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結局それから少し待たされて、どうもそれが外出着らしい新しいTシャツと、先ほどのステテコよりはましなチェック柄のハーフパンツに着替えた望結ちゃんと出発した。彼女はグレゴリーのウエストポーチを肩に斜めにかけて、ビーチサンダルを履いていた。
ほとんど会話もないまま駅まで歩き、行きとは反対の上り電車に乗った。車内は多少混んでいたが席を詰めてくれた人がいて、二人並んで七人掛けの席の真ん中らへんに座ることができた。
「来てくださって本当にありがとうございます。なんとお礼を言っていいか。弟すごく喜ぶと思います。今日はお休みですか?」
私は答えに半ば予想はついていたが、他に話題もなかったのでそう尋ねてみた。望結ちゃんはきょろきょろ周りを見回していたのが、私の顔を見て、
「ううん……私仕事していないんで」
と言った。やっぱりな。そりゃそうだろその見た目じゃ。私は思った。
「そうなんですね! 私も今はフリーランスでどうにか働いてますけど、その前は病気で一年以上アパートで日々ひたすら寝てました。その前は美洋がニートで。あの子はどれくらいだろ、とにかく何年も寝てましたよ。ニート姉弟です、あはは」
そう笑って距離を縮めようとすると、望結ちゃんも「ふふっ」と笑いを漏らしてくれた。電車は藤尾駅から二駅目の駅に着き、そこを発車するところだった。
「あれですよね、働いてないと時間だけはありまくりですよね。弟はアニメとか漫画がすごく好きで、そういうので時間潰してたみたいですけど。望結さんは毎日どんなことをして過ごされているんですか?」
なんとか場を盛り上げようとそう聞いてみると、
「それは、小説ですね」
という答えが返ってきた。へえ、どんなもの読むんです? と続けて聞いた。
「私の場合、読む方じゃなくて主に書く方ですね」
望結ちゃんはややぶっきらぼうにも思える無感情な言い方で言った。おっとりしたしゃべり口だった。意外な答えがきたので私は興味を惹かれた。
「そうなんですか! えー、私も書いてますよ、小説。いや、最近は書けてないけど、何年か前までは小説の新人賞にちょこちょこ応募してました。学生のころから小説家になるのが夢で」
望結ちゃんはこちらに顔を向けてその細い目を光らせた。
「プロを目指しているってことでしょうか? それはすごいですね」
「いえいえ、十回以上新人賞に投稿したんですけど、一次選考を突破したのがやっと三回。二次選考突破がゼロ。全然だめですよ。仕方ないから落ちた小説を小説投稿サイトに投稿して多少評価ポイントもらって、自分を慰めてます」
私はまた、ははは、と自嘲してみせた。
「なんていうサイトに投稿しているんですか?」
「え? 『〇〇〇〇』っていうサイトです」
「あ」
望結ちゃんはぽかんと口を開いた。二、三秒そのまま固まって、話を継いだ。
「私もやっています、『〇〇〇〇』。ポイントもらえるとうれしいですよね」
へえー偶然ですね! もしかして有名な作家さんだったりします? と私が笑いながら返すと、
「いえまあ、それはそうなんですけど。でも私はプロなんて全然。なんていうか、そういうの目指すとこう……、純度が低くなるっていうか、書くの楽しめなくなるだろうし編集者さんにもああしろこうしろ言われて、結果作品がつまらなくなっちゃうような気がしませんか? 『〇〇〇〇』で長期連載している書籍化作品読んでいると、そう思っちゃうんですよね」
なんだか偉そうな言い方をしだした。(なにを分かった風に)そう思って私が笑顔のまま黙っていると、望結ちゃんはそこで少し間を空けて、またゆっくり話しだした。
「だから、お姉さんがそうやってプロを目指してやっているっていうのはえらいなって思います。私にはできないことなので。私も『〇〇〇〇』に投稿した作品を書籍化しないかって何回か言われたことはあるけどとても」
「え? 書籍化の話が来たんですか? 出版社から?」
私は話の意外な展開に、ついていけなかった。
「はい。書籍化の話はこれまで二……いえ、三回いただいています。△△社と、××社と、それから、あれ、なんていう会社だったかな、ふふっ、忘れるって私失礼ですよね」
しれっと望結ちゃんが言うので、私は半信半疑で、
「それは……。望結さんの『〇〇〇〇』のユーザー名教えてもらえます? ちょっと見てみていいかな?」
と聞いた。
「――っていうユーザー名です。でも『生焼けサーターアンダギーとお月見令嬢』っていう作品名で検索した方が早いと思います、それが代表作なので」
スマホでその小説投稿サイトを開き、彼女の言うままにその作品を検索してみた。するとジャンル「ハイファンタジー」歴代ランキング三位に、彼女が言った「生焼け――」がランクインされていたのである。私はぎょっとしてその作品の詳細ページを開いた。
「36132ポイント……」
詳細ページに載っていたポイント数を棒読みし、それから絶句した。このサイトに私が投稿している小説の、最も評価が高い作品のポイント数が、せいぜい70ポイント程度である。
「良かったらお暇な時読んでみてください。お姉さんはなんていうユーザー名なんですか? 興味あるのでお姉さんの作品読んでみたいです」
そう望結ちゃんが言うので、私は恥ずかしさで身を焦がしそうになりつつ、いやもう私の作品なんて全然だめだから、と必死で断った。才能のある人間というのはどんなところにいて、どんな風貌をしているのか分からないものなのだな。私はひしひしとそう感じた。
「でもどうして書籍化を断っちゃってるの? もったいないじゃん、もしコミカライズとか映像化とかされたらかなりのお金も入ってくるだろうし、『○○○○』の中でも更に人気出るでしょ?」
その問いに私の右隣に座っている望結ちゃんはじっとこちらを見て、
「初めて書籍化の話を受けた時に、編集さんに作品のいろんな部分に手を加えるよう言われたんです。それで嫌になっちゃって。あと、なんだかお姉さんは今話してて嫌な感じしなくて話せますけど、私家族以外の人と話すのが基本だめで。編集さんとのやり取りが正直おっくうで」
と言った。
(……もったいない。いやむしろこれくらいじゃないと売れる小説は書けないってことか)
私がそう思っていると、望結ちゃんは更に続けた。
「それに、別によくないですか? プロになってお金が入ってこようが、アマチュアのままだろうが。私はけっこう作品を読んでもらえてる方だと思いますし、そういう読者のうち何パーセントかの人を、救う、って言ったら大げさになりますけど、私の小説で癒せたら、それでいいんじゃないかって思うんです。どうせ私は一生ニートのままあの家で死にます。でも、どっちみち死ぬんだったら、それまでにいくら稼いだとか、どうでもいいですよね? 私はそんなことより、いかに一人でも多くの読者を救えたかを、死ぬまでに大切にしたいんです。
まあ、このまま親死んで寄生できなくなったらどうしようとは思いますけど。きっと生活保護で……生活保護って、パソコンは資産として処分しなくちゃいけないんですかね? そうしたら困るな。多分私生活保護受けて、調査員みたいな人が来る時だけパソコン押し入れとかに隠して、それで小説書き続けますね。それでいいって思います」
望結ちゃんはそこまでおっとりおっとり話すと、ああ、久々に長く話したので疲れちゃいました、ちょっと黙っていいですか、と言ってニッと笑った。
私は彼女の主張について少し考えてみた。
精神を病んで休職した時、確かに私も彼女のような心境に陥ったことはあったのである。あのころは上司に過労で殺されるのであれば(私は本気でそうなるのではないかと思っていた)、全てを投げ出して親元に戻り、これからは小説家を目指す、もう働かない、と宣言して、そのために生活を全振りして生きていこうと考えたこともあったのだ。
しかし私にはそれができなかった。物欲も金銭欲も、見栄も世間体も人並みにある平凡な人間の私には、とてもその決断はできなかった。結局私は仕事に、お金にしがみつき、病んでいる体にムチ打ちながら弟との今の生活を続けている。
(この子ぶっ飛んでんな、いろいろ)
私はショックを受けた。受けつつ、しかしこの弟の元友人に、何か微笑ましい親しみを覚えざるを得なかった。
望結ちゃんは前を向いてしまうとその細い目を閉じた。




