第4話 怖い、怖い、怖い!
「ごめん、待たせたね」
大聖堂の東側の扉を開くと、暗闇の中からぬっとセヴランが現れた。ランタンの明かりに浮かび上がるその姿は、巨大な怪物のように見えて、ヒッと声を上げそうになる。
「本当に連れて行っていいのか?」
セヴランはまだ迷っている様子で、浮かない顔をしている。
「心配しなくていいって。ちゃんと書置きもしてきたから、これはただの家出。誘拐の罪に問われたりしないよ」
「そっか。ならいいのか」
「うん」と、はっきり頷くと、セヴランはほっとしたように強張った表情を緩めた。
「なら、とっととずらかるとするか……とその前に、ランタンは消してくれ。光があると目立つ」
「え、でも、外は月もなくて真っ暗だろ。そんな中、どうやって歩くの?」
「お前、目が悪いんだな。真っ暗っていっても、それなりに見えるだろ」
「僕、目が悪いのか……」
言われて初めて、そうかもしれないと思った。ほとんど一日中、本や魔法陣と向き合っていたので、目が悪くなっていても仕方がない。
「俺が抱えてやるから、明かりはいらねえよ」
「うん、分かった」
僕はランタンに向けて、「〈消灯〉」と唱えて火を消した。
一瞬にして辺りは暗闇に変わって、すぐそばにいるはずのセヴランがどこにいるのかも分からなくなる。
不意に腰を力強く抱き寄せられたかと思うと、足に触れるはずの床が消えて、浮遊感に包まれた。闇の中、上も下も分からない。
僕は恐慌状態に陥って、無意識のうちに足をばたつかせていた。
「やだ、怖い、怖い、怖い!」
「こら、騒ぐな! 暴れるな!」
セヴランの声が思ったより近くから聞こえる。
どうやら僕は、荷物のように彼の肩に担がれているようで――。
その状況が想像できて、僕は身体から力を抜いた。
「……ねえ、『抱える』って、抱っことかおんぶじゃないの?」
「片手は空いていた方が何かと都合がいいからな。これから走るから、歯を食いしばっておけ。舌を噛むぞ」
「了解――」
僕が返事をする前に、セヴランは大聖堂を飛び出して走り始めた。
――正直、乗り心地は最悪だ。
セヴランの肩からぶら下がっている僕の顔は、彼の背中にゴンゴン当たっている。真面目に痛い。このままでは鼻血を出してしまう。
左手はランタンでふさがっているので、右手でセヴランの着ているチュニックの背中をぎゅっと握りしめて体勢を保つことにした。
闇の中、セヴランがどこを走って、どこに向かっているのかも分からない。
そうでなくても、僕は宮殿と大聖堂を往復するくらいで、庭に下りることもめったになかったんだ。ましてや、教皇庁の外郭まで足を運んだことなんて一度もない。
「門が見えてきたぞ。さっきいた門番、まだ気絶したままだといいんだが――」
風に乗ってセヴランの声が聞こえてくる。
「聖騎士のこと? 甲冑姿の」
「そう、そいつら。ああ……やっぱり人が集まっていやがる。リュカ、ちょっと暴れるから、落ちないようにしっかりつかまってろ」
「え、暴れるって……!?」
僕は訳も分からずセヴランのチュニックをさらに強く握りしめた。
と同時に、彼の肩の上で僕の下半身が勝手にポンポン弾んだ。
「賊だ、さっきの賊が戻ってきたぞ!」
「この、神をも畏れぬ不届き者め!」
男たちの怒鳴り声が聞こえてくる。
続いて、ボスッ、ドカッ、ガキンッ――と、何かを殴る鈍い音、体当たりしたような衝撃、金属同士がぶつかり合う音の連続。
何も見えなくとも、騒ぐ声や音だけは聞こえる。
やがてそんな音も収まって、しばらくしてからセヴランの足は止まった。
「着いたぞ」
僕はセヴランの肩から滑るように下ろされた。
足が地面に触れて、ようやく安心できる。運ばれている間、ぐらんぐらん振られたせいか、頭がくらくらした。
深呼吸を繰り返して、ようやく落ち着いたところで辺りを見回しても、やはり真っ暗で何も見えない。
「ここ、どこ?」
「北部司教区。俺んちの前だ」
皇都サルマントは教皇庁を中心に、四つの司教区に分かれている。北部司教区はその名の通り、教皇庁の北側の一画。
「本当に教皇庁の外なんだ……」
生まれてから一度も外に出たことのなかった僕は、感慨深い思いでつぶやいていた。
「光が必要なら、ランタンをつけても大丈夫だぞ」
僕は右手で魔法陣を描いて、「〈点灯〉」と唱えた。
ポッとランタンの中の芯に火が灯って、手の届く範囲を明るく照らし出してくれる。
目の前に立っているセヴランは、僕を抱えてかなりの距離を走ったはずなのに、呼吸一つ乱れていないようで――。
「……その、大丈夫? 重くなかった?」
「いや、全然。お前、もう少しちゃんと食った方がいいぞ。ガリガリじゃねえか」
「く……っ」と、ぐうの音も出ない僕。
魔術に夢中になって、気づいたら食事の時間を過ぎていたということが何度もあったのだ。
クレマン司祭が生きている頃は、そんな僕を迎えに来て、食堂に引きずっていってくれたんだけど。
「とにかく! 僕を連れ出してくれてありがとう。で、ここが君の家だって?」
ランタンを掲げると、背の高い簡素な建物が目に入ってくる。
「全部じゃないがな。集合住宅ってやつだ」
セヴランに続いて扉をくぐって、廊下を通り抜けた先にある階段を上っていく。
「うちは三階の左側だ。妹は寝てるはずだから、あんまり大きな音は立てないでくれ」
「分かった」
セヴランはポケットから出した鍵でドアを開けると、僕を中に通した。
そこは小さなキッチンとテーブルセットがある食堂のような部屋だった。
僕がランタンをテーブルに置いている横で、セヴランは燭台のろうそくに火を灯している。
「ここが居間で、奥の右側が妹の部屋。左が俺の部屋だ。俺の部屋の方を好きに使っていいぞ」
「いや、突然押し掛けたのは僕の方だから、毛布でも借りられれば、床で寝かせてもらうよ」
「気にするなって。俺、野宿には慣れてるからな。床で寝ることくらい何でもないさ」
「けど……」と、僕がためらっている間に、「ほらほら」とセヴランの部屋に突っ込まれてしまった。
「それより、明日は妹のことを頼む。日が昇るまで大した時間はないが、ゆっくり休んでくれ」
セヴランの頭を占めるのは、隣の部屋で寝ている妹のことだけのようだ。
そのために闇ギルドの仕事を請け負って、そして僕をここに連れて来た。
家族思いのいい奴なんだよな。
「そういうことなら、今夜はお言葉に甘えて、ベッドを使わせてもらうよ」
僕はため息交じりに笑って、「おやすみ」とドアを閉めるセヴランを見送った。
部屋の中は質素なベッドとクローゼットがあるだけ。広さは宮殿の自室と大差はないものの、物自体が少ないこともあって、こざっぱりとしている。
僕は持ってきたクマのぬいぐるみをストールから出して、枕の横に置いた。その両目の魔晶石は、ランタンの光を反射してほんのり赤く色づいている。
「朝まで騒がないでくれよ」
ポンポンとぬいぐるみの頭を叩いてから、うなじで結んでいた髪紐をほどくと、司祭衣を脱いで、早速ベッドに入った。
火を消したものの、緊張の連続で頭が冴えている。目を閉じたところで、すぐに寝られる気がしない。それでも魔力を大量に使って消耗していたのか、いつの間にか深い眠りについていた。




