第3話 小さな戦闘、放っておけない
異変は、昼過ぎに起きた。
道の先で悲鳴が上がった。目を向けると、荷車のそばで行商人らしい男とその連れが、腰を抜かして座り込んでいる。
その前に、黒い獣がいた。
犬とも狼ともつかない、影のような四つ足。口の裂けた顔に、赤い目が三つある。
「……眷属」
隣で、シルフィが息を呑んだ。
「化身の眷属です」
その言葉とほぼ同時に、エリシアが剣を抜いた。
「下がってろ!」
俺も剣を抜いて前へ出た。護衛の務めは、まず対象を――エリシアを守ることだ。そう思った次の瞬間だった。
風が俺を追い越した。
エリシアだった。
いつ動いたのか見えなかった。気づいたときにはもう行商人の前に立ち、獣と震える男たちのあいだに細い体を割り込ませている。
獣が跳んだ。エリシアは避けず、後ろの行商人をかばったままその一撃を腕で受けた。鈍い音がした。それでも退がらず、片手を獣の首へ伸ばす。
何をどうしたのかも分からないうちに、黒い獣は地に崩れ、影のように薄れて消えていた。
あとには、静けさだけが残った。
*
「た、助かった……ありがとうございます、ありがとうございます!」
行商人が、地面に額をつけそうな勢いで頭を下げた。エリシアはそれを見下ろし、少しのあいだ黙っていた。
「もう、大丈夫」
それだけ言って背を向ける。礼を待つでも、名乗るでもない。道端の石でもどけたような顔で、その場を離れようとした。
俺はその背中を見て、ようやく我に返った。
守るべき相手を、守り損ねた。
いや――そもそも、この人は守られる側なのか?
「エリシア」
思わず呼び止めた。さっき獣の一撃を受けた腕は、上着の袖が裂けて血が滲んでいる。
「怪我してるだろ」
エリシアは自分の腕をちらりと見た。
「これくらいなら、動ける」
そう言って、また歩き出そうとする。
俺は言葉が出なかった。見ず知らずの行商人のためには真っ先に飛び出して、腕まで差し出した。それなのに、自分の傷にはやっぱり頓着しない。
*
「エリシア、腕!」
シルフィが駆け寄ってきた。
「大丈夫?」
「これくらいなら、平気」
「ほんと?」
「うん」
シルフィは傷を覗き込んだが、それ以上は言わなかった。代わりに俺を振り返り、得意げに胸を張る。
「エリシア、すごいでしょ! 言ったじゃないですか。エリシアがいれば大丈夫だって!」
「……ああ」
曖昧に頷いた。強いのは間違いない。話に聞いた以上だ。けれど、歩き出したエリシアの背中を見ながら、俺はもう一度、裂けた袖に目をやった。
「待て。先に手当てする」
「放っておけば、治る」
「治るかどうかは、聞いてない」
エリシアが振り返った。少しだけ、不思議そうな顔をしていた。




