第2話 道中の違和感
旅は、三日目に入っていた。
化身の現れたという土地までは、まだ遠い。街道を外れ、林を抜け、川沿いをひたすら北へ進む。俺は馬を引きながら、前を行く二人の背中を見ていた。
シルフィはよく喋る。
「ガルフォードさんって、公爵家のご子息なんですよね? じゃあ、お城に住んでるんですか?」
「……次男だから、そう大層なものじゃない」
「でも、お城ですよね!?」
「……まあ、城ではあるが」
「わー、いいなあ!」
こんな調子で、シルフィの口はずっと動いている。おかげで道中が静かすぎずに済んでいた。
問題は、もう一人のほうだ。
エリシアはほとんど喋らない。俺の言葉にも、シルフィのはしゃぎにもろくに反応せず、前を向いて一定の歩幅で歩いている。疲れた様子も、飽きた様子もない。
何かに興味を持っているようには見えなかった。
昼過ぎ、林を抜けるころ、エリシアの手の甲に細い傷ができていた。枝にでも引っかけたのだろう。血が一筋、指のほうへ流れている。
「エリシア、手から血が」
俺が言うと、エリシアは自分の手を見た。
「ああ」
それだけ言って、気にする様子もなく歩き出した。
しばらくして、もう一度その手を見る。傷はなくなっていた。血の痕さえない。
見間違いだろうか。
だが、さっきは確かに血が流れていた。
*
その日の夜、焚き火を囲んでいると、シルフィが干し肉とパンを配った。
「はい、ガルフォードさんの。……で、エリシアの」
俺は受け取って、かじりついた。一日中歩けば腹は減る。
エリシアもパンを手に取り、端を少しちぎって口に入れた。それから干し肉を一切れ。何度か噛んで飲み込むと、残りを皿に戻した。
「エリシア、もう食べないの?」
「食べた」
「それだけ?」
「うん」
シルフィがエリシアの皿を覗き込んだ。
「こんなの、食べたうちに入らないよ」
「そう?」
本当に分かっていないらしい。
「そうだよ! もっと食べないと」
「でも、もういい」
エリシアはそう言って、皿を脇へ置いた。
腹がいっぱいになったようにも、気分が悪いようにも見えなかった。ただ、もう食べる必要がないとでもいうようだった。
俺はしばらくその横顔を見ていたが、何も言わず、自分の干し肉を噛んだ。
*
三日も一緒にいれば、気になってくる。
食べない。疲れない。喋らない。歳も分からない。シルフィだけが、妙に世話を焼いている。
「なあ。エリシアって――」
言いかけて、出発前に言われたことを思い出した。
――余計な詮索はするな。
口をつぐんだ俺に、シルフィは気を悪くした様子もなく、慣れた手つきで人差し指を立てた。
「それは、内緒でーす」
「……まだ何も言ってないだろ」
「みんな、同じこと聞くんですよ」
みんな、と言った。
これまでにも護衛がいたのだろう。そのたびにシルフィは、同じようにかわしてきたらしい。
「どこの出身か、も?」
「内緒です」
「じゃあ――家族は」
「……あっ」
シルフィの調子が、そこで初めて崩れた。言ってはいけないことを言いかけたような顔を見て、俺はまたあの命令を思い出した。向こうから話さないことは、聞かなくていい。
「……いや。悪かった。忘れてくれ」
「はい!」
シルフィはほっとしたように笑い、俺もそれ以上は聞かなかった。
焚き火の向こうで、エリシアはこちらを見てもいなかった。
*
夜中、ふと目を覚ました。火はもう小さくなり、シルフィは丸まって眠っている。
エリシアだけが、まだ起きていた。剣を研ぐでもなく、空を見上げるでもなく、火のそばに座ったままじっとしている。何を考えているのか、その横顔からは読めなかった。
強いとは聞いていたし、実際そうなのかもしれない。だが、俺が気になり始めていたのは、そこじゃなかった。
この人は、何かが欠けている。
それが何なのかは、まだ言葉にならなかった。




