7. 十二年物
七月十七日、金曜。夕方のニュースが梅雨明けを告げ、夜になっても路地は昼の熱を返している。今年最初の蝉が、アパートの外灯の下で鳴き損ねていた。
配信を開けて最初の仕事は、この一週間で決まりごとになっている。
「口の現況をお伝えします。本日夕方の見回りぶん。ターミナル口、開。南口、開。整備口、開。貨物口、閉。消防口、閉。以上です」
〈宿六: 夕方見たとおりじゃ〉
〈よるくま: この読み上げで、夜が始まった気になります〉
俺の空港は三月で止まっているが、五つの口は毎夕、皆の目で今日へ更新される。止まった時計を人の目が進めてくれるのだから、ありがたい話である。
今夜、窓の中は静かだった。代わりに、地上が騒がしい。
〈金曜日: 皆さんにご報告があります。課長が、栄転です。来月から本社〉
〈回送: それはめでたい。で、いまどちらで飲んでます?〉
〈金曜日: 三軒目です。見送る側が、終電に見送られました〉
「金曜日さん、おめでとうございます。あなたを本日の地上第一便とします。駅はどちらですか?」
聞けば徒歩五十分の距離だと言う。夜風に当てて歩かせる道のりではない。桜通りへ回送の車が回り、今夜ばかりはメーターを倒すと宣言した。栄転の祝儀は、乗った側が払うのが筋だそうである。
〈金曜日: 課長、自分はいま、人生でいちばんちゃんと送迎されてます〉
〇時二十分、次の便は四本足だった。
〈かなあみ: すみません、人間じゃないんですけど、いいですか。隣のおじいさんの犬が夕方から帰りません。柴犬で、名前はポチです〉
「お預かりします。ポチ号を、本日の地上第二便とします」
チラシの短冊に犬の名を書く日が来るとは、管制の教本も想定していない。毛の色、首輪、最後の目撃場所。特徴を聞き取り、画面へ流す。深夜の目撃網は、思いのほか目が多い。
〈よるくま: 夜勤の行きに、白っぽい柴を二丁目の公園で見ました。〇時前です〉
〈回送: 二丁目なら回れます。五分〉
十五分後、車載カメラが神社の石段の前で停まった。植え込みの奥の暗がりで、目が二つ光っている。駆けつけた隣家の老人が名前を呼ぶと、暗がりはひと声鳴いて、転がるように膝へ飛び込んでいった。
「ポチ号、着陸です。……次からは、首輪をもう少しだけ、締めてあげてください」
〈かなあみ: おじいさん、電話の向こうでずっと泣いてます。ありがとうございました〉
人間の便より、犬の便のほうがコメント欄は沸く。世の中とは、そういうものである。
一時半、今夜の考えごとが来た。
〈とっくり: 相談です。昼に第十環の免税店の残骸を掘ってたら、木箱が出ました。舶来のウイスキー、無傷で六本。箱に十二年って書いてあります。これ、買い取り所で売れますか?〉
写真が届く。埃をかぶった木箱の中で、琥珀色の瓶が六本、行儀よく眠っていた。十二年前、あの免税店の棚に並んでいた売り物である。呑まれた朝の積み荷が、いまごろ地の底から掘り出されてきた。
言葉より先に、喉の奥が少しだけ、甘くなる。十二年。俺が跡地のタワーで過ごした年月と同じ長さを、この瓶は暗闇で待っていた勘定になる。熟成というなら、お互いさまだ。
「とっくりさん。残念ですが、それは灯石ではありません。持ち主のいる品――遺失物です。買い取り所ではなく、警察へ」
〈とっくり: ですよね。言うと思いました〉
〈金曜日: 熟成十二年、地下蔵仕上げ。良い値がつきそうなのに〉
「持ち主が現れなければ、いずれあなたの物になる目もあります。筋を通した拾い物は、あとで胸を張って飲めます。……そのときは味の感想だけ、ここへ」
〈とっくり: 了解です。明日、届けてきます〉
偽者を叱る夜より、正直者に筋を言う夜のほうが、声はやわらかく出る。安い机と冷める白湯の四畳半に、今夜はいい風が通っている。
閉窓は三時四十一分。締めの口上を言い、画面を落としたところへ、メールが一通届いた。会社の書式で、けれど今度は、警告ではない。
「ご報告まで。夜間当直の復活を上申しましたが、本日、却下されました。理由は費用です。年に、およそ四千万円。……個人としては、また書きます。保安部・網代」
四千万円。夜の値段である。高いと見るか安いと見るかは、どちら側の窓から夜を見ているかで決まるのだろう。俺は返信を三行書いて、二行消した。残った一行は、こうである。
「個人としては、次の書面もお待ちしています」
送信した画面の隅に、通知がひとつ重なった。配信はもう終わっている。終わった画面の隅で、古参の名前がひとつ、静かに点る。
〈宿六: あんた、夜窓が閉じとる昼のことを、考えたことがあるか〉
指が、止まる。
夜の声は、夜しか届かない。窓が閉じてからの長い昼、下で呼ぶ声の行き先を、俺は考えたことがなかった。
その宿題は六日後の夜、向こうから、やって来ることになる。




