第十八話 不器用な、女
第十八話 不器用な、女
「先生、私、好きな人がいるんです」
若い女が、椅子に座るなり言った。
ババアは、机の上のガラス玉を見た。
「へえ。それで?」
「でも、私なんか、相手にされないと思うんです」
「なんでだい?」
女は、少し困った顔をした。
「だって、私、そんなにきれいじゃないし」
「ふうん」
「彼の周りには、きれいな人がたくさんいるんです。私なんか、話しかけるのも恥ずかしくて」
「で?」
「え?」
「その男は、あんたのことを嫌いだって言ったのかい?」
「……いいえ」
「じゃあ、好きじゃないって言ったのかい?」
「それも、言われてません」
「なんだい。まだ何も言われてないじゃないか」
女は黙った。
「相手が何を考えてるかも知らないのに、勝手に振られてんじゃないよ」
「でも……」
「でも、なんだい」
「私なんかが告白したら、迷惑じゃないですか?」
「そりゃ、あたしに聞かれても知らないよ」
「先生、占い師ですよね?」
「そうだよ」
「じゃあ、彼が私のことをどう思っているか、占ってください」
「嫌だね」
女は目を丸くした。
「どうしてですか?」
「知らないからだよ」
「ガラス玉があるじゃないですか」
「よく見えるよ」
「本当ですか?」
「ほこりがね。毎日、拭いてるんだけどねえ」
女は、思わず笑った。
ババアは笑わなかった。
「で、その男とは、どこで知り合ったんだい?」
「会社です。同じ部署ではないんですけど、仕事で何度か話したことがあって」
「話したことはあるんだね」
「はい」
「そのとき、嫌な顔をされたのかい?」
「いいえ。普通に話してくれました」
「普通に?」
「はい。仕事のことを教えてくれたり、私が失敗したときも、フォローしてくれたり」
「へえ。親切な男だね」
「そうなんです。だから、誰にでも優しいんだと思います」
「なんだい。男が優しいと困るのかい?」
「そうじゃないです!」
女は慌てて首を振った。
「ただ、私だけに優しいわけじゃないから……」
「そりゃそうだろ。仕事なんだから」
女は、うつむいた。
ババアは、しばらく女を眺めていた。
「……あんた、頭の中で何をやってるんだい?」
「え?」
「その男と、頭の中で何かやってるんだろ」
女は、ぎくりとした。
「な、何をですか?」
「知らないよ。あたしが聞いてるんだ」
女は、しばらく考えてから、小さな声で答えた。
「……いろいろ、考えちゃうんです」
「いろいろ?」
「もし、話しかけたら、変な顔をされるんじゃないかとか。もし、話が続かなかったら、つまらない人だと思われるんじゃないかとか」
「ほう」
「それで、もし告白したら、困った顔をされて……。そのあと、会社で顔を合わせるのも気まずくなって……」
「それから?」
「彼は、別の女の人と付き合って……。その人と結婚して……」
ババアは、目を細めた。
「ちょっと待ちな」
「はい?」
「その男と、何回デートしたんだい?」
「えっ……一度もしてません」
「何回、告白したんだい?」
「……してません」
「何回、振られたんだい?」
女は、黙った。
「……一度も」
「じゃあ、何をしに来たんだい!」
女は、思わず吹き出した。
「ひどいです!」
「ひどいのは、あんたの頭の中だよ。まだ挨拶の先もどうなるかわからないのに、結婚まで話を進めて、勝手に失恋してるんだからね」
「でも、考えちゃうんです」
「ずいぶん立派な機械を頭に積んでるねえ」
「機械?」
「悪いことばっかり考える機械さ。しかも、止め方がわからないんだろ?」
女は、返事ができなかった。
「そんなもの、特技って言わないよ。自分で自分を疲れさせてるだけじゃないか」
「……私、好きで考えてるわけじゃないんです」
女の声が、小さくなった。
ババアは、黙った。
「前にも、好きな人がいたんです。でも、何もできなくて。その人は、別の人と付き合い始めてしまって……」
「それで?」
「今度こそ、と思ったんです。でも、また同じことになるのが怖くて」
「ふうん」
「だから、先に諦めておけば、傷つかなくて済むと思って」
ババアは、ガラス玉を机の端に寄せた。
「なるほどねえ」
女は顔を上げた。
「先生、私、どうしたらいいんでしょう」
「知らないよ」
「……ですよね」
「ただね」
ババアは、女を見た。
「諦めるのと、振られるのは、別の話だよ」
女は、じっとババアを見つめた。
「自分から諦めたんなら、相手に振られたわけじゃない。相手に振られたんなら、そりゃ相手が決めたことだ。あんたが先回りして、両方まとめて済ませる必要はないだろ」
「……でも、うまくいかなかったら?」
「うまくいかないことだってあるだろ」
あっさりした答えだった。
「そしたら、傷つくじゃないですか」
「傷つくかもしれないねえ」
「先生、もう少し、優しいことを言ってくれませんか?」
「優しいことを言ってほしいなら、そういう店に行きな」
女は、吹き出した。
「ひどい!」
「五千円もらって、嘘までつけるかい」
笑いが収まると、女は少し考えた。
「私、告白しなくちゃいけないんでしょうか」
「誰がそんなこと言ったんだい?」
「……先生は、何もしないで諦めるのは違うって」
「そんなことは言ってないよ。あたしは、あんたが勝手に振られたことにするのは、妙な話だと言っただけさ」
女は、ゆっくりとうなずいた。
「……そうですね」
「話しかけたけりゃ、話しかけりゃいい。話しかけたくなけりゃ、話しかけなきゃいい。告白したけりゃすりゃいいし、したくなけりゃ、しなくていい」
「それじゃ、何も決まらないじゃないですか」
「何を決めるかは、あんたが決めるんだよ」
女は、長いこと黙っていた。
やがて、バッグを手に取った。
「私、もう少し、普通に話してみます」
「そうかい」
「それで、もし、嫌われたら……」
「そのとき考えりゃいいだろ」
女は笑った。
「先生って、本当に占い師なんですか?」
「五千円、置いてきな」
「はいはい」
女は料金を支払い、立ち上がった。
扉のところで振り返る。
「先生、ありがとうございました」
「礼を言われるようなことはしてないよ」
「でも、来てよかったです」
「そりゃ、よかったね」
女が出ていくと、ババアは五千円を引き出しにしまった。
恋が実るかどうかなんて、知らない。
相手の男が、あの女をどう思っているのかも知らない。
知っているのは、まだ何も始まっていないということだけだ。
「……まったく。始まる前から、終わらせてどうするんだい」




