13. 十四歳
火曜の夜は、第二回のツアーが入っている。俺は監視の口上から始めることにした。
二十三時四十分、二十三時四十分。時刻を言ってから、いつもより硬い声を出す。
「先に、お願いをひとつ。入域証のない方は、入らないでください。この放送は、入ってしまった人を帰すためのものです。……入る理由には、しないでください。私がここで言えるのは、それだけです」
〈金曜日: 今日の管制塔、声がこわい〉
〈よるくま: 増便だもんね。分かる〉
〈ひばり: わたしからもお願いします。夜の第九環、ほんとに暗いです〉
第二回は参加三十二、添乗二、ガイド二。〇時四十分、退域完了の一報が出た。二度続けて、会社の合理が通っている。
その十五分後である。
〇時五十五分、〇時五十五分。祝いの言葉が流れ落ちる中に、ひらがなだけの一行が挟まった。
〈かぶとむし: たすけて だいきゅうかんの みなみぐちがわ でんち にわり〉
「まず、遭難を宣言してください」
〈かぶとむし: そうなん しました せんげんします ふたりいます〉
二人。俺は短冊を二枚切り、片方の隅に二の字を丸で囲む。
「あなたを本日の第一便とします。お二人で一便です。本日の閉窓は四時〇二分。時間はあります。いま見えているものを三つ。動かないもの、文字、音。この順で。……ゆっくりで、かまいません」
〈かぶとむし: かべに あかいはこ ガラスのとびら なかにホース しょうかせん ってかいてある〉
〈かぶとむし: かたむいたはしらに まるいとけいのわく はりがない〉
〈かぶとむし: おとは みぎからかぜ とおくでみず〉
消火栓の箱と、針のない柱時計。頭の中で、地上の縮尺が動いた。送迎デッキの下、団体バスの乗降場の待合である。あの柱時計は、俺が毎朝見上げていたやつだ。
「位置、固定できました。第九環の南口側、送迎デッキの下です。……ゲスト通話、繋げますか? 声のほうが速い」
繋がった声は、変声期の途中で割れていた。
『……もしもし。すいません、あの、おれら、証、持ってなくて』
そこで一拍、間が空く。
『ばれたら、やばいっすよね』
白湯の湯呑みを持ったまま、俺は一月の面談室を思い出していた。効きすぎた冷房と、机に伏せて置かれた記録の束。規程の外で人を助けると、職を失う。あの日の学習は、まだ体のどこかに座り込んでいる。
いま俺がこの子たちを帰せば、無断入域を手助けしたことになる。通報すれば、この子たちは補導される。どちらの札も俺のものではないのに、どちらの札も俺の手の中にある。
一拍で足りる。四十九年ぶんの臆病より、二十四年ぶんの癖のほうが、少しだけ早かった。
「叱るのは、地上の大人の仕事です。帰すのは、私の仕事です」
『……はい』
息を吸う音が、回線の向こうで震えている。強がりを下ろす音というのは、どの年齢でも同じ形をしている。
「同時に、会社の窓口へ通報します。録音になりますが、朝の起点になります。それから、おうちの方へ文字を送ってください。文面は、無事だと、それだけで結構です。……いま送れますか?」
『送ります』
文字を打つ指の音が、しばらく続く。返事は、思ったよりすぐに来る。
「道を出します。口の現況は、今夜の板で南口が開。会社の表も開です。……宿六さん、送迎デッキの下から、どう出ますか?」
〈宿六: 待合の奥に、配管の走っとる細い道がある。あれを右に見て歩けば環廊じゃ。そこまで五百。環廊から南口までは一・九キロ、道なりよ〉
「出典は、見回りの目と会社の表、それに古参の歩き覚えです。私は迷宮を知りません。知っているのは、この三つが今日そう言っている、ということだけです」
合わせて二・四キロ。健脚なら一時間だが、この足では倍を見る。閉窓まで三時間ある。
「では歩きましょう。二人組は強いです。声を掛け合える相手がいると、人は馬鹿なことをしません。……先を歩くのは、足の元気なほうで」
『あ、こいつ、ちょっと足ひねってるんすよ』
「では、ひねっていない人が前です。前の人は、後ろの足音を数えてください。数が乱れたら止まる。それだけで、はぐれません」
歩幅を一定に、と言うと、二人の足音が本当に揃った。中学二年生というのは、指示に素直な生き物である。強がりの層が剥がれると、その下から出てくるのは、ただの子供だ。
毛細から環廊へ乗せ、環廊から主廊へ。復唱は最後まで乱れない。
「もうひとつお願いです。この便については、写真も切り抜きも出さないでください。声も、あとで消します。……未成年です」
〈ひばり: 了解です〉
〈回送: 南口、車まわしときます。メーター倒してません〉
〈よるくま: 足首は着いてから冷やす。歩いてる間は温かいままで〉
二時四十八分、口の灯が二人の声を明るくした。
「出口の灯を確認。第一便、着陸です」
『……ついた。ついたー!』
「よく歩きました。便名を返納します。ここからは、ただの、家に帰る中学生です」
保安部の若手が二人を受け、少し遅れて親の車が着く。閉窓は四時〇二分。
窓が切れる前に、割れた声が一度だけ戻ってきた。
『あの、おれら、ツアー行きたかったんす。一万二千円、無理で。……見るだけならタダかなって』
俺は返事を選び損ね、時刻だけを二度言いそうになる。星空は天井にあって、値段は地上にある。それを説明する言葉を、俺はまだ持っていない。
明け方、眠れずに画面を開くと、一枚のスクリーンショットが回り始めていた。片方の親の書き込みである。
――昨夜あの配信を見て、うちの子は迷宮へ行きました。深夜の配信者が、子供を煽ったんです。




