第8話 帰還と討伐隊
エリシアが一人で谷に残ってから、二日後。ようやく谷は静かになった。
その気配を辿ってメルキテウスが亀裂へ着いたとき、周囲には戦いの跡だけが残っていた。岩は砕け、地面は焼け焦げ、ところどころが黒く染まっている。
その中に、エリシアは倒れていた。
メルキテウスはすぐにそばへ膝をついた。脇腹の傷は塞がっておらず、呼吸も浅い。
「……まったく」
傷へ手をかざすと、淡い光がエリシアの身体を包み、傷口から滲んでいた血がゆっくりと止まった。
「帰るぞ、エリシア」
メルキテウスが杖の先を地面につけると、二人の足元に光が広がった。
眠ったままのエリシアは、何も答えなかった。
*
それから、四年。
「おはよう、エリシア」
メルキテウスの声に、エリシアがゆっくりと目を開けた。すぐ後ろには、シルフィもいる。
「……シルフィ」
「エリシア……よかった……」
シルフィが少し泣きそうな顔で笑う横で、メルキテウスはエリシアの顔を覗き込み、目元に手をかざした。
「気分はどうじゃ」
「……うん、平気」
少し間を置いてから、メルキテウスが続ける。
「早々に悪いが、今回はちと急を要しておる」
「……化身?」
「ああ」
エリシアは身体を起こし、脇腹へ一度だけ手をやった。
「じゃあ、行かないと」
「待て。お前の身体はまだ戻りきっておらん」
「大丈夫、動ける」
「動けるのと、戦えるのは別じゃ」
エリシアが黙った。
「しばらくは調整が要る。今のお前を化身の前には出せん」
「……どのくらい?」
「それは、やってみんことには分からん」
「……わかった。でも、なるべく早く」
*
地上は、まぶしかった。
久しぶりに浴びる陽の光が目に痛い。人が多く、皆が当たり前のように笑い、喋りながら歩いている。その明るさに、俺はうまく馴染めなかった。
王都には戻らなかった。公爵家の門をくぐる気に、どうしてもなれない。
剣だけは振れた。地の底で、それしかしてこなかったのだから。名も家も伏せたまま冒険者の真似事をして、魔物を狩り、依頼をこなし、日銭を稼いだ。
その頃、何度か組むようになった女がいた。カタリナという、ギルドでは名の知れた剣士だった。俺が一人でどこかへ行こうとすると、決まって横から口を出してくる。
「放っとくと消えるわね、あんた」
そう言って勝手についてくるのを、俺も追い返さなかった。
愛だの、恋だのではなかった。だが、無関係でもなかった。いろいろなものを曖昧なままにして、その数か月を過ごした。
*
ギルドから呼び出しがかかったのは、そんなある日だった。
「国からの依頼だ。北西部で、見たことのない魔物が増えてるらしい。大規模な調査で腕の立つ奴を集めてて、お前にも頼みたいって話になってな」
北西部。
その言葉に、五年前の谷が頭をよぎった。
「……どの辺りだ」
詳しく聞くと、あの谷からそう遠くない場所だった。
*
指定された場所には、見覚えのある男がいた。かつての上官だった。
向こうも俺に気づき、しばらくこちらを見る。
「……ガルフォードか?」
上官は改めて俺を上から下まで眺めた。
「……何があった」
「今回の調査は、何なんですか?」
周囲に人がいないことを確かめてから、上官が声を落とす。
「お前には、先に話しておく。……化身だ」
「……化身」
「前回から、まだ五年しか経っていない」
五年。
あのときは、二十七年ぶりだと聞かされた。それが今度は、たった五年だ。
「早すぎる、と研究所は言っている。だから――今回は、人を多く出す」
*
ざっと二、三十人はいる。騎士だけでなく国軍の兵も、見るからに荒くれた冒険者風の男たちもいた。俺と同じように、ギルドから集められた連中だ。詳しいことは現地で段階的に知らされるらしく、口外は固く禁じられていた。
五年前は、三人だった。
細い娘と、小さなエルフと、俺。それだけで化身のいる谷まで行った。今回は、この人数だ。
――エリシアがいれば。
そう思いかけて、その考えを捨てた。あの人は、もういない。死んだ人間のことを考えても、仕方がない。
「ガルフォード」
声をかけられて振り返ると、カタリナが立っていた。彼女も駆り出されたらしい。
「帰ってきてたなら、言いなさいよ」
「……昨日、依頼から戻った」
「だから、昨日言いなさいって言ってるの」
カタリナが俺の腕を軽く小突いた。慣れた手つきだった。
俺は何も言わなかった。黙って消えれば怒られる。それくらいの距離には、いつの間にかなっていた。
出立は翌朝と決まった。任務は北西部で急増している眷属の発生源を探ることで、まずは被害が相次いでいる山間の町へ向かうという。
それが、表向きの話だった。
*
同じころ、研究所にも調査隊が発ったという知らせが届いていた。
エリシアはそれを聞くと立ち上がり、壁に立てかけてあった剣を手に取った。
「行くの?」
シルフィが訊いた。
「うん」
「師匠、まだ駄目だって言ってたよ」
エリシアは剣を腰に帯びた。その拍子にほんの一瞬だけ脇腹を押さえ、すぐに手を離す。
部屋の入り口には、メルキテウスが立っていた。
「まだ、身体が完全には戻っておらん」
「……もう、目覚めてから一年経つ」
「エリシア」
エリシアは老人の横をすり抜けた。
「調査隊のほうが先に出たんだから、仕方ないでしょう」




