第48話 不死の星が地上に降りるとき
しばらく、どちらも動かなかった。ガルフォードの髪はまだ濡れていて、首筋に少し水気が残っている。
「……ガルフォード」
「なんだ」
言うまでに、少し迷った。
「私、あなたに触れたいんだと思う」
ガルフォードの肩が、わずかに動いた。
「……いいのか?」
「うん」
ガルフォードは私を見ているだけで、自分からは動かない。だから、私から手を伸ばした。
左の眉の上に指を置く。そこには縦に走った傷があって、指の下の皮膚が少しだけ硬い。傷をなぞった指を、そのまま髪の白い筋に沿って上へ滑らせた。
それから頬に手を当てる。湯の熱が残っていて、指の腹が温かくなった。ガルフォードはじっとしている。息だけが、少し速い。
私は顔を近づけた。
最後のわずかな距離は、ガルフォードが埋めた。
唇が触れた。頬に当てていた手まで熱くなる。
口づけるのは久しぶりだった。マナが流れ込んでこない。何も渡されない。触れているところだけが残った。彼の唇が、私の唇の形をなぞるように動く。
一度離れて目が合い、そのまままた重なった。ガルフォードの手が後頭部に回って、指が髪へ入る。もう片方の手が背中を支え、私も彼の背中に手を回した。
息が続かなくなって、少し顔を引く。それでも離れきらない。額が触れたままで、もう一度。
私は目を閉じた。自分の心臓の音が、耳の内側で鳴っている。ガルフォードの呼吸が頬に当たり、手が背中から腰のあたりへ下りていく。
離れる理由は、どこにもない。髪を掻き上げた指が耳の後ろで止まり、そこを親指で押されると、身体が勝手にガルフォードのほうへ寄った。唇が離れたとき、自分の声が漏れたことに気づいた。
「エリシア」
目を開けると、ガルフォードがすぐ近くで私を見ていた。
少しだけ間があった。
「愛してる」
「私もよ」
私はガルフォードの首の後ろへ手を回した。
*
目を覚ますと、窓の隙間から朝の光が入っていた。ガルフォードの腕はまだ私の上にあって、背中に彼の胸が触れ、首の後ろに寝息がかかる。少し身じろぎすると、回っていた腕に力が入り、耳もとでかすれた声がした。
「……起きたのか」
「うん。ガルフォード、起きてた?」
「ああ。でも、まだ早い」
そう言って、私を抱き寄せ直した。髪に顔を埋められ、くすぐったくて身をよじると、腕がもう一度締まる。
「ねえ、ガルフォード」
「なんだ」
「朝ごはん、食べに行こう?」
背中越しに笑う気配がした。
「昨日、あれだけ食べただろう」
「でも、お腹空いたの」
少しして、こめかみに唇が触れた。ようやく腕がほどけ、ガルフォードが寝台を下りて窓を開けると、外はよく晴れていた。
下の食堂へ降りると、カタリナが卓を拭いている。赤ん坊は背中の布に包まれて、よく眠っていた。
「カタリナ」
「おはよう、どうしたの?」
「王家のお墓って、どこにあるか分かる?」
カタリナは卓を拭く手を止めた。
「古い王家の? 王城の裏の丘のほうにあるけど」
「そこって入れる?」
「祭りのあいだは入れるよ。花を供えに行く人もいるし」
カタリナは少し不思議そうな顔をしたが、それ以上は聞いてこない。
「花なら、坂の途中に売ってるとこがある」
「分かった。ありがとう」
*
朝食のあと宿を出ると、ガルフォードが当たり前のように私の手を取り、指のあいだに指を入れてきた。通りでは男たちが屋台の骨組みを片づけていて、昨夜あれだけいた人も、もうほとんどいない。
坂の途中で花を買い、三つに分けて束ねてもらった。店の女が差し出した花は、私より先にガルフォードが受け取る。
「自分で持てるよ」
「手がふさがるだろ」
つないだ手を、少し持ち上げてみせた。
「……そうね」
肩が触れるくらいの近さで、そのまま坂を上る。道が広くなっても、手は離れなかった。
やがて木立が見えてきた。ガルフォードが足を止める。
「ここか」
「たぶん」
つないでいた手を離し、花を受け取った。
王家の墓は、木立の中にあった。石を敷いた道が木のあいだを縫って続き、葉の隙間から朝の光が落ちている。足が、自然と遅くなる。
道の脇には、ぽつぽつと人がいた。年配の男が古い墓碑の前で頭を下げ、親子連れが石段を上がっていく。若い女は花を置いて、すぐに戻っていった。
奥へ行くほど、墓碑は古くなっていく。その途中で、兄の名前を見つけた。
アレクシス。
石は角が丸くなって、文字は浅い。それでも読めた。私は花の束を一つ置いてしゃがみ、しばらくその名前を見ていた。
それから、さらに奥へ進んだ。いちばん古い墓碑が、二つ並んでいる。
カシウス。
オーレリア。
兄の石よりも、文字はさらに浅かった。私は二つの墓碑の前にしゃがんで、残りの花を一つずつ供えた。
「……私、がんばったのよ」
石の下に落ちていた枯れ葉を、手で払う。
「すごく時間、かかっちゃったけど」
膝に手を置いて、少し背筋を伸ばした。
「ちゃんと、守りきれたの」
言ってしまうと、思っていたより普通の声だった。風が通って、頭の上の木々が揺れた。
私は立ち上がって、父と母の名前をもう一度見た。それから、母の石の縁を指で撫でた。
後ろで、ガルフォードが動いた。私の横を通って墓碑の前へ出ると、背筋を伸ばし、騎士の礼を取る。剣を持っていないから、右手を胸に当てるだけの形だ。
「ガルフォード・アインベルグと申します」
私は少し驚いて、その横顔を見た。
「アルヴェスタンの騎士です」
ガルフォードは石を見ている。
「エリシアと、これから一緒に生きます」
胸に当てた右手に、少しだけ力がこもった。
「守るためではありません。俺が、そうしたいからです」
言い終わると、ガルフォードは頭を下げ、そのまましばらく動かなかった。
ガルフォードが体を起こして、こちらへ向き直った。そして、私に手を差し出す。
私はその手を見た。大きくて、傷の多い手だ。自分の手をその上に重ねると、ガルフォードの指が私の手を包んだ。私も握り返す。
木々の隙間から差した光が、重ねた手の上に落ちていた。
私はガルフォードを見上げて、笑った。




