第9話 再会
三日目の午後、隊は森の際で眷属の群れに囲まれた。
黒い獣が、木々のあいだから次々と湧いてくる。犬とも狼ともつかない、影のような四つ足で、赤い目だけが暗がりにいくつも光っていた。
俺は前へ出た。今度は、剣が届く。一体目を斬り伏せ、そのまま返す剣で二体目を仕留める。
だが、倒しても倒しても、木々の奥から黒い影が現れた。いつの間にか隊列が崩れ始め、後ろで悲鳴が上がる。振り返ると、国軍の兵が地面に倒れ、その上へ獣が跳びかかろうとしていた。
俺は地を蹴った。
――間に合うか。
強くなったつもりだった。それでも、この人数を一人では守れない。
そのとき、横合いから光が走り、獣の群れがまとめて吹き飛んだ。五年前、俺の目の前で闇を押し返した、あの光だった。
「全員、下がって」
その声に、足が止まった。
光の来たほうへ顔を向けると、薄い金の髪が風に揺れていた。
見間違えるはずがなかった。何度、思い出したか分からない。脇腹を赤く染めた背中も、振り返った青い目も、最後に聞いたあの声も。
その人が、目の前に立っていた。
*
エリシアは、こちらを見もせずに剣を振るっていた。
群れがみるみる薄れていく。地の底で見てきた実力者たちが束になっても敵わないほどの、あの強さのままだ。細い体のどこにそんな力があるのか、今でも分からない。
最後の一体が影になって消えると、突然現れて群れを薙ぎ払った女を、隊の誰もが呆けたように見ていた。
エリシアは剣を下ろし、隊のほうへ向き直った。
「まだ本調子じゃないから。ヘマはしないで」
そう言って、俺のほうへ歩いてくる。
「ガルフォード?」
名前を呼ばれても、返事ができなかった。
何か言わなければと思った。生きていたのか。どこにいた。どうして誰も教えてくれなかった。あのあと、どうなった。いままで、ずっと、俺は。
どれも口から出なかった。
目の前にいる。声も聞こえる。生きている。手を伸ばせば届く距離なのに、一歩が詰められない。腰の剣が、ひどく重く感じた。
あの時とは違う。そう思って、ここまで来た。伸ばした手が届かなかったあの日を、二度と繰り返さないために。
その先に、死んだと思っていた本人が立っている。
なら俺は、何のために、あそこまで――
そこまで考えて、やめた。
*
エリシアは、しばらく俺を見上げていた。それから、少し首を傾げた。
「……なんか、雰囲気変わったね」
「ほんとですよ! 私、最初、誰かと思いましたもん!」
後ろからシルフィが顔を出した。この明るさは、変わっていなかった。
「そんなにか?」
「そんなにです。前はもっと、普通の騎士さんでしたよね?」
シルフィが、悪気なく言う。
普通の騎士。確かに、あの頃の俺はそれだけだった。
「……五年、経ったからな」
「そう」
エリシアは、それだけ返した。その五年のことも、俺が何を抱えてきたのかも知らない。
話しているあいだも、目が勝手にエリシアを追っていた。呼吸が少し深い。右へ体重を移すとき、一拍だけ遅れる。戦闘を終えたあとには、その手が一度、脇腹へ行っていた。
あの時と同じ場所だった。
「――まだ治ってないのか」
気づけば、そう口にしていた。
「何が?」
エリシアが、不思議そうに俺を見る。
「脇腹の傷だ」
エリシアは自分の脇腹をちらりと見た。
「傷は、もう塞がってる」
「外じゃない」
少しのあいだ黙って俺を見ていたが、やがて目をそらした。
「……ガルフォードには、関係ない」
そう言って、離れていった。
関係ない。その言葉だけが、残った。
今も、自分のことは一人で決める。
やけに腹が立った。生きていたことが嬉しいはずなのに、目の前にいるだけで十分だったはずなのに。自分でも、うまく説明がつかなかった。
少し離れたところで、カタリナがこちらを見ていた。目が合うと、ふいと顔をそらす。
「何だ」
「……別に」
声が、少し尖っていた。
*
夕方になって、隊は野営の準備に入った。
カタリナは少し離れたところにガルフォードを見つけ、声をかけようとした。だが、どこか上の空で、こちらにも気づかず何かを見つめている。
その視線を追うと、野営地から少し外れたところに、エリシアが一人で立っていた。沈みかけた陽を眺めていて、風が吹くたびに髪が揺れる。
細い体だった。あれほどの魔物を一人で退けた女には、とても見えない。
もう一度ガルフォードを見ると、その目はまだエリシアに向いていた。
「……なによ」
声をかける気には、なれなかった。




