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12. 元、の付く男

 月曜の夜は、ツアーがない。ツアーがないと、画面は考察を始める。


 発端は、切り抜きに付いた一行だった。この人、時刻を二回言う。それを拾った誰かが、滑走路の呼び方に触れる。三四を「さんよん」と読む人間は、現場にしかいない。もう一人が、着陸という語の使い方を並べた。


〈金曜日: 名付け親として言うけど、俺は最初から気づいてた〉


〈よるくま: 嘘つけ〉


〈回送: 本人に訊けばいいのでは〉


〈ひばり: 訊いていいやつなんですかね、これ〉


 訊けばいい、という一行が、するすると画面を降りていく。


 隠していたわけではない。訊かれなかっただけである。……いや、嘘だ。訊かれたら答えるつもりで、訊かれない場所を選んで座っていた。三月三十一日に灯を消してから、俺は「元」の一字をずっと後ろ手に持っている。


 白湯をひとくち飲み、姿勢を直す。湯呑みの底が卓に当たる音が、自分の耳にやけに大きい。


「はい。元です。……元、は付きますが」


 画面が一拍、静まった。それから、流れが倍の速さになる。


「前の十二年は、国の航空管制官として、丘の上のタワーにいました。廃港のあと退官して、跡地を管理する会社へ移り、後ろの十二年は運航調整員です。会社では管制員と呼ばれていました。通算二十四年、無事故。三月三十一日付で、解雇されています」


〈ひばり: 二十四年〉


〈金曜日: 待って情報量が〉


〈よるくま: 無事故で解雇があるんだ〉


「クビの理由は、会社の記録では、移行計画への重大な不服従です。……それ以上は、いま話すと言い訳になります。話す日が来たら、話します」


 訊いた本人たちが、慌てて話題を畳みにかかるのが分かる。優しい人たちである。俺はその優しさに乗って、口上をひとつ挟んだ。


「いまの私は、無職の四十九歳です。肩書はありません。癖だけが残りました。……時刻を二回言うのも、その癖です。飛行機がいなくなっても、癖はいなくならない」


〈mih0: 元、は付きますが、って言い方するんですね〉


 流れの速い画面の隅で、その一行はすぐ上へ運ばれていく。


〈かんてん: すみません。第九環の〇四側です。はぐれました。電池は六割〉


 〇時四十九分、〇時四十九分。時刻を二度読んで、短冊を一枚切る。


「まず、遭難を宣言してください」


〈かんてん: 宣言します。遭難、しました〉


「ありがとうございます。あなたを本日の第一便とします。本日の閉窓は四時〇〇分。時間は十分にあります。いま見えているものを三つ。動かないもの、文字、音。この順で」


 ゲスト通話へ切り替えると、三十代あたりの、疲れた男の声が届いた。


『壁に……看板が斜めに埋まってます。プラスチックの、大きいやつ。字は、免税、の二文字だけ読めます。あとは瓦礫で隠れてて。音は、左のほうで水が落ちてます』


「免税店の看板ですね。第九環〇四側で免税の表示が出る場所は、旧第一ターミナルの南寄りに一箇所だけです。空港時代の十二年、あの前を毎日通っていました。位置、固定できます。……宿六さん、いらっしゃいますか?」


〈宿六: おる。そこからなら〇四の骨まで五百じゃ。骨に乗ったら口まで八百、道なりよ。水の音は左に置いたまま歩けばええ〉


「出典は古参の歩き覚えです。口の現況は、今夜の板でターミナル口が開。かんてんさん、選択肢は二つあります。ひとつ、いま座って水を飲み、五分置いてから歩き出す。ふたつ、このまま歩き出す。……決めて、声に出してください」


『……五分、休みます。座ります』


「復唱、ありがとうございます」


 あとは骨に乗せるだけである。毛細から環廊へ、環廊から主廊へ。一時四十八分、ターミナル口の灯。


「出口の灯を確認。第一便、着陸です。……便名を返納します。ここからは、ただの帰り道です」


 回送の車が口の前に着き、締めの口上を言って、四時〇〇分に窓が切れる。


 配信を落として二分後、卓の上で電話が鳴った。


 画面に、片瀬未帆と出ている。折り返せなかった番号である。俺は「もしもし」の高さを、とうとう決められないまま受話器を耳へ運ぶ。


『……知ってた』


 十一年ぶりの声は、十歳のときより低くて、俺の癖によく似た乾き方をしている。


『声で分かった。切り抜きの、最初の三秒で。……ずっと見てた』


「……ああ」


『出られなかった仕事って、こういうことしてたんだ』


 喉が動かない。二十四年、声を揺らさない訓練をしてきた人間が、揺らさないままで何ひとつ言えずにいる。運動会の日も、卒業式の日も、俺は夜の空を捌いていた。捌いていたものの正体を、この子はいま画面で見ている。


『じゃあ』


 通話は二分で切れた。何も解決していない。ただ、十一年ぶりに声を聞いて、番号が消されていなかったことだけが分かる。


 卓のいちばん隅の短冊を、指の腹でまっすぐに直した。


 通知がひとつ灯る。会社のお盆増便カレンダーである。十四・十五・十六日、三夜連続。その下に今夜の壁鳴り報告――十件。

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