8・幻想の終わり
8月16日、国会
この日、稚内武力攻撃事件による国会の緊急招集が行われた。
従来であれば、喜々として政権批判を行うであろう野党第一党は、先の汚点に端を発した代表交代問題で揉め、政局騒動を国会で起こす余裕など持ち合わせていなかった。
それ以外の野党も、共同声明に参加した党は軒並みお通夜の席のように静かだった。
ならば、敵失によって与党議員が明るい顔をしていたかと言えば、こちらもそうではなかった。
ここ数日、メディアはこれまでの狂騒がウソであったかのように事実ベースの報道に徹し、ことさら稚内事件を深掘りしようとはしなかった。
なにより、堅壱が糾弾を覚悟していた防衛出動の是非についてなど、腫れ物に触るような扱いに終始し、会見で語られたこと以上の何かに踏み込む事を恐れてすらいた。
そんな中にあって、経産新聞だけは別で、連日に渡って阿多琉の署名記事が連載され続けていた。
始まりとなった12日の朝刊は、稚内事件と防衛出動について。それから毎日、ベレンコ中尉亡命事件からこれまでの安全保障政策や有事研究、有事法制についての記事が続けざまに載せられていた。
16日、今日の朝刊は、過去を振り返る記事が一巡し、稚内事件における防衛出動の在り方についての内容が載せられており、現在の法令の不備、平時と有事の断絶状態などが扱われていた。
与党内において、その記事は衝撃を持って受け止められており、阿多琉が11日の夜に苛まれた悩み、落胆、挫折感など、改憲論議に参画した議員の多くが何らかの悩みを抱いて議場に座っていた。
前日、8月15日は終戦の日であった。
本来であれば、8月6日、9日と続いた反対派による猛烈な抗議が会場外で行われるのが常だったのだが、戦没者慰霊式典の会場周辺には、ほんの一握りの抗議活動家しか居なかった。
そして今日、国会の緊急招集という事態に際し、最大限の警戒が行われたが、抗議活動ではなく、野党有力政治家の警護にこそ、最大限の警戒を要した程だった。
右派団体や右翼を筆頭に、野党幹部を罵倒するような集団が国会周辺に集結しており、今も何やらスピーカーから発せられている。
しかし、堅壱たち閣僚の認識とはあまりにもズレた主張が繰り広げられていた。いや、ほんの数日前であれば、団体の素性を別にすれば、堅壱はじめ閣僚の多くも頷く様な主張であったことは確かである。
だが、今はそうではなかった。
いや、もはやそうは思えなくなっているというのが正確だろう。
これまで半世紀にわたる前例、慣習、そして安保関連法令の蓄積は、稚内武力攻撃事件において、ほとんど機能しなかった。
「野党の連中、静ですね」
堅壱よりも身構えていた小澄は、あまりの拍子抜けする現実に力が抜けてしまっていた。
「野党は存亡の危機だもの。外国軍を呼び込むことを提案してしまった手前、まさか事件の首謀者がその外国勢力だったなんて、どうやっても釈明できないじゃない。もう、彼らが何を言ってもウソにしか聞こえないのよ。仮に私の方が間違いであっても、オオカミ少年になってしまった彼らの声は、今や国民には届かないもの」
どこか自分に言い聞かせるように、堅壱はそう言葉を紡いだ。
それは、他人事ではなかった。
憲法9条への自衛隊明記など、全く抑止力には寄与しなかった。今にして思えば、大きな回り道になっている自覚さえあったのだから。
(私がやるべきだったのは、華々しい実績作りよりも、堅実な実務の積み重ねだったのかもしれない。でも、それももう・・・・・・)
堅壱は、もはや限界だった。
改憲を成し遂げたという達成感や充実感が脆くも崩れ去った今、新たに何かを築き上げるだけのモチベーションを保てずに居た。
今はただ、事件処理のためにロシアとの協議を行い、直近の政治空白を避ける。ただそれだけを支えとして職務に当たっているような状態だった。
ここから、新たな安全保障法制を自らがデザインを示して率いていくなど、もはや一歩も足を踏み出せる気がしていなかった。
だが、防衛大臣としてそれまでの頼りなさがウソであったかのように変身を遂げた様に見えていた小澄は、後継者とはなり得なかった。
彼も、今や自信喪失状態が誰の目にも明らかだったのだから。
11日の醜態は、以前の彼への退行そのものであり、彼自身、堅壱からバトンを受けるという意思を全く示そうとしていない。
「それでは、稚内武力攻撃事件に関する衆議院緊急会の開会を宣言します」
衆議院議長の宣言によって、国会が開会した。これから数日にわたって稚内事件のあらましや犠牲者数などが語られていく。
数百人を数える犠牲者数を前に、日本は新たな道筋をいかに立てるべきか、国会は明確なビジョンを示せてはいなかった。
日本国憲法は巨大な戦争による数百万という悲劇を礎として築いたハズだった。
だが、それは数日前、脆くも崩れ去ってしまった。
それを、堅壱政権による平和条項の破壊の結果と叫ぶことは出来るであろう。だが、憲法には自衛隊という言葉が書き加えられたにすぎず、長く維持された条文は、一文字も削られてはいないのである。
それは、果たして憲法を壊したことになるのであろうか?
自衛隊を憲法9条に明記する事によって、抑止力は強化されると信じる者たちも居た。
だが、それも空虚な願望に過ぎなかった事実が、稚内武力攻撃事件によって突き付けられてしまった。
致命的な欠陥を放置した大日本帝国憲法は、大きな悲劇を招き、数百万という犠牲者を生む結末を迎えてしまった。
では、日本国憲法の空虚な願いが崩れ去った今、2度目の犠牲を喜劇と見なす事が出来るであろうか?
国会議事堂に集う議員の誰もが、喜劇とは認めたがらないであろう。だが、現状を変更できなければ、それは喜劇としての犠牲を拡大する事に繋がってしまう。
誰もが明確なビジョンを描けない中で、堅壱は総理大臣として、どうにか今を乗り切ろうと席を立ち上がるのだった。




