第二十三話 ポンペイの指輪―アンタ、呪いに責任を押しつける気かい 改訂版
第二十三話 ポンペイの指輪―アンタ、呪いに責任を押しつける気かい?
「先生、呪われた指輪って、あるんでしょうか」
内幸町の占いの店に現れたのは、四十五歳の女性だった。
BALENCIAGAのバッグに、耳元にはBVLGARIのイヤリング。
身なりには、それなりに気を遣っているらしい。
女性はバッグから、小さな布袋を取り出した。
中に入っていたのは、金色の指輪だった。中央には赤黒い石がはめ込まれている。古びた色合いを出そうとしているのか、金属の表面には細かな傷がついていた。
「イタリア旅行で買ったんです。ポンペイのお店で。三万円くらいでした」
「三万円?」
占いババアは、指輪を手に取らず、目だけで眺めた。
「それで、呪われたって?」
「そうなんです。買ったあとから、おかしなことばかり起こるんです」
「ちょっと待ちな。三万円の指輪を買ったことと、呪われたことの間に、何か証拠でもあるのかい?」
「古代ローマ時代のものかもしれないって、お店の人が言っていたんです」
「かもしれない、ねえ」
ババアは、わかば・シガーを灰皿に置いた。
「鑑定書は?」
「ありません」
「年代を示す資料は?」
「ありません」
「じゃあ、古代ローマ時代のものだと証明できるものは、何もないんだね」
女性は、少し不満そうな顔をした。
「でも、雰囲気があったんです。ポンペイで買ったものですし」
「雰囲気ねえ。アンタ、ずいぶん高級なバッグを持っているじゃないか。耳にはブルガリ。三万円の指輪くらい、アンタにとっちゃ大した買い物でもないんだろう?」
「ええ、まあ……」
「だったら、どうしてそんなに指輪にこだわるんだい?」
女性は、急に口を閉ざした。
「高校生の息子が、急に反抗的になったんです。口もきいてくれないし、何を考えているのか分からなくて。それに、夫の浮気まで分かったんです」
「ほう」
「指輪を買ってから、立て続けに起きたんです。ポンペイって、火山で滅びた街でしょう? 何か、そういう……怨念みたいなものが、指輪についていたんじゃないかって」
「アンタねえ」
ババアは、女性の顔をまっすぐ見た。
「三万円の指輪に、家族の不始末まで背負わせる気かい?」
女性は、顔を赤くした。
「そんなつもりじゃ……」
「息子が反抗期になったのは、指輪のせいかい? 夫が浮気したのも、指輪が命令したのかい?」
「それは……」
「夫が浮気したんなら、浮気したのは夫だよ。指輪じゃない。息子のことだって、何があったのか、話も聞かずに呪いのせいにしちゃいけないね」
女性は、膝の上で手を組んだ。
「でも、時期があまりにも重なっていて」
「人間ってのは、嫌なことが重なると、ひとつの原因を探したくなるもんさ。原因がひとつなら、そいつを取り除けば、全部元どおりになる気がするからね」
「指輪を手放せば、元に戻るんでしょうか」
「そんな保証ができる占い師がいたら、あたしに紹介しておくれ。ずいぶん商売上手だろうからね」
女性は、思わず小さく笑った。
ババアは、机の上に置かれた筮竹に手を伸ばした。
「さあ、占ってみようか。指輪が呪われているか、じゃないよ。アンタが、いま何を見なきゃいけないのかをね」
卦は、山火賁。
三爻が変じ、山雷頤となった。
ババアは爻辞を確かめ、ゆっくりと口を開いた。
「賁は飾る、装う、見た目を整える。きれいなものには、つい中身まで立派だと思いたくなる。けれど、見た目と中身は別物さ」
女性は、布袋の上から指輪を見つめた。
「この指輪も、そうなんでしょうか」
「さあね。専門家に見せなきゃ、古いものかどうかも、値段に見合うものかどうかも分からない。あたしは鑑定士じゃないからね」
「……偽物かもしれないんですね」
「かもしれない。けど、偽物だと決めつける材料も、いまのところない」
ババアは、指を一本立てた。
「ただし、ひとつ確かなことがある」
「何でしょう」
「指輪が本物だろうが偽物だろうが、夫の浮気の責任は夫にある。そこを間違えちゃいけない」
女性は黙っていた。
「それから、息子のこと。反抗的になった理由を、ちゃんと聞いてみな。アンタが思っている理由と、本人が抱えているものが同じとは限らないからね」
「でも、どう話せばいいのか……」
「占いで、親子の会話まで代わりにやってやることはできないよ」
ババアは、にべもなく言った。
「まずは、責めずに聞くことさ。夫のことは夫のこととして、別に考えな。全部まとめて、呪いのせいにするんじゃない」
女性は、しばらく考えてから、指輪を布袋にしまった。
「鑑定してもらうかどうかは、帰ってから考えます」
「そうしな。三万円が惜しいなら、なおさらね」
「先生って、本当に容赦がないですね」
「今ごろ気づいたのかい?」
女性は、バレンシアガのバッグを肩にかけ、店を出ていった。
扉が閉まる。
ババアは、わかば・シガーを手に取ろうとして、ふと動きを止めた。
「……ポンペイか」
引き出しを開ける。
奥に、小さな箱があった。
ババアはその箱に触れかけ、手を引っ込めた。
そして、何事もなかったかのように引き出しを閉めた。
「……余計なことを思い出させるんじゃないよ」
誰に向けた言葉なのか。
店の中には、答える者はいなかった。




