第46話 建国祭、肖像画
朝、宿を出ると、通りはもう人で埋まっていた。
昨日吊るされていた紙の灯りが縄の上に並んでいたが、まだ火は入っていなかった。その下では、露店の者たちがそれぞれ台を組み、店開きの支度をしている。列に割り込んだ子どもが、後ろの大人に襟をつかまれていた。
今日は、アデリナが祭りのために用意してくれた生成りの服を着ている。前を合わせて紐で留めるだけの、飾りのない形だった。その上から薄い外套を羽織り、フードを上げた。人の多いところでは、そのほうが楽だった。
通りを進むにつれて、人の流れは少しずつ遅くなっていった。前の人との間が詰まって足が止まり、横から来た誰かの肩が私の肩に当たる。ガルフォードが私の手を取った。私も握り返して、人の間を抜けた。
王城へ続く道には案内の立て札が出ていて、本日は大広間と回廊を開放すると書かれている。門のところには列ができ、番兵が数えながら人を通していた。私たちもその列に並んだ。
後ろに並んだ女は、連れている子どもに自分も母親に連れてきてもらったことがあると話していた。あのころは冠が出ていなかった、今年は出ているらしい、と。
列は少しずつ進んだ。
番兵は私の顔を見なかった。前の親子を通したときと同じように、片手の指を一本折って私を数え、それで終わった。
*
門をくぐると、石畳の広い庭に出た。両側に植わった木はまだ細い。植えられてから、まだそれほど経っていないのだろう。
「エリシア。こっちだ」
ガルフォードが人の流れを見て言った。私はフードを下ろし、その後ろについて階段を上がった。
回廊に入ると、左手に窓が並び、そこから庭が見えた。天井は高く、梁の木組みが交差している。
私は足を止めた。
「……ここ」
「どうした」
「前は、なかったと思う。この階段」
「覚えてるのか?」
「たぶん」
ガルフォードは階段を一度見て、それ以上は聞かなかった。私もまた歩き出す。
石の色も窓の形も、私の知っているものではない。壁も白く塗り直されている。ただ、歩いていくと、床がほんの少し傾いているところがあった。
そこだけは、覚えていた。
*
回廊には、古い品が並べられていた。欠けた食器、使われていない王冠、鞘の飾りが取れた剣、色の褪せた織物。それぞれに札が添えられ、いつの時代のものかが書かれている。
見学の人たちはそこをゆっくり進んでいく。前の女が子どもに、これは昔の王様の冠だと教えていた。
途中に、青い縁取りの入った皿が並べてあった。
「これ、食卓に並んでた」
「……そうか」
ガルフォードも足を止めた。皿は五枚あって、そのうち二枚だけ縁の色が濃い。端の一枚は、少し欠けている。しばらく見てから、また歩き出す。
その先の壁に、大きな肖像画が掛かっている。私はその前で立ち止まった。
四人だった。背の高い椅子に座った男と、その横に立つ女。椅子の後ろに少年が一人、女の膝の前には小さな女の子が立っている。絵の具は所々ひび割れ、額の金も黒ずんでいる。それでも、顔は分かった。
父は長い指を椅子の肘に置き、母は片手を女の子の肩に置いている。兄は父の椅子の後ろに立ち、王太子らしく着飾っているが、頬にはまだ少年らしい丸みが残っていた。
「……お父さま」
ガルフォードが隣に並ぶ。
「お母さま」
ガルフォードも、私と一緒に絵の中の顔を追っている。
「お兄さま」
「この人たちか」
「うん」
兄の顎の線は、父に似ている。それから、母の前に立つ女の子を見た。
「……私」
「似てるな」
「そう?」
「面影がある」
ガルフォードは絵と私を見比べている。私はもう一度、絵の中の女の子を見た。髪の色は、たしかに同じだ。
「よろしければ、ご説明いたしましょうか」
横から声がした。文官の服を着た年配の男が、細い帳面を手に立っている。
「失礼。ずいぶん熱心にご覧になっていたもので」
男は軽く頭を下げ、城の史料を預かっている者だと名乗った。それから、私と絵を見比べる。
「お嬢さん、この肖像画の王女殿下によく似ていらっしゃいますね」
私はガルフォードを見た。ガルフォードも私を見て、それから肖像画へ視線を戻した。
「似てる。髪も目も、そのままだ」
「ええ。あまりにも似ていらっしゃるので、ほんとうに驚きました。もっとも、三百年も昔の方ですから、まさかご本人というわけにはいきませんが」
史料官はそう言って笑った。
「……そうですね」
私も言った。ガルフォードは何も言わなかった。
「この肖像画は、足を止める方が多いのですよ」
「なぜですか?」
「旧王家の、行方知れずとなった王女殿下ですから」
史料官は絵の中の四人を順に示した。
「この方々は、三百年前にこの国を治めていた旧王家でございます。今の王家とは別の家で、こちらの血筋はもう続いておりません。王カシウス。王妃オーレリア。王太子アレクシス。そして、王女殿下」
最後に、女の子のところで手が止まる。
「王女殿下は、まだ幼いうちに国を離れられました。それきり、故国へ戻られることはなかったとされています」
「どこへ行ったんですか?」
「そこが、はっきりしないのです。記録には、国の安寧に関わる重要な使命のため遠方へ赴かれた、とだけ。その後のことは、ほとんど残されておりません」
「それだけ?」
「ええ。当時の記録は、王女殿下についてだけ妙に曖昧なのですよ。誰かが伏せたものか、長い年月のうちに失われたものか。そこまでは、私にも分かりません」
ガルフォードは、絵のほうを見たままだった。
「あの」
私は聞いた。
「今日のお祭りと、この王家は関係があるんですか?」
「ございます。王女殿下が国を出られたあと、王妃オーレリアさまは、娘の帰りを待ち続けられたそうです」
私は絵の中の女を見た。
「夜になると窓辺に灯りを一つ置いて、歌を歌っておられたと、お側に仕えた侍女が書き残しています。王妃さまが亡くなられたあと、その侍女が城下の広場で歌ったのが始まりだと言われています。歌だけが、城の外に残りました」
史料官は窓のほうへ目をやった。
「灯りのほうは、いつの間にか町の者も置くようになったそうです」
私は、もう一度母を見た。
やがて史料官は別の見学者に呼ばれ、軽く頭を下げて離れていった。私は肖像画の前に残った。
絵の中の母は、笑っていなかった。口の端がわずかに上がっているだけで、目のあたりは動いていない。画家がそう描いたのかもしれない。
母が泣いているのを見たのは、一度だけだった。
後ろを、見学の人が通っていく。子どもが走り、そのあとを追う足音が回廊の奥へ抜けていった。次の人たちが絵の前へ来て、少し見て、また進んでいく。
私は動かなかった。ガルフォードも、隣にいた。
「……お母さまが?」
母が女の子の肩に置いている手を、しばらく見ていた。
*
しばらくして、私たちは次の絵へ進んだ。隣に掛かっていたのも、大きな肖像画だ。私は足を止め、見上げたまま動けなかった。
「……ガルフォード」
「どうした?」
「お兄さまが、おじさんになってる」
ガルフォードが絵を見る。
「……本当だな」
肖像画の中の男は、父が座っていたのと同じ形の、背の高い椅子に座っていた。肩幅が広く、腹のあたりが少し出ている。頭には王冠を載せ、口の下から顎まで立派な髭をたくわえている。
私は絵に近づいた。
「……お髭」
「立派だな」
「こんなふうになっちゃったんだ」
「そりゃ、最初の肖像画では子どもだっただろ」
「うん。もっと細かった」
「ずいぶん貫禄がついたな」
おかしくなって、少し笑った。隣の絵の、椅子の後ろにいる少年をもう一度見てから、髭の男の前へ戻る。
「同じ人か」
「同じ人よ」
絵の中の兄はこちらを見ている。細くも若くもなくなっていたが、目の形だけは、隣の絵の少年と同じだった。
「……偉そう」
「王様だからな」
兄の顔から目を移す。その絵は、兄一人ではなかった。椅子の横に女が立ち、その前と横に子どもが並んでいる。
「……お兄さま、結婚したんだ」
「そうみたいだな」
「子どももいる」
「何人いる?」
「……一、二……三人」
「賑やかだな」
いちばん背の高い子はもう少年で、真ん中の女の子は母親の手を握っている。いちばん小さい子は、女の腕に抱かれていた。
私は一人ずつ見ていった。
「この子、お兄さまに似てる」
「どこが?」
「目元がそっくり」
「ああ。似てるな」
真ん中の女の子は、髪の色が明るい。
「この子は、誰にも似てない」
「そういうこともあるだろ」
「そうね」
兄の隣にいる女を見る。背は兄より低く、顎が細く、髪をきちんと結い上げている。空いたほうの腕で、いちばん小さい子を抱き寄せていた。
「こっちは、お義姉さまかな」
「そうかもしれないな」
その先にも絵が並んでいた。次の絵には、もう髭の兄はいない。若い王が同じような椅子に座り、その傍らに女と子どもたちがいる。それでも、王の目の形は少しだけ兄に似ていた。
その次の絵になると、もう知らない顔だった。椅子のそばには、やはり家族がいる。さらに先の絵にも、また別の家族がいた。絵の下には、それぞれ王の名と、描かれた年を記した札がついている。
私は、絵から絵へ順に見ていった。父の後ろに立っていた少年。髭を生やした兄。その隣の女と、三人の子ども。それから、知らない顔が並んでいく。絵の中の顔は一枚ごとに少しずつ入れ替わりながら、壁の端までつながっていた。
「……こうやって、命は受け継がれていくのね」
「ああ。何代もな」
私はまた兄の絵を見た。三人の子どものうち、いちばん小さい子はまだ自分の足で立っていなかった。子どもたちの顔を、もう一度見比べる。
「この子、お父さまにも少し似てるかも」
「どの子だ?」
いちばん小さい子を指すと、ガルフォードが絵に近づく。
「……ああ。鼻のあたりか」
「そう。そこ」
ガルフォードはその絵から最初の肖像画へ目を移し、小さく笑った。
「……どうしたの?」
「いや。エリシアが楽しそうだと思って」
少し考える。
「……うん。楽しい」
「そうか。なら、もう少し見ていこう」
私たちは、その絵の前にしばらくいた。子どもたちの名前は札になく、結局分からないままだった。それでも私は、いちばん小さい子の鼻のあたりをもう一度見た。
*
城を出るころには、日が高くなっていた。庭の細い木のあいだを通って、門のほうへ歩く。入ってくる人の列は、朝よりも長くなっている。
「エリシア、腹は?」
「……減った」
「なら、屋台を見て回るか」
「うん」
門を出ると、通りはさっきよりも混んでいた。どの屋台の前にも人が集まり、遠くで太鼓を叩く音がしている。私は屋台を三軒ほど覗いてから、粉を練って鉄板で焼いたものに蜜をかけている、四軒目の前で足を止めた。
「これが食べてみたいな」
「二つか」
「ううん、一つ。半分あげる」
ガルフォードが代金を払って焼けたものを受け取り、私に渡してくれる。歩きながら一口かじると、外側が固くて、中はやわらかかった。
「食べる?」
手に持ったまま口もとへ差し出すと、ガルフォードは少しかがんで、そこからかじった。
「甘いな」
「うん」
残りを二人で食べ終えるころ、通りの上に渡された縄が目に入った。紙の灯りは、朝のまま並んでいる。私は足を止めて、それを見上げた。
「ガルフォード」
「なんだ」
「今夜、灯りを見に行きたい」
「ああ、分かった。それまで少し休もう」
私はもう一度、灯りを見上げた。まだ、どれにも火は入っていなかった。




