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翌日の昼すぎ私は出社して長窪さんと面談し、休職手続きを済ませた。夕方前にアパートへ帰ると、リビングの食卓に一人座り、前日処方された睡眠薬と向精神薬を全て包装シートから出していき、コップに入れていった。
「お姉? 会社は?」
上下スウェット姿の弟が部屋から出てきて不思議そうに声を掛けてきた。私は無視して薬をコップに入れ続けた。
「なにしてるの? どうしたのその薬」
弟の問いに、私は「飲むの」とだけ答えた。そうして最後の包装シートから薬を出してコップに入れてしまうと、コップを手に取ってぐっとあおった。ざらざらざらっと音立てて白い錠剤が私の口いっぱいに入ってきた。甘い味が口腔内に広がった。口脇から二、三錠錠剤がテーブルに落ち、跳ねた。
「お姉!」
弟がぱっとこちらへ飛んできた。私が今度は水の入ったコップを手に取ったのを、すごい力でそのコップをもぎ取った。そして私の頭を持ってうつむけさせ、反対の手で私の口をこじあけて薬を吐き出させた。
――今思えば私は弟に見つけて欲しくて、自分の部屋ではなくリビングで自殺未遂をしたのだろう。
ほぼ全部薬を吐き出し弟がその場を片付けた後、私は弟に精神病になったこと、会社を休職したことを説明した。そして弟に栃木の実家に戻って欲しい、と言った。休職期間中私は傷病手当金という休職手当のようなものを支給されるが、給与の全額はもらえないので弟を養えない。私が泣きながらそう話すと、弟はじっとそれを聞いて、
「お姉だいじょうぶだよ。俺、働くから」
と言ったのだった。
「働いて金入れて、家事も手伝うし、とにかくお姉が復職するまで助けるから。だいじょうぶだよ」
弟はそう話を切り上げた。
正直私は弟に期待していなかったのだが、それから弟は本当に家事と就職活動を始めた。一カ月ほど経った春先、就職が決まったと私に報告してきた。今も勤めるレンタルDVDショップの店員の仕事だった。
「それは正社員の仕事?」
私が尋ねると、弟は嬉しげに、
「アルバイト。でも深夜勤務が多くてフルタイムで働かせてもらえるから、けっこう給料はもらえると思う」
と言った。私はアルバイトと聞いて正直カクッときたが、表面上は喜んでみせた。
こうして弟の給料と私の傷病手当金を出し合って細々暮らすようになった。
休めば良くなるだろうと思われた私の病気は、なかなか良くならなかった。睡眠時間は異常に長いし精神状態も不安定で、希死念慮が強い。しかし私はどうしても復職したかった。転職活動しても、三十を超えた病気持ちで休職歴のある私を雇ってくれるまともな会社など、ないだろうと思っていた。それに自分の仕事にはそれなりに誇りを持っていたから、ブラックな環境さえ改善してくれるのであれば元の会社に戻りたかった。しかし会社側はフルタイムでの勤務を復職の条件として提示してきており、私はそれができるほど体調を回復させることができなかった。私は医師の指示に従って休職期間をもう三カ月、更にもう三カ月と延ばして行き、気づけば休職可能期間の切れる一年六カ月が経ってしまった。
私は退職の手続きに社へ出向き、長窪さんと面談をした。
狭いミーティングルームで退職手続きを済ませると、長窪さんが一度席を立ち、部屋を出ていった。なんだろうと待っていると、制作課のマネージャー(私の休職前の直属の上司)の増田さんを連れて戻ってきた。私は気まずかった。最後にマネージャーからねぎらいの一つでもあるのかな、と思った。
「一ノ瀬さん、それでもう一つご相談があるんだけど」
長窪さんが穏やかに言った。ハイ。私は緊張して答えた。
「先ほど話したとおり、当社の社員としては、一ノ瀬さんは今日で雇用契約が終わります。ですが、フリーランスのライターとして再契約し、こちらから一ノ瀬さんの体調に合わせた量の仕事を振らせてもらう、というのは可能でしょうか?」
長窪さんはそう言った。私が突然のことに反応できないでいると、
「これまで体調のことをうかがっていると、やはりフルタイムでの勤務というのは厳しそうだと思っていて。でも仕事量を調整すれば、一ノ瀬さんには活躍してもらえるのではないかと、増田さんと話し合っていたんです」
と続けた。するとカバのように間抜けた顔をした増田さんが口を開いた。
「え、えー、一ノ瀬。さん。具体的な話になるんやけど、現状の体調で月何本原稿書けそう?」
「それは……、四、五本なら恐らくだいじょうぶです」
「そうか。こちらとしては広告のプランに応じてだいたい一本三~五万円で今外注させとるねん。仮に月四本書いたら、十五万円前後の収入にはなると思う」
そこまで言うとカバマネージャーは口をつぐんだ。長窪さんが後を引き取った。
「どうでしょう、ひとまず増田さんが今言った仕事量を目安に、フリーランスとして契約しませんか? 一ノ瀬さんの体調が改善してくれば、仕事はもっと増やすことも可能です。もちろん専属契約ではないのだから、他社から仕事を請け負っても構いません」
私は正直、体がとろけそうになるくらいの安堵感を覚えた。助かった、と思った。考えようによっては社としてはコストの高い正社員雇用を止めて、体よく安上がりのフリーランス契約をさせようとしている、とも取れるのかも知れない。しかしそれでも私にはありがたかった。そもそもインディードの隆盛以来、リクナビネクストをはじめ多くの転職サイトが、広告記事を簡易化し、ハローワークの求人票と変わらない無機質な広告を増やしつつある。その中で少ないながらも安定して求人広告ライターとして仕事をもらえるだけ、恵まれた話だった。私は即座にこの提案を受けた。
その後体調の良し悪しがある中で、私は必死にフリーライターとして仕事を請け負うようになった。広告の記事は増田さんが言った通り月五本以下、正社員で働いていた時の四割程度の仕事量で、どうにかこうにか病気持ちの私にもこなせる量だった。
こうして弟の給料、額面で月十八万円ほどと、私の給料十五万円程度を合わせた三十万円余りで、私たちは東新宮月九万円のアパートにへばりついた。へばりついて――物価高におびえ、時々二人で飲み、喧嘩をし、私がたまに病状をこじらせて弟に泣きつくなどし、それでもどうにかこうにか二人で支えあって貧しいながらも生きのびてきた。
私の病状は徐々に徐々に快方に向かい、弟は意外なことに真面目に無遅刻無欠勤で仕事を続けてくれた。しかし私たちの給料はほとんど上がらず、良い未来は全く描けなかったし、私は将来のことなどもう考えないようにしていた。だけどとにかくこの平穏な日々が、ささやかな暮らしが続いてくれれば、と願うのだった。




