第43話 二人旅
朝、侍女が入ってきたとき、旅装はまだ椅子の背に掛かっていた。
「おはようございます、エリシア様。お召し替えのお手伝いに参りました」
「おはよう」
寝台から下りて、椅子の背の旅装に手を伸ばす。
「お願い」
侍女はそれを見て旅装を手に取り、着替えを手伝ってくれた。袖を通し、襟元を整えてもらう。最後に裾を直してもらって身体を動かしてみると、思っていたより軽く、窮屈なところもなかった。
「よくお似合いです」
最後に、外套を腕へ掛けてくれた。
表では、ガルフォードが馬車の脇で車輪のあたりを覗き込み、荷を留めた紐を確かめていた。足音に気づいて、顔を上げる。
「準備できたか」
「うん」
ガルフォードは私の旅装を一度だけ見て、紐へ視線を戻し、最後の一本を締め直した。
「なら、出るか」
ガルフォードが鞄を馬車の後ろへ押し込むのを横で見ていると、屋敷からアデリナが出てきて、私の外套のフードを持ち上げ、深さを確かめる。
「これは深めに作らせました。日が強いときにも使えますし、人の多いところではいちいち見られなくてすみますから」
肩のあたりの縫い目を指で押さえ、袖の長さを見てから、私と目を合わせた。
「疲れたら、すぐ休むのですよ」
「うん」
「具合がおかしいと思ったら、我慢しない」
「うん」
アデリナは一度うなずいて、念を押すように続けた。
「ガルフォードのそばを離れないように」
私は瞬きをした。
「そんなに心配しなくても、大丈夫よ」
「いいえ、こういうことはちゃんと言っておかないと」
アデリナはフードを下ろして、私の襟を整える。
「あと、慣れない土地で、一人でどこかへ行かないこと」
少し間が空いた。
「……分かりました」
それでようやくアデリナが手を離すと、扉の前の段にいたヴァンデルが降りてきて、ガルフォードの前で足を止めた。
「エリシアを一人にするな」
「……はい」
ヴァンデルはうなずいて、そのまま家の中へ戻っていく。ガルフォードは、その背中が扉の向こうへ消えるまで見ていた。
*
馬車は小さく、二人と荷が乗ればそれでいっぱいになる。御者も護衛もつけず、ガルフォードが御者台に上がって手綱を取った。
王都の門を抜けると、道の両側から少しずつ建物が消えていく。
馬はゆっくり進む。後ろから来た荷馬車に追い越され、その荷馬車も、しばらくすると道の向こうへ小さくなっていった。
昼前に街道沿いの木陰で一度止まり、水を飲んで馬にも飲ませてから、また進む。そのころには、振り返っても王都の壁はもう見えなかった。
*
午後、麦の畑が続く道に出た。刈り入れの前らしく、穂は丈高く伸びている。風が渡るたびに、穂が道の向こうまで順に揺れていく。私はしばらくそれを見ていた。
「ガルフォード」
「なんだ」
「ちょっと歩きたい」
「疲れないか」
「あまり遠くには、行かないから」
ガルフォードは手綱を引いて、馬を路肩へ寄せた。
「じゃあ歩くか」
馬を木につないで歩き出すと、すぐにガルフォードが手を差し出した。私はそれを取った。
土の道は乾いていて、踏むたびに靴の底で細かな音がする。ガルフォードの歩幅は、私に合っていた。ときどき荷馬車が横を通り、御者が軽く手を挙げると、ガルフォードも挙げ返す。車輪の音が遠ざかると、また麦の擦れる音が聞こえてきた。
道端に、名前を知らない花が固まって咲いていた。しゃがんで見ていると、ガルフォードも、つないだままの手ごと隣にしゃがむ。
「小さくて、かわいいね」
「そうだな」
立ち上がって、また歩いた。畑の切れ目まで来たところで、足が重くなってきた。
「そろそろ、馬車に乗ろうかな」
「ああ」
馬車まで戻る道も、手はつないだままだった。
*
その日の宿は街道沿いの宿場町にあり、一階が食堂になっている。宿の女が運んできたのは、焼いた魚と、豆のスープと、くるみの入ったパンだった。
「この魚、なんだろう?」
「川魚だろ」
「へえ。食べてみようかな」
骨を外して身を口に入れると、皮のところが香ばしくて、思ったより脂がある。
「これ、おいしい」
「そうか」
ガルフォードの皿には、肉の煮込みが乗っている。
「それも一口ちょうだい」
寄せてくれた皿から、一口分すくって食べる。
「どうだ」
「こっちは、ちょっとしょっぱいね」
「魚のほうが合ってるってことだろ」
「そうかも」
皿を戻して、今度はスープを飲んだ。
食べ終わってからも、昼間歩いた麦畑の話をした。
「あの花、なんていう花だったんだろうね」
「さあな。俺も知らん」
「ガルフォードも知らないんだ」
「花には詳しくない」
そんな話をしているうちに窓の外はすっかり暗くなり、食堂を出て二階の部屋へ上がった。
*
部屋は二階の奥で、寝台が一つと、小さな机と、洗面の桶がある。
窓を開けると、下の通りから馬のいななきが聞こえてくる。誰かが荷を降ろしているらしく、ときどき木箱のぶつかる音もする。それ以外は静かだった。
私が先に横になっても、ガルフォードはなかなか寝台へ来ない。荷を確かめ、扉の鍵を見て、それからもう一度、荷のところへ戻る。
「ガルフォード」
「なんだ」
「どうしたの? 早く寝よう」
荷の紐に触れていた手が止まった。
「……いや」
しばらくして灯りを落とし、ガルフォードも横になる。寝台が軋んだ。
背中を向けているわけではないが、こちらを向いてもいない。今日はいつもより歩いたせいか、目を閉じるとすぐに眠ってしまった。
目を覚ますと、窓の外はもう明るく、下の通りでは荷車が動いている。
朝は普通に来た。




