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第32話 弟の試合、見抜かれる

 朝食の席で、ルーカスの手がさっきから止まっている。


「今日、ジェラルドと当たるんだよなあ」


 誰に言うでもなく、皿に向かってこぼす。


「この前言っていた、強い子?」


 エリシアが聞く。


「うん。騎士科で一番強い」


「じゃあ、ルーカスは負けるの?」


「試合する前から決めないでよ」


 ルーカスが少しむっとして顔を上げる。


「エリシア、本当に来てくれるんだよね?」


「行くって言ったでしょう」


「よかった」


 それだけ言って、ようやく手が動き出す。


「父上も行くと言っている」


 兄が付け加えた。


「私も一緒に行きますよ」


 母がそう続けたところで、俺は席を立った。


「俺は、そろそろ行ってくる」


 エリシアがこちらを見た。


「ガルフォードは来ないの?」


「今日は無理だ。王城で報告がある」


「……そうなんだ」


「帰ったら、どうだったか聞かせてくれ」


「うん。いってらっしゃい」


「瓶を忘れるなよ」


「分かってる」


「少しでも妙だと思ったら、無理せず休め」


「それも分かってる」


 補給は、起きてすぐに済ませてある。顔色も悪くない。


 それでも出がけに、もう一度振り返った。ルーカスがエリシアに何か話しかけ、笑われていた。


*


 ガルフォードを見送って部屋へ戻ると、アデリナが服を何着か用意して待っていた。


「出かけるのだから、少しは支度をしましょう」


 選ばれたのは、胸の下で紐を結び、そこから布がゆったりと落ちる外出着だった。


「苦しくない?」


「大丈夫」


「本当に?」


「うん」


「では、ここも締めません。今日は可愛らしくするだけです」


 椅子に座らされ、髪を梳かれた。侍女が毛先を整え、耳のうしろに小さな飾りを留める。何をされているのかよく分からないまま、じっとしていた。


「はい、終わりました」


 鏡を見る。


 旅の格好でも、いつもの部屋着でもない。髪が肩から胸へ流れ、耳元で飾りが小さく光っている。


「……こういうの、いる?」


「いります」


 アデリナは満足そうに、私の肩を軽く叩いた。


*


 王立学校の試合場は、思っていたより人が多かった。生徒の家族らしい人たちが並び、身なりのいい客もいる。


 階段を降りていくと、周りの話し声が少しずつ低くなった。


「……あの人、誰?」


「すごく綺麗……」


 声が後ろへ流れていく。私は空いている席へ向かった。


「あ! エリシア!」


 試合場の端で、ルーカスが跳ねながら手を振っている。周りの生徒が振り返るのにも気づいていない。私は少し遅れて、手を上げた。


 試合はもう始まっていた。木剣が鳴り、審判が声を上げ、勝ったほうが礼をして下がっていく。


 出番を待つ生徒の列に、一人だけ静かに立っている少年がいた。私はアデリナのほうを向いた。


「あの子がジェラルド?」


「ええ。ジェラルド・ルーヴェル。ルーヴェル公爵家のご子息で、ルーカスと同い年ですよ」


「父親とは城で何度か顔を合わせる」


 ヴィクトルが横から言った。


「うちと同じで、代々騎士を出している家だ」


 私は試合場へ目を戻した。背は高いほうではない。立っているだけなのに、重心がぶれなかった。


 しばらくして、ルーカスの順番が近づいた。


「勝てとは言わん。考えて戦え」


 試合場へ向かうルーカスに、ヴィクトルが声をかけた。


「分かってるよ」


「お前は分かったと言った直後が、一番危ない」


 ヴァンデルが言うと、ルーカスが振り返った。


「父上まで!」


「焦って突っ込むな。それだけだ」


 その背中を見送りながら、アデリナが息をついた。


「素直ないい子なのですけれどね。三男だから、少しのびのび育てすぎたのかしら」


「……そうなの?」


「ちょっとだけ、どんくさいのよ」


「ちょっとではない」


「聞こえてるからね!?」


 ルーカスはそう言いながら、順番待ちの列へ入っていった。


 ジェラルドの試合が始まる。相手をよく見て、来たところだけを取り、危なげなく勝った。周りから声が上がる。


 私は、ほかの生徒も見ていた。


 踏み込みの浅い子。力任せに振る子。負けたあと、自分の手を見ている子。


「あなたから見たら、みんなひよっこでしょう」


 ヴィクトルが聞いた。


「みんな、まっすぐな剣だね」


「まっすぐ?」


「うん。一生懸命で、まっすぐ」


 ヴィクトルが何か言いかけてやめるのを横目に、私はもう一度ジェラルドを見た。


「……あの子、強いね」


「ああ。騎士科では頭一つ抜けている」


「負けたこと、あるの?」


「ほとんどないはずだ」


「そうなんだ」


 下がっていくジェラルドを目で追いながら、さっきの試合をもう一度なぞる。踏み込みの二歩目と、受けたあとの右足。


「ルーカスは?」


「あれは、まだこれからだな」


 私は何も言わなかった。ルーカスの剣は速くないし、判断も一拍遅れる。けれど、筋は悪くなかった。


 やがてルーカスの組が呼ばれた。列を出ようとしたところで、手招きする。


「ルーカス。ちょっと来て」


 素直に寄ってきた。


「なに?」


 声を落とすと、ルーカスも身を屈めた。


「最初の二歩だけ、いつもと変えて」


「こう?」


 ルーカスが足を動かす。


「違う。もう少しこっち」


「こう?」


「うん、それでいい。最初は押されても、焦らないで。ジェラルドが前に出てくるまで待って。二歩目が出たら、半歩だけこっちへずれて」


「それから?」


「打って」


 ルーカスは自分の足元を見ながら、何度か同じ動きを確かめた。


「この作戦、ルーカスならできると思う。やってみて」


「……うん」


「でも、これ、一回しか使えないよ」


「一回?」


「あの子、頭がいいから。一度見たら、次はたぶん通じない」


 ルーカスは神妙な顔になって、試合場へ出ていった。


 向こうで待っていたジェラルドが、ルーカスを見ている。その視線が一度だけ、こちらへ動いた。


 試合が始まる。


 力の差は、すぐに出た。ルーカスは押されて下がり、受けるので精一杯になる。ジェラルドの木剣が二度、肩の近くをかすめる。


 それでも、来た。


 ジェラルドが踏み込む。けれど、いつもならルーカスがいるはずのところにいない。二歩目が少し深く入ったところで、ルーカスが半歩横へずれて剣を入れる。


 受けようとしたジェラルドの右足が追いつかず、身体が後ろへ崩れた。


 どんっ、と音がして、ジェラルドが尻もちをつく。


 一瞬、試合場が静まり返った。


「……ジェラルドが?」


「うそ」


「勝者、ルーカス!」


 わっと声が上がった。


 ルーカスはしばらく、自分の木剣を見ていた。


「……勝った?」


 観客席を振り返る。


「勝った!」


 その場で一度跳ねてから、審判に促されて礼をした。


 その少し向こうで、ジェラルドは立ち上がりかけたままルーカスを見ていた。それから、ルーカスが振り返った先を追うように観客席へ目を向ける。


 その視線が、私のところで止まった。


「ふふっ」


 笑ってしまった。ジェラルドの眉が、ぴくりと動いた。


 ルーカスが観客席へ戻ってきた。


「父上。……俺、勝った」


「ああ、見ていた」


「ジェラルドに」


「見ていたと言っている」


 ルーカスが、堪えきれないように笑った。


「すごくない?」


「……よくやった」


 ルーカスの顔が、ぱっと明るくなる。


「ただし、次は同じ手は通じんぞ」


「エリシアにも同じこと言われた」


 アデリナが笑い、ヴァンデルの口元も少し緩んだ。


「あれを教えたのは、あなたか」


 ヴィクトルが私を見た。


「少し話しただけ」


「少しで、騎士科の一番を転がしたのか」


 私は試合場のほうを見ていた。


「……最初から狙っていた?」


「うん」


「ルーカスを勝たせたかったのか」


「それもあるけど……」


 ジェラルドが立ち上がって、木剣を拾っている。


「なんか、一回負けさせてみたくなったの」


「……なぜ?」


「なんでだろう?」


 少し考えた。


「でも、ちょっと楽しかった」


 ヴィクトルが笑った。


「あなた、意外と意地が悪いな」


「そう?」


 ひととおり父に報告し終えると、ルーカスは今度はこちらへ来た。


「エリシア。本当に言った通りになったよ!」


「うん。見てた」


 まだ興奮が冷めないらしい。さっきの動きを確かめるように、自分の足元を何度も見ている。


「俺、自分じゃ全然分からなかった」


「でしょうね」


「また教えてくれる?」


「次からは、自分で考えてみたら?」


「え?」


「飛び抜けて強くなくても、戦い方でどうにでもなるよ」


 ルーカスは少し黙った。


「……できるかな」


「考えないと、できるようにならないでしょう」


 しばらくして、ルーカスが頷いた。


「うん、やってみる」


「がんばって」


 私は水を一口飲んだ。


「でも、次はたぶんジェラルドにこてんぱんにされるよ」


「えっ」


「もう、さっきのは通じないから」


「そんなあ!」


 ヴィクトルが横で笑った。


*


 試合が全部終わったあと、僕はルーカスを捕まえた。


 着替え場の前で腕を掴むと、こいつは間の抜けた顔でこっちを見た。まだ勝ったのが嬉しくて仕方ないらしい。


「あの女の人に、何か言われただろ」


「え?」


「試合の前だ。話してた」


「見てたの?」


「見れば分かる」


 二歩目の足の置き方が、いつもと違った。あそこだけ、いつものルーカスではなかった。


「あの人、何者だ?」


「兄上の婚約者」


「それだけじゃないだろ」


 ルーカスは口を尖らせた。


「そりゃそうだよ。だってエリシア、不死の星だったんだから――」


「…………」


「…………あ」


 ルーカスの顔から、さっきまでの得意げなものが全部落ちた。


「……今、なんて言った?」


「誰にも言うなよ!」


「お前が言ったんだろ」


「絶対だぞ!」


「だから、お前が――」


「絶対!」


 ルーカスは僕の腕を掴んで二回揺すると、そのまま走っていった。観客席のほうを見ても、もう誰も座っていない。


 不死の星のことなら、子どもの頃から知っている。国が危なくなると現れて、片づけて、いなくなる。そういうものだと思っていた。


 さっき、あの人はあそこからこっちを見て笑った。


 どうして負けたのかだけは、まだ分からない。


*


 屋敷へ戻ると、ルーカスが飛び出してきた。


「兄上、今日のエリシアすごかったよ!」


「試合の話か?」


 外套を脱ぎながら聞く。


「それもだけど、すっごい綺麗だった!」


 手が止まった。


「……何?」


「母上が髪とかいろいろやってさ。なんか、お姫様みたいだった」


 外套を侍従へ渡す。


「みんな見てたよ」


「……みんな?」


「うん。学校の友だちも、あの綺麗な人は誰だって――」


「そうか」


「兄上?」


「……いや」


 そのまま廊下を歩いた。


「あ、それと俺、ジェラルドに勝ったんだけど!」


「聞いてる」


「聞いてるって何!? もっと驚いてよ!」


 食堂の扉の向こうから、エリシアの声がした。子どもたちと何か話しているらしい。


 扉を開けると、耳元の飾りはもう外してあった。髪だけが、いつもより柔らかく肩にかかっている。子どもの一人に呼ばれてエリシアがそちらを向くと、その髪が肩から胸元へ滑り落ちる。


 ルーカスが見たという姿は、どこにも残っていない。それでも少しのあいだ、そのまま見ていた。

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