第7話 従妹のリュシーです。
セヴランの住む集合住宅を出ると、前の小道には同じような建物がいくつも並んでいた。
ひっそりとひと気のないその道を抜ければ、石畳の敷かれた大通りには馬車が行き交い、飲食店や商店が軒を連ねる。
人通りも多く、にぎやかで活気のある様子が目に飛び込んできた。
僕にとっては初めて目にするものばかり。キョロキョロしていたところ、うっかり人にぶつかりそうになっていた。
「子どもかよ?」と、セヴランが揶揄するように言いながら、僕の腕をつかんで衝突を回避してくれたけれど。
「外に出たのが初めてなんだから、仕方ないだろ。こう見えて好奇心は旺盛なんだ」
セヴランの話によると、この大通りは『庶民の台所』とも呼ばれる場所で、普段の買い物ならここで間に合うという。
セヴランの家はずいぶん生活に便利な場所にある。兄妹二人で住むには広々としていて、家賃も安くないと思う。
「北部司教区って言っていたけど、教皇庁はどっち?」
周りを見回しても背の高い建物ばかりで、皇都で一番高いはずの教皇庁の大聖堂のドームや宮殿の尖塔が見えない。おかげで位置関係がよく分からないのだ。
「この通りをまっすぐに進むと、〈不浄の森〉に続く北門がある。冒険者が仕事に出かけるには、近くていいだろ? 冒険者ギルドも、ほら、そこにある」
セヴランの指差した先には、年季の入った石造りの五階建ての建物があった。剣や弓、盾を携えている男たちが、木製の大きな扉を出入りしているのが見える。
「ふうん、北部司教区は冒険者の街って感じなんだね。商売する人間も冒険者相手と」
「まあ、そうだな。シャイエ先生の診療所も近くにある。もともと病気を診る医者っていうより、冒険者のケガを治癒するのが専門なんだ」
「治癒ってことは、シャイエ先生は魔術師ってこと?」
「おう。若い頃は冒険者をやってたって聞いたぞ。危険な森に行くより診療所をやった方が儲かるって、ここに落ち着いたんだと」
「確かに治癒魔術が使えるなら、ケガ専門の診療所を開く方がいいか」
「けど、現実はその場で治さないと手遅れになるケガもあるからな。パーティを組むなら、治癒魔術を使える魔術師は欲しくなるってもんだ」
「そんな魔術師、たくさんいるの?」
「いや、数えるほどしかいない。だから、基本的に特定のパーティは組めないことになってる。ギルドの方で危険な依頼を出す時、優先的につけてくれるって感じだな」
「それは理に適っているね」
僕も診療所を開けば、生計を立てられるってことかな。
そんなことを考えながら冒険者ギルドの前を通り過ぎて、最初の角を右に曲がった。その細い道の途中に、『診療所』の看板がかかった建物がある。
「おーい、シャイエ先生はいるか?」
セヴランは遠慮なくドアを開けて入っていくので、僕もその背中を追いかけた。
「こんにちは、セヴランさん。今日はどうされましたか?」
女性の声が聞こえて、セヴランの背後から覗き見ると、カウンターの向こうには白衣姿の二十代前半と思しき女性が立っていた。
僕と目が合うと、もう一人いたことに驚いたのか、目を軽く見開いた。
「そちらのお嬢さんは?」
僕のこめかみに青筋が浮かびそうになるけれど、そこは堪える。『今は女の子、今は女の子なんだから』と呪文のように胸の内で唱えながら。
「あ、ええと、こいつは――」
嘘が下手なセヴランに紹介を任せるのは得策ではない。僕はセヴランを遮るように前に進み出てニッコリ笑った。
「こんにちは。セヴランの従妹のリュシーです。レリアのお見舞いに皇都に来ているんです」
「ああ、ご親戚の方でしたか」
僕の声は少女にしては低いはずなのに、カウンターの女性は微塵も疑う様子はない。
それどころか、あどけない子どもを微笑ましく見るような表情を向けられて、僕の笑顔は強張りそうになる。
ガマン、ガマン……今の僕は女の子!
「先生に聞きたい話があってな。いるか?」
「ええ。今は他の患者さんの治癒中なので、待合室で少し待っていただくことになりますが」
「ああ、待たせてもらう。リュ……シー、こっちだ」
セヴランがかろうじて『リュカ』と呼ぶのを止めてくれたので、僕は胸を撫で下ろした。
事前の打ち合わせもなく偽名を使ってしまって、申し訳ない。
セヴランの後に続いてカウンターの右手にある待合室へ。椅子が並んだだけの小部屋には誰もいなかった。
「ずいぶん空いているんだね」
セヴランの隣に腰かけながらこっそり囁いた。
「ああ、まだ午前中だからな」
「朝から治癒を受ける人はいないってこと?」
「定期的に通ってる患者はともかく、冒険者はこの時間、依頼を受けて仕事をしている頃だ。ケガをして帰って来るにしても、昼過ぎから夕方になる」
「なるほど。ちなみにこの診療所は、冒険者ギルドと関係あるの?」
「関係って?」と、セヴランはきょとんとした顔で返してきた。
「たとえば、この診療所がギルドの付属の施設だとか、仕事中にケガをした場合に、この診療所を紹介されるとか」
「そういう関係はないと思うぞ。冒険者はケガも死亡も自己責任だからな。診療所に行くにしても、どこに行ったっていい」
「そう」
「けど、シャイエ先生はここに診療所を開いて長いから、冒険者の間じゃ有名なんだ。ケガ人を担ぎ込むにも北門やギルドに近いし、なんといっても魔物による毒やケガのことをよく知ってる。他の診療所を探すくらいなら、ここに来るってもんだ」
「信頼と実績のある医師には間違いないと」
「当然だろ。悪い評判でも立てば、冒険者の間であっという間に広がる。誰も来なくなって、とっくにつぶれてるさ」
僕は「ふむ」と頷くと、腕を組んで背もたれに寄りかかった。
「リュカ、もしかして先生を疑ってるのか?」
「いや、気に障ったのなら謝るよ。僕は市井のことに詳しくないから、いろいろ知りたかっただけ。好奇心旺盛だって言っただろ」
「そういうことなら、まあいいが……」
セヴランはいまいち納得できないといった様子で首をひねっていた。
嘘をぺらぺら並べ立てる僕は、あんまり信用されていないんだろうな……。
それからしばらくして、開いたドアから受付の女性が顔を覗かせた。
「セヴランさん、診察室の方へどうぞ」
セヴランとともに僕も立ち上がって待合室を出ると、カウンターの奥にあるドアをくぐった。
そこは診察台と、器具や薬品の入った棚が置かれた小部屋になっていて、デスクの前には白衣を着たシャイエ先生が座っていた。ふさふさの白髪にしわだらけの顔の小柄な老人だ。
僕とセヴランが勧められた丸椅子に座ると、先生がしわがれた声で聞いてきた。
「セヴラン、元気そうだが、今日はどうした?」
「用があるのは俺じゃなくて、こいつで。従妹のリュシーだ。レリアのことで聞きたいことがあるんだと」
「ほう? 何ですかな、若いお嬢さん」
シャイエ先生の灰色にも見える水色の瞳が僕に向けられた。
「セヴランから聞いたんですけど、レリアは二か月ほど前から喘息の症状がひどくなったって。ひと月前から新しい薬に変えたっていうのは、間違いないですか?」
「その通りですぞ」
「新しい薬でも症状が収まることはなくて、これ以上は手の打ちようがないと言ったことも?」
「そこまでは言っておらんが、今の薬で効果がなければ、わしにはどうすることもできん。他の医者に診せてもいいが、わし以上に経験豊富な医者を探すのは難しいだろうよ。治せるとしたら、教皇庁にいる治癒師くらいだ。セヴランにはそう話したはずだが」
語るに落ちたね。
僕は言質を取って、ニンマリと口角を上げた。
「確かにあなたは腕のいい医師で、薬師でもあるようです。患者を生かさず殺さず、症状を重くするだけの薬の配合。簡単にできるものではありませんから」
「お嬢さんの言いたいことが、よく分からんのだが……」
シャイエ先生は困惑したように瞳を揺らしている。彼もまた人を欺くのが得意な人間ではなさそうだ。
根っからの悪人ってわけじゃないんだろうな。
教皇庁の欺瞞に満ちた世界で生きてきた僕からすると、外の世界はいい人――というより、お人好しばかりに思える。
「もう一度聞きます。レリアがこの薬を飲み始めたのはいつからですか?」
僕はポケットに入れてきた薬の包みを一つ取り出して、シャイエ先生の目の前に突きつけた。
「だから、さっきも言った通り、ひと月前からだと――」
「いいえ、二か月前から使っていたはずです。この薬のせいで、レリアの症状は重くなったんですから」




