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我が家のダークエルフが、ボーイッシュすぎる  作者: 平木明日香
第一章 夜の街と、ボクの居場所
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第2話 黒羽横丁のダークエルフ



「あー……やめとこうぜ、亮間」


 祐介が嫌な予感をそのまま声にして、亮間の袖を軽く掴んだ。


「まだ何も言ってねえだろ」


「顔がもう行く顔なんだよ。お前、そういう顔したあとだいたい先生に怒られるか、警備員に名前聞かれるか、俺が事情説明する羽目になる」


「なら説明の練習しとけ」


「最悪の友達だな、お前」


 亮間は祐介の手を外しながら、男と少女の距離を見た。男は足元が少しふらついているくせに、声だけはやけに大きい。少女は一度だけ肩を揺らし、立ち止まった。小柄に見えるのはフードとパーカーのせいで、実際の背丈は女子高生としては普通くらいだろうか。片手には小さな耐界ケースを提げている。ケースの表面には簡易遮蔽の術式紋が薄く走っていて、正規品か非正規品かまでは亮間には分からなかったものの、少なくともコンビニの買い物袋ほど気軽に持ち歩くものではなさそうだった。


「聞こえてんだろ? どこの店の子? この辺でその格好なら、そういうことだろ」


「違う」


 少女の声は思っていたより低く、乾いていた。まっすぐ伸びた背中とケースを握る指に入った力だけで、彼女が怖がっていないふりをしていることは分かった。女の子らしく愛想よく受け流すでもなく、露骨に怯えて相手の機嫌を取るでもなく、面倒な雑草を踏まずに避けようとしているみたいな声だ。


「違うってことないだろ。長耳で、そんな顔して、夜に一人でうろついてさあ」


「ボク、仕事中だから。邪魔しないで」


 ボク、という一人称に、亮間はわずかに眉を動かした。見た目は、どう見ても幻想絵画から抜け出したようなダークエルフの少女である。銀髪、褐色の肌、尖った耳、横顔だけでも目を引く整った輪郭。本人の口調は、あまりにも飾り気がなかった。路地裏の自販機で炭酸を買って、立ったまま飲み干しそうな声だった。


「仕事? じゃあ客を大事にしなきゃなあ」


「客じゃないし」


「可愛くないなあ。ダークエルフってもっとこう、色っぽいもんじゃないの?」


 その言葉に、少女の足元の影が、ほんの少しだけ歪んだ。光の加減というには不自然で、術式の予兆というには小さすぎる揺れだった。亮間は詳しいわけではないものの、御影市の高校生として術式安全基礎くらいは受けている。感情に反応して界素が動くタイプの隣界種や異能者は、怒りを抑えているときほど妙な反応を漏らすことがある。


 少女は強いのかもしれない。少なくとも、酔った男ひとりをどうにかできないほど弱くはなさそうだった。


 それでも彼女は術式を使わなかった。使えなかったのか、使いたくなかったのか、使うとまずい理由があるのか、そのあたりは分からない。分からないまま、男の手が少女の肩へ伸びた。


「やめとけよ」


 亮間は、自分でも少し嫌になるくらい自然に声を出していた。


 男が振り向く。少女も、そこで初めてこちらを見た。


 琥珀に赤紫を混ぜたような瞳だった。夜の看板の光を拾っているせいか、こちらを警戒しているせいか、その目は硝子の破片みたいに硬く光っていた。亮間は一瞬だけ、綺麗だと思った。直後に、そう思った自分が何をしているのか分からなくなり、誤魔化すように男の方を睨んだ。


「なんだ、お前」


 男が唾の混じった声で言った。


「そいつ、嫌がってんだろ」


「関係ねえだろ、ガキ」


「関係ないな」


 亮間は認めた。実際、関係はなかった。少女が誰で、どこの店の子で、どうしてこんな時間に一人でいるのか、亮間は何も知らない。助けたところで感謝される保証もなく、警備が来れば自分が面倒な立場になる可能性の方が高い。学校でまた説教されるかもしれないし、母親に連絡が行けば帰宅したときに面倒な顔をされるかもしれない。


 それでも見えたものを見なかったことにするには、男の手が少女に近づきすぎていた。


「でも、見えちまったからな」


 男の顔が赤黒く変わる。酔いと怒りで膨らんだ肩が揺れ、拳が大きく振られた。亮間はその軌道を見ながら、余計なことを考えていた。自分は正義の味方ではない。人助けが趣味でもない。喧嘩をするたびに先生から怒られ、やめろと言われ、分かっていると答え、それでも身体が先に動く。拳を握っているときだけ、自分の輪郭がはっきりするような気がする。嫌な生き方だと思う。それを直す方法は、まだ知らない。


 亮間は男の拳を肩で外し、踏み込んで顎を打った。殴った感触は軽く、男は声にならない音を漏らして路面に崩れた。周囲の人間が一瞬だけこちらを見て、すぐに見慣れた揉めごとだと判断したように視線を逸らす。黒羽横丁では、誰かが叫び、誰かが倒れ、誰かが警備員を呼びに行くまでが、夜の騒音の一部になっている。


「……うわ。亮間、お前さあ」


 祐介が頭を抱えた。


「向こうが先だろ」


「そういう問題じゃないって何回言えば脳に届くんだよ。警備来る。絶対来る。あと倉橋にも行く。俺の平穏な高校生活がまた削られる」


「お前の平穏、わりと丈夫だろ」


「削られてもまだ残ってるだけだよ」


 亮間は祐介の文句を聞き流し、少女へ視線を戻した。彼女は倒れた男ではなく、亮間の拳を見ていた。手の甲に貼っていた絆創膏が剥がれかけ、うっすら血がにじんでいる。少女は不思議そうに、少しだけ目を細めた。


「怪我は」


 亮間が聞くと、少女はわずかに顎を上げた。


「ない」


「なら帰れ。こんな時間にうろつくな」


「……助けた相手にそれ言う?」


「助けたつもりはない。邪魔だっただけだ」


「へえ。ずいぶん乱暴な邪魔の仕方だね」


「そっちも、ずいぶん危なっかしい荷物持ってるな」


 口にしてから、亮間は少しだけしまったと思った。少女の目が鋭くなる。さっきまでの硬い光とは違う、踏み込まれたくない場所に足を入れられた人間の目だった。耐界ケースを持つ指に力がこもり、足元の影がふたたび揺れる。


「キミには関係ない」


「そうだな」


「ほんとに関係ないから」


「分かったって」


「分かってなさそうな顔してる」


「生まれつきだ」


 少女は、一瞬だけ言葉に詰まった。怒るべきか、呆れるべきか、笑うべきか迷ったような顔で、最後には小さく鼻を鳴らした。


「変なやつ」


「絡まれてたやつに言われたくない」


「別に困ってなかった」


「嘘つけ」


 即答すると、少女の耳の先がぴくりと動いた。怒ったのか、図星を突かれたのか、亮間には分からない。分からないまま、彼女はフードを少しだけ深く被り直した。


「……ボク、ミオ」


「聞いてない」


「名乗っただけ。別に覚えなくていい」


「ならなんで名乗ったんだよ」


「キミが、あとで思い出せるように」


 その言い方が少しだけ妙だった。感謝を伝えるには素直ではなく、挑発するには弱く、約束するには早すぎる。亮間が返事を探していると、遠くから警備員の笛が鳴った。祐介が本気で青ざめる。


「亮間、もう無理。撤収。今すぐ。俺は補導歴のない綺麗な祐介でいたい」


「お前、前に駅前で職質されてただろ」


「あれは髪色のせいで中身は綺麗だった」


 祐介に腕を引かれ、亮間は半歩だけ後ろへ下がった。倒れていた男はまだ呻いているものの、店員らしい獣人の女性が警備員を呼び、周囲の人間も距離を取り始めている。ここで残れば事情聴取が始まり、事情聴取が始まれば学校名を聞かれ、学校名を聞かれれば明日の朝には倉橋の机に報告が届く。亮間にとって、それはかなり現実的な面倒だった。


 亮間は去り際に、もう一度だけミオを見た。


「帰れよ」


「キミこそ、警備に捕まらないようにね」


「捕まるようなことはしてない」


「今のを本気で言ってるなら、たぶんキミ、学校の先生に嫌われてるでしょ」


「お前に関係ない」


「そうだね」


 ミオはそこで、初めて少しだけ笑った。ほんのわずかに口角が上がっただけの笑みだったものの、さっきまで夜の看板に照らされていた横顔が、急に年相応の少女のものに見えた。亮間はそれを見て、胸の奥を小さく引っかかれたような感覚を覚えた。痛いわけではない。苦しいほどでもない。ただ、あとから思い出すには十分なひっかかりだった。


「行くぞ、亮間!」


 祐介の声に押される形で、亮間は黒羽横丁の人混みへ戻った。背中越しに、警備員の声と、倒れた男の文句と、店員たちの慣れたため息が混じって聞こえる。いつもの夜の騒ぎだ。そう思えば終わる話だった。亮間は、銀髪のダークエルフの少女が最後にどんな顔をしていたのかを、考えないようにした。


 少し歩いたところで、祐介が亮間の胸元を見て眉をひそめた。


「お前、ボタン飛んでるぞ」


「あ?」


 亮間が自分の学生服を見ると、前合わせのボタンがひとつなくなっていた。さっきの揉み合いか、祐介に引っ張られたときか、いつ取れたのかは分からない。亮間は面倒くさそうに舌打ちした。


「最悪だな。明日また倉橋に言われる」


「俺は殴ったことの方を言われると思う」


「そっちはいつものことだろ」


「いつものことにするな」


 二人のやり取りは、そのまま横丁の騒音に溶けていった。


 ミオは、警備員が倒れた男の相手をし始めた隙に、静かに路地の端へ移動していた。耐界ケースは無事で、端末の配送アプリにも遅延警告は出ていない。ほんの数分の足止めで済んだ。そう思えば、それだけの出来事だったはずだった。


 足元に、小さなものが落ちていた。


 黒羽横丁の光を受けて、安っぽい金属の縁がかすかに光っている。ミオは屈み、拾い上げた。学生服のボタンだった。表面には、御影南高校の校章が刻まれている。


「亮間、って言ってたっけ」


 名前を口にすると、さっきの少年のぶっきらぼうな声が耳に戻ってきた。助けた相手に帰れと言い、関係ないと認めながら割り込み、殴った拳から血をにじませても平気な顔をしていた、目つきの悪い高校生。正義の味方とは違う。親切な人間とも少し違う。自分のことを深く聞かなかったところだけは、夜の街の誰よりもありがたかった。


 ミオはボタンを手のひらの上で転がした。


 自分は夜の街にいる。社宅の隅を借りて暮らし、中身を聞かない荷物を運び、まともな名前で呼ばれない仕事をしている。あの少年は、どう見ても問題児で、喧嘩っ早くて、きっと教師からすれば頭の痛い生徒なのだろう。そうであっても、彼には制服があり、学校があり、名前を呼ぶ友人がいた。


 それがひどく遠くて、少しだけ眩しかった。


「……別に、会いに行くとかじゃないし」


 ミオはそう呟いて、ボタンをパーカーのポケットへしまった。耐界ケースの持ち手を握り直し、仕事用アプリに表示された受け渡し地点へ歩き出す。黒羽横丁の看板は相変わらず派手で、夜の客たちは相変わらず笑っていて、御影市の影は相変わらず濃いままだった。


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