↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
占いババアの算段/The Old Fortune Teller of Uchisaiwaicho is Way Too Sharp-Tongued! (内幸町の占いババア、毒舌すぎる件!)  作者: 八卦六十四郎(はっけ・ろくじゅうしろう)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/31

第十九話「急いで、辞めるんじゃないよ」改訂版

今回は、いつもと少し違います。


内幸町の占いババアが、ちゃんと占いをします。


使うのは、中国で生まれた古典『易経(えききょう)』に基づく、易占いです。


易では、自然界の働きを

「天・沢・火・雷・風・水・山・地」

の八つの象徴で表します。

これを「八卦(はっか)」と呼びます。


八卦を上下に組み合わせると、六十四通りの卦が生まれます。これが「六十四卦(ろくじゅうよんか)」です。それぞれの卦には、異なる意味や象徴があります。


易占いでは、硬貨などを使って卦を立て、その意味を読み解きながら、相談者の状況や今後の進み方を考えます。


【易経の基本】

・八卦は、天・沢・火・雷・風・水・山・地を象徴する八つの卦。

・六十四卦は、八卦を上下に組み合わせたもの。

・風山漸は、物事が順序を踏みながら、少しずつ進むことを象徴する卦。


未来を何でも言い当てる魔法ではありません。


さて、今回、ババアが立てた卦は「風山漸(ふうざんぜん)」。


いったい、どんな占いになるのでしょうか。

第十九話「急いで、辞めるんじゃないよ」


「先生、会社を辞めたほうが、いいんでしょうか」


内幸町の占いババアの店に、三十代半ばの男がやって来た。


紺色のスーツに、よく磨かれた革靴。ネクタイは少し緩んでいる。


男は椅子に腰を下ろすと、ため息をついた。


「仕事が嫌いなのかい?」


「いえ。嫌いというわけではありません」


「給料が安いのかい?」


「いえ。生活には困っていません」


「上司が嫌いかい?」


「そういうわけでも……」


「じゃあ、何が不満なんだい?」


男は口を閉じた。


ババアは水晶玉を布で拭いた。


もちろん、ガラス玉である。


「会社の将来が、少し不安なんです。業績も以前ほどよくありませんし、業界全体も厳しくなっています。今のうちに転職したほうがいいのか。それとも、ここで頑張ったほうがいいのか……」


「転職先はあるのかい?」


「まだ、ありません」


「辞めたら、何をするんだい?」


「それも、決まっていません」


「なんだい。辞める先も決めずに、辞めるかどうかを占いに来たのかい」


「だから、占っていただきたいんです」


男は、少しむっとした。


ババアは気にしなかった。


「五千円だよ」


男は財布から五千円札を出し、テーブルに置いた。


ババアはそれを引き出しにしまうと、今度は別の引き出しを開けた。


中から、小さな布袋を取り出す。


「先生、それは?」


「占いの道具だよ」


袋の中には、硬貨が三枚入っていた。


「水晶玉で占うんじゃないんですか?」


「これはガラスだよ。前にも言ったろうが」


「じゃあ、何のために置いてあるんですか?」


「雰囲気だよ。あんた、何度同じことを聞くんだい」


男は黙った。


ババアは三枚の硬貨をテーブルに置いた。


「今日は、易で占ってやるよ」


「易?」


「易経って知らないのかい」


「名前くらいは……」


「名前を知ってるだけじゃ、知らないのと大して変わらないねえ」


ババアは、硬貨を手のひらに包んだ。


「いいかい。易経ってのはね、昔から伝わる、物事の変化を読み解くための考え方だよ。未来をなんでも当てる魔法じゃない」


「はい」


「自然の働きを、八つの象徴で表す。それが八卦だ」


ババアは、指を一本ずつ折っていった。


「天、沢、火、雷、風、水、山、地。八つだよ」


「それを、どうするんですか?」


「八卦を上下に重ねるんだ。上と下の組み合わせで、六十四通りになる。それが六十四卦ってもんさ」


男は、少し考えた。


「六十四通りもあるんですか」


「世の中の悩みが、六十四種類しかないと思ってるのかい?」


「いえ、そういう意味では……」


「だったら、黙って聞きな」


ババアは硬貨を三枚、両手で包んだ。


「これから硬貨を投げて、一本ずつ線を作る。六回やれば、六本の線ができる。下から順に積み上げて、ひとつの卦にするんだよ」


「線ですか?」


「切れ目のない線が陽。真ん中が切れている線が陰。陽と陰を組み合わせて、卦を作るんだ」


ババアは紙に、一本の線と、真ん中が切れた線を書いた。


「難しく考えるんじゃないよ。まずは、出たものを見るんだ」


硬貨を三枚、手の中で転がす。


男は、じっと見ていた。


一度目。


ババアは硬貨を確かめ、紙に切れ目のある線を書いた。


二度目も、切れ目のある線。


三度目は、切れ目のない線。


四度目は、切れ目のある線。


五度目は、切れ目のない線。


六度目も、切れ目のない線だった。


ババアは、下から順に六本の線を並べた。


「これで、卦ができたよ」


男は紙をのぞき込んだ。


「……これが、私の占いの結果ですか?」


「そうだよ」


「この線に、何か意味があるんですか?」


「あるから、占いになるんだろうが」


ババアは、紙の上半分を指で示した。


「下の三本が、山を表す艮。上の三本が、風を表す巽。下が山で、上が風。これを風山漸という」


「ふうざん……ぜん?」


「風山漸。六十四卦の五十三番目だよ」


男は、聞き慣れない名前を口の中で繰り返した。


「それは、どういう意味なんでしょう?」


ババアは、少しだけ顔を上げた。


「漸って字はね、少しずつ進むって意味があるんだよ」


「少しずつ……」


「山の上に木が生える。木は、一晩で大きくなるわけじゃない。根を張って、枝を伸ばして、時間をかけて育つ。風山漸は、そういう姿を表す卦なんだ」


男は、紙を見つめた。


「でも、私は会社を辞めるかどうかを知りたいんです」


「聞いてたよ」


「辞めてもいいんでしょうか。それとも、辞めないほうがいいんでしょうか」


「せっかちな男だねえ。六本の線を作るのに、六回も硬貨を投げたんだよ。少しは待ちな」


男は口を閉じた。


ババアは、紙の脇に置いてあった古い本を開いた。


「風山漸の卦辞には、こうある」


ババアは、ゆっくりと読んだ。


「『漸は、女の帰ぐに吉なり。貞しきに利ろし』」


「……女の、何ですって?」


「女が嫁ぐのに吉、という意味だよ。昔の言葉だからね。今の仕事の悩みに、そのまま当てはめるわけにはいかない」


「では、私には関係がないんでしょうか?」


「そう決めつけるのも早いねえ」


ババアは本を閉じた。


「昔の結婚は、本人だけの気持ちで、明日から始めますってわけにはいかなかった。家と家の話もある。順序もある。準備もいる。そうやって、段階を踏んで進むことが大事だと読めるんだよ」


「順序を踏む……」


「そう。卦の名前も、山の上に木が育つ姿も、そこにつながる。急いで結論を出すんじゃなく、順序を踏んで進む。これが、この卦を読むときの大事なところさ」


男は、しばらく考えていた。


「つまり、会社を辞めるなということですか?」


「誰がそんなことを言ったんだい」


「でも、少しずつ進めということなら、今の会社にいたほうが……」


「今の会社にいながら、転職先を探すことだってできるだろう?」


男は顔を上げた。


「……あ」


「辞めるか、辞めないか。あんたの頭の中には、その二つしかないのかい?」


「いえ……」


「転職先を探す。会社の業績を調べる。自分の仕事を振り返る。いざ辞めるとなったら、生活費がどれくらい要るか計算する。そういう段取りを踏んでから決める手もあるだろう」


男は、何も言わなかった。


ババアは、もう一度、紙の六本の線を見た。


「ただし、これは易の読み方のひとつだよ。卦が出たからって、あんたの会社の業績がよくなる保証はない。転職が成功する保証もない」


「……そうなんですね」


「当たり前だろ。易は、あんたの会社の決算書まで読んでくれないよ」


男は、思わず笑った。


「そうですよね」


「それに、あんたが何もしなければ、何も変わらないかもしれない」


「はい」


「反対に、今の会社に残るのが正しいとも限らない。ひどい会社なら、順序を踏んで辞める準備をすることだって必要だよ」


男の表情が、少し変わった。


「先生、私、ずっと辞めるか残るかだけを考えていました」


「そうかい」


「辞めるなら、今すぐ決めなきゃいけないと思っていたんです。残るなら、会社を信じるしかないと思っていました」


「ずいぶん極端だねえ」


「はい……」


「会社を信じるのと、自分の生活を守るのは、別の話だろう?」


男は、黙ってうなずいた。


「まずは転職先を探してみます。今の会社の状況も、もう少し調べます。それから考えます」


「好きにしな」


「先生、ありがとうございました」


男は立ち上がり、頭を下げた。


戸口まで行ったところで、ふと思い出したように振り返った。


「先生。風山漸って、いい卦なんですか?」


ババアは、ガラス玉を布で拭いていた。


「物事を少しずつ進める。順序を踏む。そういう読み方ができる卦だよ」


「じゃあ、私の未来は明るいんでしょうか?」


「知らないよ」


男は苦笑した。


「そこは、教えてくれないんですね」


「会社の未来も、あんたの未来も、あたしが保証するもんじゃないからね」


「……はい」


男は、今度こそ店を出ていった。


ババアは、紙に書いた六本の線を見た。


風山漸。


山の上に木が育つ。


一晩で大木にはならない。


「……まあ、あたしの飯だって、一晩じゃ炊けないけどねえ」


電子レンジの扉を開け、パックごはんを入れる。


温めのボタンを押した。


今日も、未来は見えなかった。


ただ、易は立てた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。