4・打ち砕かれた希望
8月11日18時、官邸
「防衛出動命令によって先発した偵察隊が、稚内市街の状況を確認しました」
統幕長は、堅壱総理に対してそう報告を行った。
そこは、映画で見る様なオペレーションルームでもなければ、報道陣に公開された情報センターでもなかった。
その様な設備を持った場所へ移動することも出来ず、堅壱は未だに総理官邸に閉じ籠っている。
「・・・・・・そうですか」
堅壱の表情は優れない。
自衛隊法第76条、そこには通常手続きとして国会承認を得て行われるものと、緊急事態に際して国会の事前承認なく命令できるふたつの防衛出動に関する仕組みが明記されていた。
ただし、防衛出動に際しては平和安全法制や国民保護法制という長年の積み重ねが存在している。
その中にあって、まずは武力攻撃事態の認定が必要になるのだが、今回の場合、その認定に必要な現地の状況確認が初動で行えていなかった。
これが映画や小説であったなら、稚内分屯地に在する勇敢な自衛官が、重要な情報を持って最寄りの駐屯地へと駆けこむのだが、残念ながらそのような幸運は起きていなかった。
さらに、偵察を行うもっとも最適な手段はスクランブル待機中の戦闘機を飛ばす事だが、旭川に在する第2情報隊によるドローン偵察機が訓練名目で半ば超法規的に即応したものの、不幸にも意図しない電波妨害により、現地を詳しく確認する間なく消息不明になったことで、戦闘機の緊急発進にも待ったが掛かっていた。
それはつまり、最悪の場合はロシア軍による侵攻が疑われ、平時の領空警備任務として戦闘機が飛び立てば、稚内へたどり着くより早くロシア軍戦闘機、ないしは稚内に侵攻してきた地対空ミサイル部隊によって撃墜される疑いが生じていた。
ならばと対妨害電波対策を講じるにも、電波法という壁があり、平時の行動として実行する事は、自衛隊法に認められる範囲を超えていた。
こうした事から、まず防衛出動を命じ、有事体制の中で自衛隊を行動させるほかなく、堅壱には「見切り発車での下令」というプレッシャーが圧し掛かっていた。
しかも、官邸に居る政治家は誰一人として、このような事態を事前に想定できていなかった。
遡ること数年まえ、堅壱が政権に就きすぐに行われた衆院解散に際し、公約の一つとして憲法9条への自衛隊明記を掲げていた。
選挙で勝利した後、経済対策の混乱や遅延から、最初の数年は期待が失望へと変わり、支持率は時を経るごとに低落傾向を示していたのだが、イラン戦争の鎮静化に伴う自衛隊派遣、ウクライナ戦争終結に伴う自衛隊派遣とタカ派色の強い政策によって支持率は持ち直し、満を期した衆参ダブル選挙を敢行して両院での過半数を得、改憲に前向きな野党も巻き込み3分の2を獲得した事で、悲願の憲法改正発議が叶い、今春ようやくそれが成ったばかりであった。
堅壱、小澄らは、国会での「自衛隊明記は自衛官の地位を高め、さらには格段の抑止力向上にもつながる」という答弁を固く信じていた。
なにより、衆参ダブル選の前後から周辺国による口撃は熾烈を極め、挑発的な演習も多数行われ、領海侵入や領空侵犯もその頻度を増していた。
それらは全て、しかし改憲反対派への追い風とはならず、与党を勝たせ、国民投票へも賛成多数をもたらす風となっていたのだ。
それはもはや、与党議員にとっては抑止力の高まりだという確信めいた自信すら齎していた。
だが、堅壱政権発足頃から、民間シンクタンクから改憲を急ぐよりも、自衛隊法や平和安全法制の見直しと改正を提言され、調査を求めた自衛隊からも、現行法の不備が報告される始末だったのだが、堅壱や小澄は、その様な雑音によって与党内における改憲潮流が勢いを失う様な事はしたくなかったのだ。
仮に、提言や報告の実行が最善手であったとしても・・・・・・
結果、今回の事態を聞いた瞬間「改憲したのだから、これでうまく自衛隊が動いてくれるはずだ」という期待感が、堅壱や小澄の頭に湧き上がって来た。
だが、現実はそうは動いてくれなかった。
官邸に集まる稚内、宗谷海峡周辺の情報は、平時の法制で自衛隊が動けるものではなく、あまつさえ、メディアは事態を自衛隊の反乱と断定的に報じ、政権批判を繰り広げはじめていた。
この様な状態では、迅速な国会召集と防衛出動の承認など行えない。かと言って、明確な「武力攻撃事態」という確たる根拠も見いだせない。そんなジレンマの中、時間だけが過ぎ、取り乱す小澄防衛相の姿を横目に、堅壱は防衛出動の命令を下した。
それが、12時45分の事であった。
だが、それだけで自衛隊が即応できるわけではない。
現行法ではあまりに制約が多すぎ、簡単に動けなかった。
そこで、摘まみ食いの形で民間シンクタンクから寄せられていた提言の一部を借用し、自衛隊法第88条にある「国際の法規及び慣例によるべき場合にあってはこれを遵守し、かつ、事態に応じ合理的に必要と判断される限度において・・・・・・」という条文を拡大解釈し、半ば超法規的に自衛隊が自由に動くことを認めるに至った。
こうした経緯を経て、防衛出動を命じたことは混乱や妨害を避けるために一切公表することなく、15時頃には三沢基地において準備が整ったF-35による稚内周辺の偵察と「必要な措置」が実行されるに至った。
15時40分ごろには、稚内空港において確認した妨害装置らしき不審な機材を見事に破壊し、地上部隊が妨害電波の消失を確認して行動を開始した。
その中に、国民の避難誘導は含まれていない。混乱と渋滞を避けるため、警察を配しての交通規制だけが粛々と行われていたのである。
そのため、事態解決の暁には、堅壱は英雄としての称賛ではなく、断罪が待ち構えていることを自覚し、目の前の現実に対して前向きに考えることが出来なくなっていた。




