9. 説明会
八月に入って最初の火曜。俺は昼の人混みの中にいた。市民会館の中会議室、ゲート社主催、特別閉鎖区域の安全説明会である。
配られた資料の表紙には、入域者数の右肩上がりの折れ線。パイプ椅子は八割方埋まり、日に焼けた灯石拾いと、近所の年配と、腕章の記者が数人いる。二の腕に触れる冷房が、一月の面談室と同じ温度をしている。壁際には見覚えのある作業服が直立していて、目が合うと、会釈の代わりに目だけで壇上を示した。
壇上の男は、鵜川と名乗る。経営企画部長。五十がらみ、細い縁の眼鏡、数字を読む声に淀みがない。
説明は、うまかった。入域者は三年で倍、事故率は横ばい、講習の改定、柵の増設。数字はどれも本当なのだろう。本当の数字だけを並べ、夜の話をひとつもしない説明を、俺は姿勢よく聞いた。
質疑に入る。灯石拾いの男が夜の連絡先を訊ね、司会が夜間の入域はご遠慮くださいの定型で受ける。二人目も、似た問答だった。三人目で、俺は手を挙げる。
「深夜に、帰り道の配信をしている者です」
会場が、さざ波を立てた。振り向いた灯石拾いの何人かが、あ、という口の形をする。壇上の鵜川は眼鏡の奥で目を細め、質問より先に、挨拶をよこした。
「存じています。当社から二通、お手紙を差し上げた方だ」
「拝受しております。本日は、その話ではありません」
会場に短い笑いが起き、温度が少し変わる。質問は、ひとつに絞ってある。
「域内の中継網は、いまも生きています。保守の費用を払い、生かしているのは御社です。おかげで夜窓のあいだ、下からの声は地上へ届きます。しかし、届いた声を受ける耳が、夜にはいない。……線は生きているのに、聞く者がいない。夜のあいだあの線の先の声は、どこへ行けばいいのでしょうか?」
鵜川は、逃げなかった。手元の紙も見ずに、数字で答える。
「夜間当直の維持費は、年におよそ四千万円。保安部は十一人です。夜を空けたのは、二年前の、私の起案です」
ざわめきを、彼は手のひらで制する。
「善意は決算に載らないんですよ。載らないものは、続かない。続かない安全は、安全とは呼べません。……私はそういう考え方で、給料をいただいています」
悪役の声ではなかった。それが、いちばん堪える。この男はこの男の持ち場で、この男の手順を守っている。だから俺は、要求をいちばん安い品に絞った。
「では、御社が毎朝九時に知っていることを、夜の九時に外へ張り出していただけますか。五つの口の、開け閉めです。サイトの一行でもいい。……それだけで、閉まった口へ歩く遭難者が減ります」
鵜川は三秒、宙で算盤を弾く。
「――安い。報告書から自動で抜き出して掲示するだけだな」
眼鏡を押し上げ、司会へ首を回す。
「やりましょう。検討ではなく、今週中に。当社は、安くて効く物が好きです」
今度の笑いは、本物だった。壁際の網代は直立のまま、目だけで笑っている。
◇
その夜のうちに、もう載っていた。会社サイトの隅、五つの口の名前と、開・閉の二文字だけの素っ気ない表である。鵜川という男は、安くて速い。
〇時四十分、小さな便がひとつ来る。
〈あおば: 第九環の南口側です。はぐれました。電池は六割〉
宣言、短冊、視認三点。バスが壁に半分埋まっている、行き先の板は空白、音は右から風、と返ってくる。
「空港連絡バスの操車場ですね。空港時代の十二年で覚えた配置です。位置、固定できました。最寄りは南口ですが――口の現況を確認します。会社発表、南口、今夜は閉。現況板でも夕方から、閉の報告。あおばさん、遠回りになりますが、ターミナル口へ振り替えます。出典は会社の表と、見回りの目です」
〈宿六: 操車場の筋なら、環廊は素直じゃ。ターミナル口まで一・六キロほどよ〉
〈あおば: 了解です。振り替えでお願いします〉
ゲスト通話へ切り替えると、若い声の復唱がよく通る。歩き覚えの言葉どおり環廊は素直で、毛細から環廊へ、環廊から主廊へ、骨に乗せて、あとは道なり。
一時五十六分、ターミナル口の灯。着陸、返納、回送の車。何も起きない、いい仕事である。先月、閉まった口へ案内しかけて冷や汗をかいた男の夜を、今夜は表一枚が守った。制度とは地味なものだ。地味なものが、人を帰す。
締めの口上のあと、いつもの癖でニュース欄を開いて――白湯を持ったまま、しばらく動けなくなった。
「琴浜ゲートウェイ、『星穴ナイトウォーク』を今夏開始――夜の迷宮に、星を見に行く」
一人一万二千円。夜窓の時間帯、第八環の星穴広場、ガイド同行。初回は、八月八日の土曜。
夜の迷宮に、客を入れる。窓の開いている、あの時間に。まとめて、団体で。
冷めた白湯が、いつもより苦い。会社の言い分には、いつも理がある。理があるまま、今度は夜へ、踏み込んでくる。俺は短冊を一枚切り、便名の代わりに初回の日付だけを書いて、卓の隅に貼った。四文字の短冊の、二つ隣である。




