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いそいそと酒を用意した。私は角ハイボール、弟は缶入りのサワー。
「お腹減ってないの? 良かったらこれつまみにすれば」
私はハイボールの入ったグラスに口をつけつつ、テーブルに置いてあるおかずを指さした。アジ南蛮と夏野菜の揚げびたしと小松菜とじゃこの炒め物。弟がじゃまそうにしていたので、この時にはこれらは弟の席の左隣のテーブル上に移動させていた。
「うん、腹減ってないわけじゃないんだけど……、なんていうか、こういうんじゃなくて肉がいいな」
弟が遠慮がちに言った。
「肉? 肉は無いな」
「いや、いいよ気にしないで。別に無理して食べたいほどじゃないんだ」
弟はカシュッと音立ててサワーのプルトップを開けた。
「ああ、確か豚バラを冷凍したのがあった気がする」
そう思い出した私はキッチンに行き、冷凍庫を開けた。ラップに包まれたスライスの豚バラ肉がやはり入っていた。
「豚バラあったよ。ネギ塩炒めでいい?」
私が豚バラ肉を電子レンジに入れながら問うと、弟が大きな声を出した。
「あっ、待って! 半解凍にしてくれる?」
「は? なんで」
「そのまま食べたいから」
「半解凍にしたのを?」
「うん」
「生のまま?」
「うん。なんかそういう気分なんだ」
「生肉の気分ってこと?」
「そう」
「……」
これはやはりゾンビ化が近づいている証左なのだろうか。私はよほど止めさせようと思ったが、思い直した。最後になるかも知れない食事くらい、好きなものを食べさせてやりたかった。弟が本当にあと数時間でゾンビになってしまうのだということは、まだ半信半疑だったが。
豚バラ肉を解凍し、やや柔らかくなった冷たい生肉をそのまま皿に盛りつけ、弟に出した。すると弟はぐわっとそれを手づかみし、薄くスライスされた、何枚も重なった肉を片端から三分の一ほど一気に口に入れた。口からはみ出た肉を手で引っ張ってぶちっと噛みちぎり、もぐもぐ噛んだ。
私は黙ってそれを見つめていた。
弟は豚肉を飲み込むと、サワー缶を手に取ってごきゅごきゅ音立てて飲んだ。
すると顎の下から液体がターッと滴った。
液体はテーブルに落ちしゅわしゅわと泡立った。顎下の咬み傷の裂け目から、サワーが漏れたのだった。
「ちょっとちょっと!」
私は慌ててテーブルに身を乗り出して弟の顎下を指で押さえた。私の指の間から、サワーはぽたぽたしみ出てくる。
「あ、ごめん」
弟は私にされるがまま顎の下を任せて、いちおう謝ってきた。
「ちょっとこれ、ふさがないと。顎、自分で押さえて。ばんそうこう貼る?」
「ガムテープでいい」
「いやいや、いくらなんでもガムテープってわけにも――」
「別にいいよ。ばんそうこうかガムテープかなんてもうどうでもいいし、ガムテの方が丈夫でしょ」
結局私は弟の顎下の傷口にガムテープを貼った。二重に貼ると、サワーはもう漏れ出てこなくなった。
それからだらだら二人で飲んだ。酒に弱い弟はすぐ酔いが回ってきたらしく、饒舌になって最近鑑賞したアニメや漫画やライトノベルの話をいつものように長々した。弟は特におかしなところもなく、調子は普通――むしろ機嫌は良さそうなくらいだった。私はあまり面白くない彼の話に相づちを打ち続けた。
女子高生たちが戦車に乗って戦い合うアニメの考察を一通りしたところで、弟が唐突に話を止めた。その時にはカーテンの隙間から、夜明け前の白んだ、薄ぼんやりとした光がリビングに染み込んできていた。
「どうかした?」
私は自分の相づちの打ち方が興味なさげ過ぎたか、とちょっとどきりとした。弟はぐっと四缶目のサワーをあおって、
「うん、お姉さ」
「なに?」
「俺がゾンビになってお姉に殺してもらったら、その後困るでしょ、生活に」
「なに言い出すの突然。だいじょうぶだよなんとかするよ」
「そうしたらちゃんと栃木に頼ってよ」
栃木というのは栃木県に住んでいる私たちの両親のことを指している。
「……だいじょうぶだって」
「だめでしょ全然。金も足りなくなるだろうしお姉朝がだめでゴミ出しとかできないじゃん。栃木に戻った方がいいよ」
「栃木には戻らない。そんなことするくらいっだったら――」
「死ぬ?」
「……」
「お姉さ、死なないでよ」
「なに言ってんの」
「約束して。俺はもうすぐゾンビになって死ぬ。でもお姉は絶対自殺だけはしないって、約束して」
「ははは。別にもう自殺なんて」
「お願い。約束して」
弟は眼鏡の向こうの大きな目をぱしぱし瞬いた。
「……分かった。約束する」
私が言うと、弟は少し笑顔を見せて、それからまた神妙な表情に変わった。
「どうしたの? まだなにか気になることある?」
弟は左手で額を覆った。
「うん。実はお願いがあってさ」
「フライパンで殺してほしいってことじゃなくて?」
「うん――さっきは恥ずかしくて言えなかったんだけど、実は死ぬ前にどうしてもやりたいことが一つ、あって。無理そうなことだしもういいやって思ってたんだけど、やっぱりどうせ死んじゃうなら、死ぬ前に、やっておきたいなって思うんだ」
弟の顔は真剣そのものだった。




