1-5
「お姉は笹井望結さんっていう子のことは覚えてる? 俺の幼馴染の」
弟は言葉を継いだ。
「ささい・みゆ? さん? ちょっと分からないな」
「ほら、栃木の実家の近所に、笹井菓子店って和菓子屋あるじゃん? あそこの娘さん。小さいころ俺とよく遊んでた。お姉も何回か実家で一緒に遊んだはずなんだけど」
私は記憶をほじくり返してみた。ハイボールの酔いでぼっとなった意識の奥に、その女の子の記憶が残っていた。
「ああ! あの、ちょっと……ぽっちゃりした? 望結ちゃんね。はいはい思い出した。それでその望結ちゃんがどうしたの?」
「うん――実は望結ちゃんのこと、俺好きで」
弟はよほど恥ずかしいのだろう、気まずげな笑みを浮かべてそう打ち明けた。
「へー好きだったんだ! 仲良かったもんね、子供のころ。じゃああれか、初恋の人ってやつか」
私はさも興味ありげに、しかしおおげさに思われないようにリアクションした。
「いや、好きだった、ていうか今も好きなんだけど」
弟は相変わらず恥じらいを含んだ微笑みを浮かべていた。
「え? 今も、って? ああ、初恋の人はやっぱり一番の思い出だから、他に好きな子もその後まあまあできたけど、結局望結ちゃんが忘れられない、みたいな意味?」
「そうじゃなくて。生きてきた中で、ずっと彼女のことが好きで、彼女以外に好きになった人はいないんだ」
「……そう」
私は正直引いてしまった。弟が三十歳を超えてまだ童貞で、女性と付き合ったことが一度もなさそうなことはだいたい分かっていたのだが。
「その、付き合ってたとかいうわけではないんでしょ? 望結ちゃんと」
「そりゃそうだよ、遊んでたの小学生のころだし」
「あれだよね、小中が一緒で、高校は別? 最後に会ったのはいつ?」
「中学の卒業式以来会ってない。成人式にも彼女来なかったから」
「高校から会ってなくて、それでもずっと彼女のこと好きだったの?」
「うん」
「そう……」
やっぱりやばいなこいつ。私は思った。
私が黙り込んでいると、弟は意を決したように、
「それでお姉、その望結ちゃんに、ゾンビ化する前にどうしても会いたいんだけど。会って、好きだっていうことを伝えたい」
言った。
「それは――告白して、付き合いたいってこと?」
「いやいや!」
弟は古いドラマの登場人物のように右手を顔の前で振った。
「そんな、俺なんかが望結ちゃんとなんて。ただ一目会って、想いを伝えたいだけだよ」
私は少し安堵した。
「そう。連絡先知ってるの?」
「いや知らない。ただ、今でも藤尾(栃木県栃木市藤尾町)の笹井さん家に住んでるんじゃないかと思う。結婚したり、働きに出て引っ越したりしたって噂聞かなかったから」
「そうなんだ」
「それでお姉、悪いんだけど朝になったら藤尾に行って、彼女の実家を訪ねて望結ちゃんをここまで連れて来てくれない? それしか方法が思い浮かばないんだ。それに俺、さっきからだいぶ熱っぽくて。ゾンビ化が進んでるみたい。俺が今から藤尾まで行く、ていうのはとてもじゃないけど厳しいと思う」
私は弟の言ったことを反芻した。私が、ご近所さんというだけでほとんど関わりのないお宅へ朝早く行って、弟が娘さんに会いたいと言っているので今から娘さんに来てもらえないかと頼み、娘さんを連れてくる。……気まず過ぎる。
「うん――」
「お願い。最後に好きな人にどうしても会っておきたいんだ。じゃないと俺、何のために生まれてきたかよく分からないよ」
私は返事を保留して、ネットやSNSから望結ちゃん本人と連絡を取れないのかと提案した。そうしてスマホを使って「笹井望結」を検索してみた。しかしネット上に彼女の情報は出てこなかった。どうしても芸能人の本田望結ちゃんの情報が出てきてしまう。フェイスブックからも検索をかけたが、やはり望結ちゃん本人にはヒットしない。私はこの方法を諦めた。
それから弟に望結ちゃんと共通の友人知人の連絡先は知らないのか、そこから望結ちゃんの連絡先を聞き出すことはできないのかと聞いた。しかし弟は学生時代の人脈が貧弱で、そういう人の連絡先は知らないと言うばかりだった。結局私は弟の提案した方法を受け入れざるを得なかった。
「分かった。確かに私が笹井さん家に行くほかなさそうだね。言っとくけど望結ちゃんが家に居なかったり、居ても来たくないって言ったりしたら、もうどうしようもないから諦めてね?」
「うん、ありがとう。それでお姉」
「なに? まだ何かあるの?」
「望結ちゃんへのプレゼントを買ってきてほしいんだけど」
「プレゼント?」
「ここまで来てもらって手ぶらってわけにもいかないでしょ」
「そんな、こんな緊急のことなんだからプレゼントなんてどうでもいいじゃん」
「いやいや」
弟はまた顔の前で手を振った。
「ちゃんと正装して、プレゼントも持って紳士的に告白したい」
「正装ってあんた」
「だめかな」
「正装は勝手にすればいいけど、プレゼントは――だってこの時間だよ? プレゼントもなにもコンビニくらいしか店開いてないじゃん」
「コンビニでいいから。そこのローソンで。内容より気持ちが大切だと思うからさ」
「ローソンなんかで何を買ってくれば良いって言うんだよ」
「そこはお姉のセンスに任せるよ」
こいつ相当ずれてんな。私は呆れたが、このやり取り自体が面倒になってきて、弟のわがままをきくことにした。それにコンビニに行くくらいは、してやっても別に大した労力はかからない。
「分かった! 今から行ってくるから」
「ありがとう。お金はこれで。俺はちょっと休んでるね。なんだか心臓がバクバクするんだ」
弟のその言葉に私は若干の不安を覚えつつ、彼が財布から出してきた一万円札を受け取った。




