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14. 記録の人

 水曜の朝、俺は無資格の煽動者になっていた。


 引用の数は四桁を超え、昼前には情報番組が触れる。無資格、という三文字が、また少し大きな活字で出た。事実である。事実であることが、いちばん反論しにくい。


 反論は、しなかった。書くべきことは全部、去年から一行残らずアーカイブにある。俺の仕事は記録を取ることで、記録の使い道は、記録を読む人のものだ。


 そう決めても、味噌汁の味はしなかった。昼まで四回、画面を開いては閉じている。二十四年、俺は自分の声が誰かに憎まれる商売をしてこなかった。無線の向こうにいたのは、いつも手順を知っている人たちである。声で憎まれるというのは、思ったより喉に来る。


 流れてくる文字の中に、一行だけ、指が止まるものがあった。あんたのせいで死んだらどうするんだ。


 どうもしません、とは言えない。二十四年、俺はその問いを毎晩、自分に向けてきた。答えが出た日は一度もなく、出ないまま席に座り続けるのが、この商売の作法である。


 昼過ぎ、常連の弁護士が箇条書きで降りてきた。


〈六法: 一、あの投稿は「昨夜あの配信を見て行った」と、順序を言い切っています〉


〈六法: 二、その順序は、時刻の記録で検められます〉


〈六法: 三、ですので皆さん、感情ではなく時刻で殴ってください〉


〈金曜日: 時刻で殴る〉


〈よるくま: この人いつも冷静で助かる〉


〈六法: 四、管制塔さんは黙っていてください。当事者の弁明は、いちばん弱い証拠です〉


「……黙ります」


〈金曜日: 従順〉


 殴ったのは、俺ではない。


 夕方には、検証の結果が表になって出回っている。前夜二十三時四十分の口上――入域証のない方は、入らないでください――が、音声と文字起こしの両方で掘り出されていた。遭難の報せは〇時五十五分。


 そして会社が出してきたのは、入域記録ではなかった。前夜のうちに俺が入れた通報の録音から、保安部が退域の映像を辿ったのだという。四つ目の約束が、今度は俺の側へ回ってきた。証のない二人に、入域の記録などあるはずがない。南口には、団体の退域を数えるために日没前後の映像だけを残す決まりがあって、二人はその端に写っていた。通過は十八時四十分。日が落ちる前である。


 順序が、逆なのだ。二人が口を通ったのは、昨夜の放送が始まるより前である。放送を見て入ったのではない。入ってしまってから、放送に来たのである。


 表は秒刻みで、出典が全部付いていて、色分けまでしてある。作ったのは検証班の共有アカウントで、誰の名前も出ていない。


 俺は表の左端を見て、白湯を持ったまま少し笑った。時刻の欄が、二回ずつ書いてある。二十三時四十分、二十三時四十分。


 誰かが、俺の癖を移している。


「六法さんに叱られますが、ひとつだけ。この表が言えるのは、昨夜の私の放送より前に二人が入っていた、それだけです。それ以上のことは、私にも言えません。……食い違っているのは、昨夜あの配信を見て行った、という一点だけです」


〈六法: 事実の範囲を狭める発言なら、結構です〉


〈ひばり: これ、出典まで全部付いてます。作った人、相当きっちりしてますよ〉


〈金曜日: 二回書きで身元がバレる時代〉


「私の癖は、どうやら伝染するようです。……悪いものではないと、思っておきます」


 夜、窓が開いてすぐ、ゲスト通話に一人入りたいという申し出があった。名乗りを聞いて、俺は姿勢を直す。繋ぐ前に、線を引き直しておく。昨夜、声まで消すと約束した相手の、親である。


「先に申し上げます。この通話も、あとで音声を落とします。お名前も、町の名前も、こちらからは伺いません。……昨夜と同じ線です」


『……あの、昨日の、母です』


「そこまでで結構です」


 声は、まだ震えている。


『申し訳ありませんでした。あの子から、全部聞いています。書き込みは消しました。……あの子が黙っていたので、私は、あなたが誘ったんだとばかり』


「お気持ちは分かります。夜中に子供が地下にいたら、誰かのせいにしないと、立っていられません」


『……はい』


「謝罪は、私にではなく、お子さんへお願いします」


『……あの子には、まだ、うまく言えなくて』


 言葉の途切れ方に、覚えがある。十歳の子に向かって、何と言えばいいのか分からなかった夜の、あの途切れ方だ。


「今日でなくて結構です。私も、十一年かかっている用件があります」


 一拍置いて、俺は昨夜の音を思い出しながら続ける。


「よく歩き切った子です。歩幅を一定に、と言ったら、最後まで守りました。後ろの足音を数えてください、と言ったら、一時間半、数え続けています。……あれは、なかなかできません。大人でもできない人がいます」


 通話の向こうで、息が詰まる音がした。それから、堪えきれない音になる。


 俺は、いつものように何も出てこない喉で、それを聞いていた。二十四年ぶんの訓練は、こういう夜にもきちんと働く。働かなくていい、と思う。


〈ひばり: 記録の人だ〉


〈金曜日: 記録の人〉


〈回送: 決まったな〉


〈よるくま: 無資格より字が多い〉


〈ひばり: 名刺作りましょうよ〉


「字が多いほうが、長く残ります」


 異名というのは、こうやって勝手に立つものらしい。悪くない響きである。少なくとも、無資格の三文字よりは、こちらのほうがまだ俺に似ている。


 いちばんよく効く反証を、俺はひとつ使えずにいる。あの子は昨夜、自分の声で動機を言った――一万二千円が無理で、見るだけならタダかと思った。あれを出せば、煽られた子供の話は一行で終わる。だが俺は、その声を消すと約束している。秘匿というのは、そういう値段のことなのだろう。


 その夜、便は来なかった。何も起きない夜がいちばんいい――と、口では言っている。言いながら、卓に並べる短冊がないと、指の置き場に困る。


〈かぶとむし: あしたから、ちゃんと講習うけます〉


 ひらがなでない一行を見て、俺はやっと味噌汁を思い出した。


 閉窓は四時〇三分。画面を落として玄関へ行くと、郵便受けに不在票が一枚入っている。


 内容証明郵便。差出人は、株式会社琴浜ゲートウェイ代理人、弁護士。件名の欄に、アーカイブの一部削除要請とあった。

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