入居いただけるよう検討してまいります」
男は説明を続けた。
事業の予定期間、建物の解体、権利関係、補償、仮店舗への移転。
専門用語が次々と並んだ。
会館の中は静かだった。
誰もが資料に目を落とし、説明を聞いていた。
やがて、質疑応答の時間になった。
最初に手を挙げたのは、古くからこの町で八百屋を営んでいる店主だった。
「ちょっと、いいですか」
「はい、どうぞ」
「うちは、もう三代続いてるんですよ。今の店を取り壊して、新しいビルに入れって言われても、そんな簡単な話じゃないでしょう」
担当者はうなずいた。
「もちろん、個別の事情については、今後、丁寧に協議させていただきます」
「その丁寧にっていうのが、よく分からないんだよ。店を休んでいる間、商売はどうするんですか」
「仮店舗の設置なども含め、検討してまいります」
今度は、商店街の奥で喫茶店を営む女性が手を挙げた。
「うちは夫婦二人でやっている小さな店です。新しいビルに入ったら、家賃はどうなるんでしょうか」
「賃料については、現時点では確定しておりません」
「それじゃ、入れるかどうかも分からないじゃないですか」
女性の声には、困惑がにじんでいた。
隣に座っていた時計店の主人が口を開いた。
「うちは、店の奥に修理の作業場があるんです。新しいビルのテナントじゃ、同じようにはいかないでしょう」
「そうですね。各店舗の営業形態については、個別に確認させていただきます」
説明する側も、すぐに答えられないことが多いようだった。
商店主たちの不安は、簡単には収まらない。
再開発によって、町が新しくなる。
それ自体は、悪いことではないのかもしれない。
建物は古くなっている。地震や火災への備えも必要だろう。
けれど、そこに住み、そこで商売をしてきた人々にとって、話はそれだけではなかった。
「ちょっと、いいですか」
今度は、商店街で長く商売を続けている男性が立ち上がった。
「この商店街には、昔からの店がたくさんあります。建物は古いけど、それぞれの店に歴史があるんです」
男は、スクリーンに映し出された完成予想図を見た。
「新しいビルになって、今と同じように商売ができると言われても、私は違うと思うんですよ」
担当者が男のほうを向いた。
「と申しますと?」
「柱も天井も床も、全部なくなるでしょう。店の間取りも変わる。隣の店との距離も変わる。何十年も使ってきた道具だって、そのまま持っていけるとは限らない」
男は少し間を置いた。
「それに、商店街というのは、店が一軒ずつ集まってできているだけじゃないんです。店同士の付き合いもあるし、お客さんとの関係もある。毎日顔を合わせている人たちがいるんです」
会館の中で、何人かがうなずいた。
「新しいビルに同じ屋号を掲げたって、同じ町にはならないでしょう」
担当者は、すぐには答えなかった。
「ご指摘の点は、私どもも重要な課題として受け止めております」
「受け止める、ですか」
男は苦笑した。
「私たちは、この町で暮らしてきたんです。新しい町の完成予想図を見せられても、そこに私たちの記憶は描かれていませんよ」
その言葉に、会館の空気が少し変わった。
渡部誠一は、黙って話を聞いていた。
六十九歳。
創業九十五年のとんかつ店「勝成」の三代目店主である。
彼の店も、この再開発計画の対象区域に入っていた。
勝成は、誠一の祖父の代から続いている。
店の柱には、長年の油煙で少し色がついている。天井には、何度も塗り直した跡がある。床には、毎日掃除をしても消えない小さな傷が残っていた。
客席の配置も、厨房の使い勝手も、長い年月をかけて今の形になった。
そこには、父親から受け継いだものもあれば、誠一自身が工夫して変えてきたものもある。
常連客の顔も、何人も思い浮かぶ。
子どもの頃に親に連れられてきた客が、今では自分の子どもを連れてやって来る。
そんな光景も珍しくなかった。
誠一は、スクリーンの完成予想図を見つめた。
きれいな建物だった。
広い通路があり、明るい照明があり、商業施設には新しい店が並ぶ。
けれど、そこに勝成の姿はなかった。
いや、同じ場所に店を出すことはできるのかもしれない。
看板を掲げ、同じとんかつを揚げることもできるだろう。
しかし、それは今の勝成とは違う。
建物がなくなれば、店もなくなる。
九十五年続いた場所は、もう戻ってこない。
会合が終わりに近づいた頃、誠一はようやく手を挙げた。
「ひとつ、聞かせてください」
担当者がこちらを向いた。
「はい」
「再開発が終わったあと、この商店街にあった店の記録や写真は、残してもらえるんでしょうか」
「記録ですか?」
「ええ。昔の商店街の写真や、店の看板、建物の様子。そういうものです」
担当者は少し考えた。
「地域の記録保存については、今後の検討事項として、関係者の皆様と協議させていただきたいと思います」
「そうですか」
誠一は、それ以上は何も言わなかった。
会合が終わり、商店主たちが少しずつ席を立ち始めた。
あちこちで、これからどうするのかという話が始まっていた。
店を続けたい者もいる。
再開発後のビルへの入居を考える者もいる。
もう年だから、この機会に店を閉めようかと話す者もいた。
それぞれの事情がある。
誰か一人の考えで決められることではなかった。
誠一は、会館の外に出た。
見慣れた商店街が広がっていた。
八百屋の店先には野菜が並び、喫茶店の窓からは明かりが漏れている。向かいの時計店では、主人がいつものように店先を掃除していた。
どこにでもあるような、古い商店街。
けれど、誠一にとっては、どこにもない町だった。
再開発が終われば、新しい建物ができる。
新しい店が入り、新しい人々が暮らし始める。
便利で、きれいな町になるのだろう。
それでも。
壊してしまった街の記憶は、取り戻せない。
誠一は、ゆっくりと歩き出した。
明日も、勝成の暖簾を出す。
今の店で、とんかつを揚げる。
それが、今の自分にできることだった。




