第十一話 夢なんか、ありません
第十一話 夢なんか、ありません
「先生、夢がないんです」
若い男は、椅子に座るなり言った。
二十代半ば。スーツは新しく、髪もきちんと整えている。会社帰りらしく、手にはコンビニの袋をぶら下げていた。
ババアは、その袋を見た。
「夢より先に、晩飯を買ってきたのかい」
「え?」
「いや、いいよ。で、夢がないって?」
男は、困ったように笑った。
「そうなんです。友達は、資格を取るとか、起業するとか、海外に行くとか、いろいろ目標を持っていて」
「へえ」
「でも、僕には、そういうものがないんです」
「ふうん」
「このままでいいのかなって」
「今の暮らしが嫌なのかい」
「いえ、別に」
「仕事は?」
「普通です」
「給料は?」
「生活には困っていません」
「友達は?」
「います」
「恋人は?」
「いませんけど、今は別に欲しくないです」
ババアは、男をじっと見た。
「何が困ってるんだい」
「……それが、わからないんです」
「そうかい」
ババアは水晶玉を机の上で転がした。
男は、少し身を乗り出した。
「先生、僕には、何か向いていることがあるんでしょうか」
「さあね」
「才能とか、適職とか」
「知らないよ」
「占いで、わかりませんか?」
「わかるなら、あたしが先に知りたいねえ。あんた、宝くじでも当ててくれるのかい」
男は笑った。
「先生、真面目に聞いているんです」
「こっちだって、真面目に答えてるよ」
ババアは、男の顔を見た。
「誰に、夢を持てって言われたんだい」
男は、口を閉じた。
「……大学の友達です。久しぶりに会ったら、みんな頑張っていて」
「何を頑張ってるんだい」
「仕事とか、勉強とか、自分の将来とか」
「そいつらは、楽しそうだったのかい」
「……そうですね。楽しそうでした」
「本当に?」
男は考えた。
「少なくとも、そう見えました」
「へえ」
ババアは、それ以上、何も言わなかった。
男は、膝の上で手を組んだ。
「僕は、何もしていないような気がしたんです。毎日会社へ行って、帰って、食べて、寝て。それだけで」
「それが嫌なのかい」
「……嫌というか」
「嫌じゃないけど、立派じゃないってことかい」
男は、顔を上げた。
「そうかもしれません」
「誰が決めたんだい。立派かどうかなんて」
「……」
「会社へ行って、働いて、飯を食って、寝る。ずいぶん忙しいじゃないか」
「そんな、たいしたことじゃありませんよ」
「じゃあ、あんたは、毎日何かすごいことをしなきゃいけないのかい」
男は、返事に困った。
ババアは、湯呑みを男の前に置いた。
「ねえ。あんた、夢が欲しいのかい。それとも、夢がない自分を、誰かに許してほしいのかい」
男は、湯呑みを見つめた。
長い沈黙があった。
「……後のほうかもしれません」
「そうかい」
「夢がないって言うと、何か、怠けているみたいで」
「誰に?」
「周りの人に」
「周りの人は、あんたの人生を代わりに生きてくれるのかい」
「……いいえ」
「だったら、周りの人の期待まで背負って、どうするんだい」
男は、ゆっくり息を吐いた。
「僕、何か目標を見つけなきゃいけないと思っていました」
「見つけたきゃ、探せばいいさ」
「見つからなかったら?」
「飯を食って寝な」
男は、吹き出した。
「先生、それでいいんですか」
「腹が減ったら、夢どころじゃないだろ」
「……確かに」
男は笑いながら、コンビニの袋を持ち上げた。
「これ、帰って食べます」
「そうしな。冷める前にね」
男は料金を払って立ち上がった。
「ありがとうございました」
「何も占ってないよ」
「はい。でも、ちょっと楽になりました」
「そうかい。じゃあ、次はもっと高くするかね」
「勘弁してくださいよ」
男は笑って、店を出た。
ババアは、戸が閉まるのを見届けた。
「夢ねえ」
水晶玉を布で拭いた。
夢を追いかけて、遠くへ行った人間もいる。
夢なんか持たずに、毎日を生きた人間もいる。
どちらが幸せかなんて、ババアにはわからない。
「……まあ、飯は食わなきゃねえ」
そのとき、電話が鳴った。
ババアは受話器を取った。
「はい、占い。何だい、あんた」
今日もまた、誰かが答えを求めている。




