10. 星穴
木曜の昼、ゲート社広報部からメールが届いた。書式は丁寧の上塗りで、用件は一行に要約できる。明晩の「星穴ナイトウォーク」下見特番に、ゲスト解説として出演しませんか。謝礼二万円。文面には、深夜の管制塔様の中立的なご視点で安全性をご確認いただきたく、とあった。
中立、という二文字を、二度読み返す。
断りの返信は三行で済んだ。理由を訊かれたら自分の配信で正直に話します、とも書き添える。隠しごとは、この番組の商売敵である。
金曜の夜。配信を開けると、案の定、最初の質問がそれだった。
〈金曜日: 会社の下見配信、出ないんですか。ギャラ二万〉
「お断りしました。理由を言います。……私は、入りません。下見に同行もしませんし、特番の席にも座りません。あの企画の中へ入れば、私の声は当事者の声になります。ツアーの夜に何かあったとき、宣伝に出た人間が皆さんの誘導をやるわけには、いかないんです」
白湯をひとくち。言葉を、選ぶ。
「管制塔というのは、滑走路の外に建っているから、管制塔なんです」
〈よるくま: 出演料二万より説得力ある〉
〈回送: でも下見の映像は、ちょっと見たくないですか〉
「見ます。皆さんと同じ、画面のこちら側から」
会社の下見特番は二十三時に始まった。昼のうちに収録して持ち帰った映像を、地上から流す作りである。当然だ――あの下から、動画の生中継は上がってこない。夜窓の帯は、音と文字と、数十秒に一枚の写真がやっとの細さなのだ。俺は自分の配信画面の隣に、一視聴者としてそれを開く。書き込みは、しない。よその管制圏に、電波は出さない主義である。
――正直に言う。映像は、見事だった。
星穴広場。第八環、三四主廊直結。天井まで二十メートル、その天井の一面に灯石の群落が広がり、青白い星空が地の底へ逆さに吊られている。カメラが振り仰ぐたび、あちらの画面もこちらの画面も、同じ言葉で埋まった。すごい。きれい。行ってみたい。
売り物になる。それは、認める。あれを人に見せたいという欲は、俺にも分かる種類の欲である。地形と行程の説明は、正確だった。開域以来、道替えの記録がない実績の区画。主廊から一本道。脇道はすべて柵。……設計は、馬鹿ではないのだ。馬鹿ではないから、怖い。
帰りの時刻の話が、一度も出ない。窓が切れる時刻の話も、夜の連絡先の話も、出ない。画面の隅の注意書きにも、ない。
中継が終わって、俺は自分のマイクへ戻った。
「ご覧になった方も多いと思います。こちらからは、ひとつだけ補足します。明日、八月八日の夜窓は、三時五十九分に閉じます。ツアーの皆さんが地上へ戻る予定の時刻を、私は知りません。……知らない、という事実だけ、今夜のうちに記録しておきます」
そのあとで、今夜の主役に回線を繋いだ。宿六である。初めて聞く声は思ったより細く、しゃがれて、それでいてよく通る。
『七年前の話じゃったな』
「お願いします。大直し――環廊まで替わった夜の話を」
『前の晩からな、壁が三度鳴いた。ふだんは一晩に一度も鳴かんのにじゃ。風も逆さでな、いつも右の頬で受ける風が、左へ回る。わしゃ気味が悪うなって、その晩は骨から離れんかった。……朝になったら、環廊が裏返っとる。右へ回るはずの道が左へ回る。覚えた角が、全部嘘よ。地図なんぞ、朝には紙屑じゃ』
「あなたが助かった理由は、何でしたか?」
『骨に居ったからじゃ。主廊だけは、あの朝も嘘をつかんかった。もうひとつは、連れじゃな。声を掛け合う相手がおりゃあ、人間、馬鹿なことはせんもんじゃ』
二千五百の画面が、静かに聞いていた。怪談ではない。前例である。俺は礼を言い、皆へ頼みごとをひとつした。
「今夜から、壁鳴りを聞いた方は、時刻と場所をここへ書き込んでください。集めます。役に立つかは、分かりません。分からないまま集めておくのが、記録というものです」
閉窓のあと、ミネルバの通知がひとつ届いた。夕方の報道特集の切り抜きである。題は「深夜の管制塔――声だけの救助網」。顔は映らない。映っているのは短冊の並んだ卓と、白湯の湯呑みと、声の波形だけである。画面の下に、テロップが一行。無資格の民間配信であり、公的な救助機関ではありません。
無資格は、事実である。ただ少し、字が大きい。
特集のおかげで、初見の名前が続々と流れていく。気づけば同接は三千を超えていた。十六人の夜から、ずいぶん遠くへ来たものである。見慣れてきた名前も、流れの中にひとつ。
〈mih0: テレビより先に知ってたんですけどね〉
古参ぶった一行に、常連たちが同意の相槌を連ねる。俺は少し笑って、初見の皆へ口上を一巡やり直した。
祭りの気配のなか、ひとつだけ温度の違う書き込みが、隅に残る。
〈波多野先導・波多野: 明日の晩は、うちの若いのが二人、ツアーの仕事で潜る。断る理由も義理もないでな。……ただな、管制塔さんよ〉
〈波多野先導・波多野: ここ三晩、環廊が、鳴っとる〉
俺は新しい短冊に、その一行と時刻だけを書き写した。明日は八月八日、土曜。星穴ナイトウォーク、初回である。




