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幼馴染を憐れむごっこなら、家族だけでしてください  作者: 九葉(くずは)


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第6話

あの土手の日から、二週間ほどが過ぎた。

約束通り案内した裏通りのパン屋で、焼きたての硬いライ麦パンを買い、粉をこぼしながら二人で笑って食べた。その日のことを思い出すと、今でも口元が緩む。

その後、マティアスから「急ぎじゃないときだけでいい。うちの椅子の座面袋を縫ってくれないか」と、きちんと手間賃の出る仕事を頼まれた。週に二日、無理のない数だけを受け持つ。父は月々いくらかの仕送りを続けてくれていたが、自分の針で稼いだ銀貨は、掌に載せたときの重みが違った。


その日の午後も、アデーレは工房の隅で、新しい座面袋の端を縫い留めていた。

開け放した入口の敷居を、硬い靴音が踏み越えてきた。

「こんなところにいたのか、アデーレ」

顔を上げると、仕立てのいい薄青の上着を着たオスカーが、眉間に皺を寄せて立っていた。木屑と塗料の匂いに、露骨に鼻を鳴らしている。

「オスカー様。何のご用でしょうか」

立ち上がったアデーレに構わず、彼は不快そうに工房を見回した。

「探すのに苦労したよ。子爵邸を訪ねても、君の居場所は教えられないと言われてね。この辺りで君を見かけたと従僕が言うから、半日歩き回ったんだ。馬鹿な真似はよせ。いくら意地を張ったところで、子爵家の令嬢がこんな薄暗い工房で下働きまがいのことをして、何になる」

侮る言葉にも、アデーレは眉ひとつ動かさなかった。

「父と取り交わした書面の通り、婚約は正式に解消されております。私がどこでどう暮らそうと、オスカー様には関わりのないことです」

「書面なんて、大人同士の体裁だろう!」

オスカーは苛立ちを隠さずに一歩踏み出した。

「母上が困っているんだ。近所のご婦人方を招いて、フリーダを励ます慈善集会を開くことになっている。なのに準備が少しも進まない。飾り幕の縫い物も、お配りする品の手配も、招待客の席次も、使用人たちは誰も分からないと言う。言われたことしかしない連中ばかりだ」

アデーレは黙って聞いていた。どれも、去年まで自分が夜なべをして片づけてきた仕事だった。

「それに、フリーダがどうしても集会に出たくないと渋っている。今度だけでいい、戻って手伝ってくれ。君の手際が必要なんだ。君なら、あの子をうまくなだめて連れ出す方法も分かるだろう」

以前なら、その必死な声に胸を痛めたかもしれない。自分が断れば誰かが困る。自分が少し無理をすれば丸く収まる。そんな古い癖が、一瞬だけ顔を出した。

アデーレは手元の布を握り直し、問い返した。

「フリーダ様は、その集会を望んでおいでなのですか。ご本人のお声を、お聞きになりましたか」

「聞いたさ。だが、あれは病気で気が弱くなっているだけだ。幼馴染のあいつのことは、君より僕の方がずっとよく知っている」

オスカーは取り合わず、アデーレの手元の布を指さした。

「こんな木屑だらけの場所で端切れを繕うより、僕たちの側で人助けをする方が、ずっと誇らしいはずだ。君の居場所はここじゃない」


作業台の向こうで、マティアスが鉋を置いた。

灰色の目は険しくオスカーを捉えていたが、彼は前に出なかった。アデーレの代わりに答えようともしない。アデーレが一度だけ目を向けると、彼は小さく顎を引いた。

あんたが決めろ。そう言われた気がした。

アデーレは深く息を吸い、手元の青い布を作業台に置いた。


「お手伝いはいたしません」

低い声だったが、工房の板壁によく響いた。

「フリーダ様が出たくないと仰っているなら、それがご本人のお気持ちです。そのお気持ちを無視して飾り立てる集会に、私が貸せる手はありません」

「君は、いつからそんなに冷たい人間になったんだ!」

オスカーは顔を歪めて吐き捨てた。

「僕たちの親切を踏みにじって、婚約していた間の義理まで捨てるのか」

「義理でしたら、解消の書面を交わした日に済んでおります。お引き取りください」

オスカーはなおも何か言いかけた。

そのとき、マティアスが黙って歩いてきて、半分開いていた入口の戸を大きく押し開けた。オスカーとアデーレの間には立たない。外へ出る道を空けただけだ。

「ここは家具の仕事場だ。注文の用がないなら、帰ってくれ」

怒鳴りもせず、凄みもしない、職人の平らな声だった。それがかえって、伯爵家の子息の面子を削ったらしい。

オスカーは舌打ちし、戸口で一度だけ振り返った。

「後で泣きついてきても、知らないからな」

木屑の浮いた床を蹴るようにして、彼は通りへ出ていった。


靴音が遠ざかり、通りを行く荷車の音にまぎれて消えた。

アデーレは長く息を吐いた。作業台についた指先が、細かく震えている。

「情けないですね。あんなに偉そうなことを言ったのに、本当は足がすくむほど怖かったんです」

何年もかけて体に染みついた癖に逆らうのは、思っていたよりずっと疲れることだった。

マティアスが何歩か近づき、アデーレの隣で足を止めた。

「……そばにいていいか」

アデーレは小さく頷いた。それから少し迷って、彼の捲り上げたシャツの袖を、指先でつまんだ。硬い木綿越しに、腕の温かさが伝わってくる。

マティアスは腕を引かず、困ったように頭を掻いた。

「言っとくが、縫い手がいなくなると困るから心配したわけじゃないぞ」

「え?」

「あんたがここに来なくなったら、俺が嫌だっただけだ」

ぼそりと落とされた本音に、アデーレの胸が大きく跳ねた。袖をつまむ指に、勝手に力がこもる。

全部を言葉にしなくても、二人の間の何かが変わり始めているのは分かった。


それから数日後の、夕暮れどきだった。

工房の戸口に、小さな影が差した。

「アデーレ様」

立っていたのは、ハミルトン家の初老の従僕に付き添われた、フリーダ・ハミルトンだった。

顔色はまだ青白いが、日暮れ前の短い散歩なら主治医の許しが出たのだという。工房の場所は、フリーダが子爵邸へ手紙を出して、子爵から直接教わったのだと、従僕が丁寧に頭を下げた。

オスカーには教えなかった場所を、父はこの少女には教えたのだ。

フリーダは細い肩をショールで包み、アデーレを見つけると、まっすぐに目を向けてきた。

「アデーレ様、お願いがあって参りました。でも、私の代わりに何かをしていただきたいのではありません」


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