6・自己満足と現実
8月11日23時、経産新聞社
阿多琉は、デスクで頭を抱えていた。
官邸での記者会見を終え、朝刊にあわせて記事を書かなければならないのだが、何を書けばよいのかまるで纏まらなくなっていた。
(これまで、私がして来た事は何だったんだ?何の為に、改憲推進の論調で記事を書いて来たんだ?)
20時に始まった会見は、反政権記者たちの怒号によって掻き消された。
阿多琉はそれを静かに眺め、彼らの末路を想像していた。
木頭らが、何を根拠に自衛隊によるクーデターや反乱を信じているのか理解し難かったし、米軍すら介入していない事件に対し、いきなり国際機関が介入する根拠など見出だせなかった。
敢えて想像するなら、平和安全法制、いわゆる集団的自衛権騒動に際し、日本の右傾化を嘆き、台湾有事問題に際して日本の大陸再侵略を憂いた彼女らは、それを阻止してくれる正義の使徒として、ロシアや中国に期待していたのでは?という推論に至ったのだった。
だが、それは竪壱総理が表明した通り、ロシア大統領との電話会談という事実によって瓦解した。
木頭の叫びは、もはや会場の記者にすら響かない、空虚なアジテーションと化していた。
阿多琉は、四半世紀に渡る改憲論議において推進論を唱えてきた。
それは、半世紀前に起きたベレンコ中尉亡命事件における自衛隊の醜態、とくに有事法制の不備から函館空港への奪還作戦が強行された場合、ほぼ自衛隊が動けない状態であった事実が根底にあった。
20世紀末から21世紀初頭にかけ、第一段となる有事法制、国民保護法制が整備され、後に平和安全法制によって強固になったと信じていた。
次に目指すべきは、改憲による自衛隊の合憲化である、と。
阿多琉はそれを信じて疑わなかった。
その実現が成った今春、達成感にも似た感覚が込み上げてきたが、今日の記者会見で、その信念も達成感も、何もかもが瓦解してしまった。
憲法を改正し、憲法9条に自衛隊を明記した。しかし、だからと言って今日の事態には対応出来なかったのだ。
考えの近しい竪壱総理や小澄防衛大臣には共感していたし、選挙においては共闘とも言える距離にあった。
しかし、今日の竪壱総理や小澄防衛大臣には、昨日までの自信に満ちた姿は見られず、たった1日で数年分も窶れている様にすら見受けられた。
淡々と説明を続ける総理の姿は、毅然とした態度というより、何もかもに疲れ果て、ただ惰性で言葉を紡いでいた感すら覚えた。
木頭らの罵声を受け流す姿にも、頼もしさよりも憐れさを感じるほどだった。
そんな木頭らが衛士に排除された後、静かになった会見の場において、さらに詳細な説明がなされた。
その内容は、今日の事件に際し、現状の法制は役に立たなかったという内容だった。
これまで阿多琉は、自衛隊が憲法9条によって縛られているものだと信じていた。
だが、憲法が改正された今日すら、未だ縛られたままだった。
結局、自衛隊を縛っていたのは憲法ではなく、自衛隊の手枷足枷を外す為にと整備されて来た法制こそ、枷になっていたのだと思い至る事になった。
急進的な木頭たちの居なくなった会見の場では、防衛出動に至る過程やその理由が問い質され、総理も大臣も淀みなく返答を行った。
それは、この半日足らずの時間内で起きた事態の濃密さと深刻さを表していた。
会見が進むにつれ、今日行われた措置こそが、半世紀前に批判された「超法規的措置」である実態が露わとなった。
20世紀末から進めてきた有事法制、そして今春成った憲法9条への自衛隊明記は何だったのか。
露わとなった今日の実態について、会見が進む毎に阿多琉の中には挫折感や落胆が迫り上がって来ていた。
会見の終盤、記者たちは竪壱を責め立てた。
自身の失策を超法規的措置で糊塗した姿は、確かにその通りだと言える。
しかし、では責め立てる記者に、果たして竪壱を責め立てる資格があるのかと問うてみれば、そんなものは見出だせなかった。
阿多琉は会見の終わりに、ついに耐えきれずに叫んでしまった。
「あんたら、何責め立ててるんだ。どんな資格があってそんな事をしているんだよ。今の欠陥だらけの法制すら批判してたあんたらが、何で総理を責める資格があるんだ!間違っていたのはあんたらだ!」
もちろん、記者たちから反論を食らう。
だが、それは具体性を欠く感情論でしかなかった。
「別にあんたらだけじゃない。私も同罪なのは自覚している。総理や防衛相もそうだ。誰も現実なんか見ていなかった。結局、みんな自己満足の中で動いていたに過ぎない。あんたらの主張が総理に勝ってんじゃない。みんな、現実の前に負けたんだよ!負けた者同士で責任のなすり合いをしてるだけなんだよ!!」
阿多琉にとってそれは、未だ閣僚に対して勝ち誇った様に責め立てる記者への敗者宣告であると共に、自分のこれまでを否定する敗北宣言でもあった。
結局、どれだけ想定を重ね、どれだけ条文や前例を積み重ねた所で、予想外の動きを見せる現実に全て対応するのは不可能だった。
「総理の言った自衛隊法第88条・・・・・・」
阿多琉は自衛隊法を検索し、その条文を確認する。
自衛隊法第88条
1 第七十六条第一項の規定により出動を命ぜられた自衛隊は、わが国を防衛するため、必要な武力を行使することができる。
2 前項の武力行使に際しては、国際の法規及び慣例によるべき場合にあってはこれを遵守し、かつ、事態に応じ合理的に必要と判断される限度をこえてはならないものとする。
「私の四半世紀は何だったんだ?本当に、あの努力は必要だったのか?この条文にある通り、戦時国際法を基幹に据えた有事法制こそが、日本には必要だったんじゃないのか・・・・・・、私は、これから何をすれば良いんだ・・・・・・」
これまでの記者人生が否定された様な挫折感に苛まれながら、それでも在るべき日本の姿を信じ、何とか朝刊の原稿と向き合おうと自問自答を続けるのだった。




