第30話 名前を伏せた理由
報告を終えて部屋を出ようとしたところで、メルキテウスに呼び止められた。
「ガルフォード。少し付き合え」
王城を出ると、そのまま研究所の奥にある古い資料室へ連れていかれた。
壁一面に棚が並び、色の褪せた書物や巻物が隙間なく収められている。背表紙の文字が読めないほど傷んだものも混じっていた。古い記録も、このどこかにあるのだろう。そう思ったが、口には出さない。
メルキテウスは椅子を一つ引いて腰を下ろし、俺にも座るよう顎で示した。
「エリシアは、どうして不死の星になったんですか」
さっきの場では聞けなかったことだ。
メルキテウスは少し黙ってから、口を開いた。
「三百年前、セレスティアの王家から、一人の娘がこちらへ送られてきた。それがエリシアじゃ」
俺は顔を上げた。
「……王女、ですか」
「ああ」
「いくつだったんですか」
「八つじゃった」
それきり、何も言えなかった。
ルーカスが八つだった頃を思い出そうとした。まだ剣もまともに扱えず、屋敷の中を走り回っていた頃だ。
エリシアは、その歳でここへ来た。
「なぜ、エリシアだったんです」
「セレスティアの神殿に、神託が降りた。『その子を送りなさい』とな」
「その子……名は」
「告げられんかった」
「では、なぜエリシアだと分かったんです」
「……それも、わしには分からん」
「不死の術を施したのは、いつです」
「十八じゃ。それまで十年、ここで育てた」
「戦い始めたのは」
「術が定着してから、ほどなくしてじゃ」
「術そのものは、どうだったんです」
「驚くほど、よく馴染んだ」
「では、それが……エリシアが選ばれた理由だったんですか」
「分からん。わしが知っておるのは、あの子が選ばれて、ここへ連れてこられてからのことだけじゃ」
不死の星という呼び名は残っている。それなのに、エリシアという名前も、王女だったことも伝わっていない。
「エリシアの名前は、なぜ残っていないんですか」
「名を残さないと決めたのは、わしらじゃ」
「わしら、とは」
「わしと、セレスティアの王。それから、当時のアルヴェスタン王じゃ」
俺は、しばらく口を閉じていた。
「……なぜです」
「英雄にしてしまえば、次も同じことをする。また一人を差し出せば世界が救えると、誰かが考える。……だから、名を消した」
「それで、ずっと名前を伏せてきたんですか」
「そうじゃ」
「エリシアが戦っていることも?」
「知っておる者はいた。だが、名は残さんかった」
三百年。
その長さを、うまく想像できなかった。
メルキテウスは杖の先を床につき、口を開く。
「エリシア自身も、故郷のことを知ろうとはせんかった」
「どうしてです」
「一度だけ、言われたことがある。セレスティアの話はしないで、と」
「……理由は」
「聞かんかった」
俺もそれ以上は聞かず、樹海の夜のことを思い出す。
「五十年に一度の星が出る夜、エリシアは力を失いました。……あれも、アストレイアと関係があるんですか」
メルキテウスは少し考える。
「わしがエリシアに施した術は、もともと我らエルフに伝わる力を基にしたものじゃ」
続きを待つ。
「その力を、最初にエルフへ与えたのが――アストレイアじゃ」
「では、五十年に一度、エリシアの力が消えるのは」
「……関わりは、あるのかもしれん。だが、わしにもすべては分からん」
そこから先は、メルキテウスも何も言わない。
「どうして、俺にここまで話すんです」
少し間があった。
「あの子のことを知っておる者が、もう一人くらい、いてもよかろう」
俺は黙って頷いた。
*
その夜、公爵家へ戻った。
エリシアは自分の部屋にいた。入っていくと、顔を上げる。
「おかえり」
「ああ」
その顔を、いつもより少し長く見た。聞いたことは、何も言わなかった。




