第十話 私、親不孝なんでしょう
第十話 私、親不孝なんでしょうか
「先生、私、親不孝なんでしょうか」
女は、五十歳を少し過ぎたくらいだった。
きちんとした身なりで、膝の上には大きなバッグを置いている。疲れた顔をしていたが、化粧は崩れていなかった。
ババアは、女を見た。
「何をしたんだい」
「母のことです」
「お母さんが、どうしたって?」
「一人暮らしなんです。もう八十を過ぎています。最近、電話をかけてくる回数が増えまして」
「へえ」
「私も仕事がありますし、家庭もあります。毎日、母の相手ばかりしているわけにはいきません」
「そりゃ、そうだね」
女は少し驚いたようだった。
「そう思いますか?」
「自分の暮らしがあるんだろ」
「はい。でも、母は寂しいんだと思います」
「そうかもしれないね」
「だから、できるだけ電話には出るようにしているんです。でも、忙しいときに何度もかかってくると、つい、きつい言い方をしてしまって」
女は、バッグの持ち手を握った。
「この前なんか、『私にも生活があるのよ』と言ってしまいました」
「それで?」
「母は黙ってしまいました」
「そうかい」
「私、ひどい娘ですよね」
ババアは、しばらく女を見ていた。
「お母さんに、何と言ってほしいんだい」
「え?」
「親不孝だと言われたいのかい。それとも、よくやってると言ってほしいのかい」
女は、口を開きかけて、閉じた。
「……よくやってる、と言ってほしいのかもしれません」
「誰に?」
「母に、です」
「お母さんは、そう言ってくれないのかい」
女は首を振った。
「母は、昔からそういう人ではありません。何をしても、当たり前だと思っているんです」
「へえ」
「子供の頃から、そうでした。私は長女ですから、下のきょうだいの面倒も見ました。母が忙しいときは家のこともしました。褒められた記憶は、あまりありません」
ババアは、湯呑みを持ち上げた。
「今も、同じことをしてるんだねえ」
女は顔を上げた。
「え?」
「お母さんの世話をして、褒めてもらいたい。でも、褒めてもらえない。だから、腹が立つ」
「……そんなつもりでは」
「そうかい」
ババアは、それ以上追及しなかった。
女は、しばらく黙っていた。
「……そうなのかもしれません」
「ふうん」
「母のためだと思っていました。でも、本当は、母に認めてもらいたかったんです」
「今でもかい」
女は、小さくうなずいた。
「もう五十を過ぎているのに」
「年は関係ないだろ。親は親だよ」
女は、目を伏せた。
「先生。私は、これからどうすればいいんでしょう」
「さあね」
ババアは、あっさり言った。
「お母さんの面倒を見なきゃいけないのか。それとも、もう少し自分の時間を大切にしてもいいのか。どちらが正しいのか、わからないんです」
「どっちかひとつしかないのかい」
女は顔を上げた。
「え?」
「面倒を見るか、見ないか。自分の時間を取るか、取らないか。そんな二つしか道がないのかい」
女は考え込んだ。
「……ほかの人に頼る、とか」
「ほう」
「介護の相談窓口に行ってみるとか。きょうだいにも、もう少し協力してもらうとか」
「できそうなのかい」
「わかりません。でも、話してみることはできると思います」
ババアは、うなずいた。
「じゃあ、まずはそこからだね」
女は、少し笑った。
「先生は、私が親不孝だと思いますか?」
「思わないね」
女の表情が明るくなった。
ところが、ババアは続けた。
「あたしに、そんなことを決める権利はないよ」
女は、もう一度、考える顔になった。
「……そうですね」
帰り際、女は深々と頭を下げた。
「ありがとうございました」
「はいはい。忘れずに金を払っておくれよ」
女は笑いながら、料金を置いて出ていった。
戸が閉まった。
ババアは、湯呑みを片づけた。
「親不孝ねえ」
小さく呟いてから、顔をしかめた。
「まったく。親だの子だの、面倒くさい話ばっかり持ち込んできやがる」
そう言いながら、次の客を待った。
しばらくして、戸が開いた。
「先生、予約してないんですけど」
若い男が、顔をのぞかせた。
「予約なんかいらないよ。金さえ払えばね」
「仕事のことで、相談したいんです」
「辞めたいのかい」
「えっ、どうしてわかったんですか?」
「そんな顔して入ってくる奴は、大概そうなんだよ。さあ、座んな」
男が椅子に座る。
ババアは水晶玉を机の中央に置いた。
「で、あんたは、どうしたいんだい」
今日もまた、肝心なことには答えない。




