第44話 生国へ
二日目は、御者台に並んで座った。
道は昨日よりも起伏があって、登り切るたびに景色が変わる。遠くには低い山が続き、そのあいだを流れる川が、ときどき日に光っていた。
「少し寄っていくか?」
「急がなくていいの?」
「祭りには間に合う」
ガルフォードは前を向いたまま答える。
その日は、何度か街道を外れた。高台から遠くを眺め、水辺でしばらく風に吹かれ、小さな町では広場に並んだ店を端から端まで見て歩いた。
広場の隅で、男が何枚もの絵を立てかけて売っていた。山や川、この辺りの景色を描いたものらしい。
「あ、ここ」
一枚の前で足を止めた。遠くに低い山が続き、その手前を川が曲がっている。
「さっき見たところだよね」
「あの高台から見た川だな」
「帰りにも、寄れるかな」
「ああ。帰りも同じ道だ」
絵を並べていた男が顔を上げた。
「あそこはよく描きに行くんだ。しばらくはこの町にいるから、また見においで」
道に戻ってしばらく行くと、丘の斜面に木が固まって生えているのが見えた。
「あそこ、寄ってみたい」
「分かった」
馬車は道をそれて、草の上をゆっくり進んでいく。
*
最後に寄ったのは、草の短い、西へ開けた丘だった。日が低くなって空が端から色を変え、雲の縁だけが明るく、下の畑にはもう影が伸びている。
「……綺麗」
ガルフォードは何も言わずに、隣に立っていた。しばらく見ているうちに、足がだんだん重くなってきた。
「ガルフォード」
「なんだ」
「今日は、もう休みたい」
「分かった。少し休んでから宿を探そう」
ガルフォードが草の上に腰を下ろす。私も外套の裾を敷いて、その隣に座った。地面は思ったほど冷たくない。
日は畑の向こうへ半分まで沈み、それから残りもゆっくり見えなくなった。空に残った赤い色が、少しずつ細くなっていく。下の道を、荷馬車が一台通り過ぎていった。
「エリシア、寒くないか?」
「うん、平気」
風は出ていたが、外套の前を合わせれば足りる。ガルフォードは膝に肘を置いて、同じほうを見ていた。
赤い色が抜けきったころ、顔を上げると星が出ていた。見ているうちに、少しずつ数が増えていく。
「……星」
ガルフォードも空を見上げる。
「ねえ、あっちのほうが多いよ」
「そっちが暗いからだろ」
「そういうもの?」
「ああ」
私はもう一度そちらを向いた。目を離すと、どれがどれだったのか分からなくなる。さっき見ていた星を探して、見つけて、また目を離す。そうしているうちに、空はすっかり暗くなっていた。
風が強くなって草が一斉に鳴ると、ガルフォードが先に立ち上がり、こちらへ手を差し出した。
「エリシア、そろそろ行こう」
「うん」
その手を取って立ち上がり、草を踏んで坂を下りるあいだも、離さなかった。
*
三日目は、朝から曇っていた。
道が広くなり、荷を積んだ馬車や、南へ向かう人が昨日より増えている。みんな祭りに行くのだと、宿の女が言っていた。
あたりの景色は、私の知っているものではなかった。町の位置も、道の通り方も違う。畑だったはずのあたりに、家が並んでいる。
昼を過ぎたころ、道が高いところへ出ると、その下に大きな湖が見えた。曇っているせいで水面は灰色に近く、対岸は霞んでいる。岸のあたりに小さな舟が何艘か浮いている。
「……あの湖」
「知ってるのか?」
「たぶん」
ガルフォードが手綱を緩めて、馬の歩みを遅くする。
私はしばらく湖を見ていた。形を覚えているわけでも、名前が出てくるわけでもない。それでも、見たことがあると分かった。
「小さい頃、お父さまと、お母さまと……お兄さまと、来たことがある」
「……そうだったのか」
ガルフォードはそれ以上聞かなかった。湖が木立の向こうに隠れて見えなくなるまで、私はそちらを向いていた。
そのあとも、川の曲がり方や遠くの丘の並びに、何度か目が止まった。ガルフォードが何か言うたび、返事が少し遅れる。それでも馬車は、同じ速さで進んでいた。
その日の宿は、国境の手前の町にあった。夕食のあと、部屋で荷を解きながら聞く。
「国境は、明日?」
「ああ。昼前には着く」
「……そう」
灯りを落としてからも、目が冴えている。窓の外では、祭りへ向かう人たちの足音が遅くまで続いていたが、やがてそれも聞こえなくなった。
寝返りを何度打ったか分からなくなったころ、少しだけ、ガルフォードのほうへ身体を寄せた。
腕が回ってきて、抱き寄せられる。ガルフォードは何も聞かず、そのまま動かない。私はその胸元に顔を寄せて、目を閉じた。
眠れたのかどうかは、覚えていない。気がついたときには、窓が明るくなっていた。
*
四日目は、晴れた。
馬車が動き出してから、ガルフォードが何度かこちらを見た。いつもより少しだけ多かったが、お互い何も言わなかった。
昼前、道の先に石造りの門が見えてきた。街道をまたいで立ち、その手前に列ができている。荷車が並び、役人が荷を検めている。門の向こうにも、同じ道が続いている。ただの道だった。
ガルフォードは列の少し手前で馬車を止めた。
「少し、歩くか」
「うん」
馬車を降りて、列の脇を二人で門のほうへ歩く。あと二十歩ほどというところで、足が止まった。進むつもりでいたのに、前へ出ない。ガルフォードも隣で止まる。
門の向こうでは、荷を通し終えた馬車が動き出し、役人が次の一台を呼んでいる。風が門の柱のあいだを抜けて、列に並んだ馬が首を振った。
しばらくして、ガルフォードが言った。
「……無理に行かなくていい」
私は門を見たままだった。
「ここまで来たからって、入らなきゃいけないわけじゃない」
それだけ言って、ガルフォードはまた黙る。役人が二台、三台と荷を通していき、列が短くなっては、また後ろへ伸びていく。
私はもう一度、門の向こうを見た。両側に木が植えられた白っぽい道を、人が歩いている。子どもが走り出し、後ろから大人の声がして、呼び戻される。
「ガルフォード」
「なんだ」
「待たせてごめんね。行こう」
「ああ。分かった」
私は馬車のほうへ歩き出した。ガルフォードが隣に並ぶ。
手は、引かれなかった。




