第十六話 嫌われても、いいんでしょうか
第十六話 嫌われても、いいんでしょうか
「先生、わたし、嫌われたんでしょうか」
女は、椅子に座るなり、そう言った。
五十代くらいだろうか。きちんとした服装で、髪も整っている。膝の上に置いたバッグを、両手でぎゅっと握っていた。
ババアは、ガラス玉を眺めていた。
「誰に」
「友人です。長い付き合いの」
「ふうん」
「この間、頼み事を断ったんです」
「断ったら、嫌われたのかい」
「それから、連絡が来なくなって」
「そりゃ、寂しいねえ」
女は、少しだけ顔を上げた。
意外だったのかもしれない。ババアが、まともなことを言ったのである。
「そうなんです。ずっと気になっていて。わたし、何か悪いことをしたんでしょうか」
「何を頼まれたんだい」
「ご主人の入院で、しばらく家を空けるから、飼っている犬の世話をしてほしいって」
「犬かい」
「はい。朝と夕方、散歩に連れていって、ご飯をあげて。最初は、できると思ったんです。でも、わたしも仕事がありますし、毎日となると……」
「そりゃ、面倒だね」
「面倒というか、責任がありますから。何かあったら困りますし」
「それで断った」
「はい」
「犬は、あんたが飼ってるのかい」
「いいえ」
「じゃあ、あんたの犬じゃないね」
女は口をつぐんだ。
「でも、困っていたんです。友人も大変なときだったし、助けてあげたかったんです」
「助けてやりたかったのかい」
「そうです」
「じゃあ、なんで断ったんだい」
「だから、仕事が……」
「仕事があるから、できなかったんだろ」
「はい」
「できないことを、できないと言った。それだけじゃないか」
女は、バッグを握る手に力を込めた。
「でも、相手が困っているときに、自分の都合を優先してしまったんです」
「自分の都合?」
ババアは、そこで初めて女の顔を見た。
「あんた、自分の仕事を、自分の都合って言うのかい」
「えっ」
「仕事だって、あんたの生活だろ。犬の世話を断ったら、あんたの生活は、どうでもいいってことになるのかい」
女は、何も答えなかった。
「それで?」
ババアが言った。
「それで、どうしたいんだい」
「え?」
「友人に、どうしてほしいんだい」
女は、しばらく考えていた。
「……前みたいに、普通に連絡してほしいです」
「じゃあ、連絡すりゃいいじゃないか」
「でも、向こうから連絡が来ないんです」
「だから、あんたからすりゃいい」
「わたしから?」
「そうだよ。電話でも、手紙でも、好きにしな」
「でも、わたしから連絡したら、わたしが悪かったと認めるみたいで……」
ババアは、ガラス玉を持ち上げた。
「ほう」
「……」
「謝りたいのかい」
「それは……」
「仲直りしたいのかい」
女は、答えられなかった。
「どっちなんだい」
「仲直り、したいです」
「だったら、仲直りしたいって言えばいいじゃないか」
「でも、わたしは悪いことをしたわけじゃ……」
「じゃあ、謝らなきゃいい」
「……」
「仲直りするのに、必ずどっちかが悪者にならなきゃいけないのかい」
女は、顔を上げた。
ババアは、もうガラス玉を見ていた。
「先生。わたし、嫌われても、いいんでしょうか」
「知らないよ」
「そんな……」
「嫌われるのが嫌なら、嫌われないようにすりゃいい。断りたくないなら、何でも引き受けりゃいい」
「……」
「でもねえ」
ババアは、女を見ずに言った。
「それで、あんたが嫌になるんじゃ、しょうがないだろ」
女は、ゆっくりとうつむいた。
しばらくして、バッグを膝から下ろした。
「わたし、友人に電話してみます」
「そうかい」
「犬の世話を断ったことは、謝りません。でも、連絡をくれなくなって寂しかったことは、伝えてみます」
「好きにしな」
女は立ち上がった。
「先生、ありがとうございました」
「はい、五千円」
「……あっ」
女は慌てて財布を取り出した。
ババアは、五千円札を受け取ると、引き出しにしまった。
「先生は、嫌われることはないんですか?」
女が、戸口で振り返った。
ババアは、ガラス玉を布で拭いていた。
「あるだろうねえ」
「平気なんですか?」
「なんで、あたしに聞くんだい」
女は、思わず笑った。
「……そうですね」
「そうだよ」
女が出ていくと、ババアは戸を閉めた。
そして、ひとりごとのように言った。
「嫌われたくないってのも、面倒なもんだねえ」
ガラス玉を、もう一度拭いた。
ほこりは、取れていた。
「……さて、飯にするか」




