第45話 カタリナとの再会
門を抜けても、何も起きなかった。
道の幅も土の色も手前とほとんど同じで、荷車が通り、人が歩き、道端では犬が寝ている。
「……知らない場所みたい」
「三百年だからな」
「でも……ちょっとだけ、知ってる」
どこが、とは言えない。木の植わり方かもしれないし、屋根の傾き方かもしれない。ガルフォードは「そうか」とだけ言って、馬を進める。
午後のあいだ街道を行き、夕方にはセレスティアの王都に着いた。昔の面影を探すより先に、祭りの支度が目に入る。通りには縄が渡され、そこに紙の灯りが吊るされていく。子どもが台の下から縄を引っ張って、大人に叱られていた。
*
その宿は、通りから一本入ったところにあった。馬を預けて中へ入ると、一階の食堂はもう半分ほど埋まっていて、足元に荷を置いたまま食べている客もいる。
前掛けをして袖をまくった女が、空の皿を何枚か重ねて奥から出てくる。
「いらっしゃい。お泊まり?」
「部屋を取ってある」
「ああ、ご予約の――」
言いながら顔を上げた女の足が、そこで止まった。
「……カタリナ?」
「……うそでしょ。久しぶりね」
皿を卓に置き、前掛けで手を拭いてから、ガルフォードのほうを見る。
「あんたも。久しぶり」
「ああ」
カタリナの目が、白くなった前髪と眉の上の傷へ順に動いた。
「……ずいぶん、物騒な顔になったじゃない」
「まあな」
カタリナのほうも、髪は短くなり、腰には剣がない。少し丸くなった頬を見ながら、何を言えばいいのか考えていた。
奥から、赤ん坊の泣く声がした。
「あ、ごめん。ちょっと待ってて」
カタリナは奥へ引っ込むと、布に包んだ赤ん坊を片腕に抱いて、すぐに戻ってきた。泣き声は、もうほとんど聞こえない。
「……赤ちゃん?」
「うん。私の子」
カタリナは当たり前のように言って、赤ん坊を軽く揺する。
厨房から男が顔を出した。
「カタリナ、この樽どこだ?」
「奥。昨日の隣でいいよ」
「分かった」
男が引っ込んでいく。
「うちの人。この宿の息子」
「そうなんだ」
「まあ、その……いろいろあって」
カタリナはそれ以上言わず、私も聞かなかった。
*
部屋へ荷を運び終えたところで、宿の主人がガルフォードを呼んだ。馬のことらしい。
「エリシア。すぐ戻るから、少し待っててくれ」
ガルフォードが階段を下りていく。私も下の食堂へ戻って隅の卓につくと、カタリナが赤ん坊を抱いたまま、向かいに腰を下ろした。
赤ん坊の手が布の隙間から出ていて、小さな指が何度か開いては閉じる。
「……あのときは、ごめん」
カタリナが先に言った。
「討伐隊のとき。私、あんたの指示、聞かなかったでしょ」
「もう、気にしないでいいよ」
「それと……ありがとう」
カタリナは赤ん坊の背を軽く叩いている。
「あのとき、退けって言ってくれて」
私は何も言わなかった。
「あのあと、しばらくギルドの仕事してたんだけど、南のほうへ流れてきて、この街で足を止めて。そのうち、そこの男に捕まって」
厨房のほうを顎で示す。
「で、これが生まれた」
「そうだったのね」
厨房からまた声がした。
「カタリナ、こっちの酒、開けていいか?」
「そっちは駄目。奥の樽!」
「ああ、こっちか」
赤ん坊を抱いたまま振り返って答え、またこちらを向く。
「見れば分かると思うけど、剣はもう握ってないんだ」
「……」
「たまに、手が勝手に腰へ行くけどね」
空いた手で前掛けの端を折り返す。爪は短く、指の付け根には、まだ硬くなったところが残っている。
「あのまま意地張ってついていってたら、たぶん、こうなってなかったと思う」
赤ん坊が小さく声を出した。伸びてきた指をカタリナの指が受けると、小さな手がそれを握る。私はその手を見て、それから自分の手を見た。
「私はね……」
「うん」
「もう、何もできなくなっちゃった」
カタリナが顔を上げる。
「力もないし、強くもないし……全部なくなっちゃったんだ」
口にしてから、何を言いたかったのか、自分でもよく分からなくなった。カタリナはしばらく私を見ていた。何か言いかけて、口を閉じる。
赤ん坊が身をよじって、卓の縁に手を伸ばした。カタリナがその手を戻しても、また伸びてくる。三度ほど繰り返して、カタリナはあきらめたように、赤ん坊を抱く腕の位置を変えた。
「……そうだ。建国祭、見に来たんでしょ? 結構いいよ」
「そうなの?」
「夜に灯り出すと、まあ、綺麗だし。歌もあるし」
「歌?」
「一人だけ歌う人がいてね。みんなで、それを聞くの」
「みんなは歌わないの?」
「歌わないよ。そういうもんなの」
カタリナは赤ん坊の頭を、手のひらでゆっくり撫でた。
「私も前から知ってたんだけど、この子が生まれてから、ちょっと聞こえ方が変わったんだよね」
「どういうふうに?」
カタリナは少し考える。
「ずっと待ってたんだろうな、って思うんだよね。あれ作った人」
私は、赤ん坊の頭に置かれた手を見ていた。
「どこにいても、元気でいてほしかったんだろうな、とか。まあ、私が勝手にそう思ってるだけだけどさ」
何と返せばいいのか分からなかった。
「あと、祭りの間は王城の宝物も見られるよ」
「王城?」
「年に一回だけ開けるの。古いものが色々あるって。せっかく来たんだから、行ってみたら?」
「……行ってみようかな」
階段のほうから足音がして、ガルフォードが戻ってきた。卓の横まで来たところで、食堂を子どもが二人、走り抜ける。
「こら! 走らない!」
カタリナが声を張ると、腕の中の赤ん坊がびくりとして、また泣き出した。ほとんど同時に、厨房からも名前を呼ばれる。
「ああもう。……ちょっと待ってなさい! 今行くから!」
赤ん坊を抱え直し、走っていった子どもたちのほうへ声を投げながら、厨房へ入っていく。ガルフォードが、その背中を見送った。
「……あいつ、変わったな」
「うん、そうだね。幸せそう」
私は卓の上で手を組んで、しばらくそのままでいた。窓の外では、まだ灯りを吊るす作業が続いている。さっきまで何もなかった縄に、紙の灯りが一つ、また一つと増えていた。
「ガルフォード」
「なんだ」
「明日、お城に行ってみない?」
ガルフォードが、こちらを見る。
「宝物が見られるんだって。年に一回だけ開けるって」
「分かった」
そう答えて、ガルフォードは私の向かいに腰を下ろした。通りのほうで、また子どもが走っていく音がした。




