終章 1 帰路
街を出るとき、通りにはまだ紙の灯りが残っていた。火の落ちたものが縄にぶら下がり、それを一つずつ外して回る男がいる。祭りの終わった街は、来たときよりも人が少ない。
エリシアは御者台に座り、畳んだ外套を膝に置いて、その上に両手を乗せている。
門を抜けて、街道に出た。
しばらくして、エリシアが後ろを向いた。座ったまま体をひねり、遠ざかっていく街を見ている。屋根と、その向こうの王城の輪郭が、坂の分だけ低くなっていく。
「また、来たいな」
俺は前を向いたまま、手綱を握り直した。
「ああ。来年でもいいぞ」
エリシアがこちらを見る。
「いつでも連れていってやる」
「うん」
体を戻して、また前を向く。そのうち肩が俺の腕に触れ、そのまま離れなかった。
「エリシア。疲れてないか?」
「まだ出たばかりよ?」
国境の門を行きより早く抜け、出てすぐの木陰で馬を止めた。
「休むの?」
「馬に水をやる」
桶を提げて汲みに行き、戻ってくると、エリシアは御者台に座ったままこちらを見ている。
「……本当に馬?」
「いいから、乗ってろ」
昼過ぎに街道沿いの店へ入り、エリシアの皿が空になるまで、俺はそれを見ていた。
「ガルフォード。見すぎ」
「そんなに見てたか?」
午後になって隣の声が途切れたので見ると、エリシアの頭が少し下がっている。すぐに顔を上げたが、またゆっくり傾いてくる。
日が高いうちに、宿場町へ入った。
「今日はここまでだ」
「もう休むの?」
「ああ」
エリシアは何か言いかけて、やめた。
夕食は宿の下で済ませた。部屋へ上がり、明日の服を椅子の背に掛けているあいだに、エリシアは髪を梳かして先に寝台へ入った。俺が隣に入ると、寝台が軋む。
「ねえ、ガルフォード」
「なんだ」
「今日、私そんなに疲れてるように見えた?」
「ああ。家まではまだ何日かかかるからな。初日から無理しないほうがいい」
「……そっか」
腕を回して引き寄せると、エリシアは素直に寄ってきた。
「もう寝ろ」
「うん。おやすみ」
腕の下で向きを変えると、それきり動かなくなった。寝息が聞こえてくるまで、そう長くはかからなかった。
*
朝、目を覚ますと、エリシアも隣で目を開けていた。支度をして、並んで下へ降りる。
卓につくと、エリシアは俺と同じ朝食に、何かの実を煮たものまで付け足した。
「そんなに食えるのか」
「食べる」
半分よこされた。甘くて、少し酸っぱい。
その日は普通に進んだ。昼前に一度歩いて、水辺で馬に水を飲ませる。午後は小さな町に寄って、市を端まで見た。
「絵の人の町、ここじゃないよね」
「もっと先だ」
町を出てすぐ、道の脇に花が咲いているのを見つけて、行きにも同じのがあったと言う。
「疲れてないか?」
「さっきも聞かれたよ」
「そうだったか?」
「うん。これで三回目」
それから、日が落ちるまでは聞かなかった。
*
その日の宿は、川沿いの町にあった。夕食のあと部屋へ上がると、エリシアは寝台の端に座って、足を上掛けの上へ投げ出す。俺も隣に腰を下ろした。
エリシアが体を傾けて、俺の肩に頭を乗せる。髪がまだ少し湿っていた。指を通して耳の上で止めると、エリシアが顔を上げた。
口づけて、一度離れてから、もう一度した。二度めは長くなり、離れたあとも少し間が空いた。
「……もう寝るぞ」
「どうして?」
「昨日、疲れてただろ」
「昨日はちゃんと寝たよ」
エリシアは離れなかった。俺の襟のところを掴んで、そのまま引く。
「ガルフォード」
「なんだ」
「私、平気だから」
そう言って、自分から口づけてきた。角度がずれて歯が触れ、エリシアは小さく笑ってやり直す。二度めは、俺のほうから深くした。背中へ腕を回して、そのまま抱き寄せる。
灯りを落とした。
夜更けに上掛けを掛け直すと、エリシアは眠ったまま腕のところへ寄ってきた。
*
朝になっても、エリシアは起きなかった。窓を開けても、声をかけても、上掛けの中から返事だけは聞こえる。そのうち目を開けたが、そのまま動かない。
「エリシア、起きられるか?」
「起き……られる」
そう言って肘をついたが、身体は半分も起きないうちに枕へ戻った。
「今日は出ない。もう一日休む」
「どうして? 私、歩けるよ」
「駄目だ。起き上がれないだろ」
「でも、帰るのが一日遅れる」
「別に急いで帰る必要もない」
「……そっか」
「宿にもう一泊すると言ってくる」
エリシアは上掛けを口のところまで引き上げて、しばらくそうしていた。
「じゃあ、お昼から出かけよう」
下へ降りて宿の女にそう伝え、部屋へ戻ると、エリシアはまた眠っていた。
昼には起き出してきたので、二人で町を少し歩いた。夕方、川沿いで日が落ちるのを眺めながら聞く。
「明日は朝早く出ようと思うが、大丈夫そうか?」
「うん」
*
翌朝は、肩を揺すられて目が覚めた。
「ガルフォード。起きて」
窓の外は白みはじめたばかりだった。うなって寝返りを打ち、隣にいたエリシアを腕の中へ引き寄せる。
「……朝早く出るって言ったの、ガルフォードでしょ」
腕の中からそう言われて、ようやく目を開けた。朝食を済ませたところで、声をかける。
「そろそろ行くか」
「うん。今日は体もだいぶ楽」
「だからって無茶するなよ」
昼前に、絵描きのいた町へ入った。広場の隅には、前と同じ男が絵を立てかけている。馬車が止まりきらないうちに、エリシアは御者台から降りようとした。
「まだ動くな」
「あ、ごめん。待つね」
止まってから降りて、まっすぐそちらへ歩いていく。男はエリシアの顔を見て、片手を上げた。
「また来てくれたのか」
「うん」
並んだ絵は前と何枚か入れ替わっていて、高台から見た川の絵は端のほうへ移されていた。エリシアはその前で足を止める。
「これ、ください」
俺が財布を出す前に、エリシアは自分の袋から硬貨を出し、一枚ずつ数えて男の手に載せていった。男は絵を布でくるんで、紐をかける。
「日の当たらないところに掛けてくれ。色が抜ける」
「分かった。ありがとう」
包みを受け取ると、エリシアは両腕で抱えて馬車へ戻った。荷台に積もうとすると首を振って膝の上に載せ、町を出てからも両手を包みの上に置いていた。
午後は、長い道が続いた。
「エリシア」
「なに?」
「帰ったら、これからのことを一緒に考えよう」
エリシアがこちらを見る。
「お前がどうしたいかも聞きたい」
前の道へ目を戻し、少し黙った。
「うん。そうだね」
そう言って、また俺の腕に寄りかかった。
*
王都へ着いたのは、五日目の夕方だった。予定より一日遅れていた。
馬車を厩の者に預け、絵の包みだけはエリシアが自分で抱えた。先に立って屋敷の扉へ向かうので、その背へ手を添える。エリシアは何も言わず、避けもしない。
屋敷へ入ると、母が階段の下にいた。俺たちを見て、何か言おうとしてやめる。視線がエリシアの抱えた包みへ移り、それから、背に添えたままの俺の手で止まった。
「二人とも、おかえりなさい」
「ただいま戻りました」
「ただいま」
母はそれを聞いて、笑った。
「楽しかった?」
「うん」
母はそれ以上は尋ねなかった。
夕食のとき、エリシアが灯りの話を始めた。橋にも並んでいたことや、歌が聞こえてきたことを、母は途中で口を挟まずに聞いている。
話し終えると、母はエリシアを見た。
「良かったわね」
「うん」
部屋へ戻ると、エリシアは包みを解いて、絵を壁に立てかけた。




