第27話 婚約という後ろ盾
「研究所に戻るつもりなのか」
シルフィが帰ったあと、俺はそう切り出した。
「そのつもりだけど」
エリシアは窓際の椅子に座り、外を見たまま答えた。
「……俺の家に来ないか」
エリシアがこちらを振り向く。
「あなたの家に? どうして?」
そう聞かれて、少し言葉に詰まる。自分からあの家を使おうと考えたのは、初めてだった。
順番を選ぶようにして、口を開く。
「王都で暮らすなら、公爵家にいたほうがいい。研究所にも、そこから通える」
「公爵家?」
「……俺の家だ」
「それに……お前は今、身元がはっきりしない。名前も、身分も、宙に浮いたままだ。後ろ盾があったほうがいい」
「後ろ盾」
「公爵家なら、それを用意できる。……俺もいる」
エリシアが俺を見た。
「それは、居候ということ?」
「いや」
少し間を置いた。
「婚約者として、迎えたい」
「……婚約?」
「そうだ」
エリシアは俺を見たまま、何も言わなかった。
「今、答えを出さなくていい」
気づけば、そう言っていた。
「アルヴェスタンへ行ってからでもいい。嫌なら、断ってくれて構わない」
エリシアは窓のほうへ目をやった。しばらくそうしてから、確かめるように言う。
「王都で暮らせて、研究所にも通えて。……立場の問題も、なくなる」
「ああ」
「それなら、悪くない話ね」
返事をしそこねた。
「……そうか」
エリシアは、すぐにはこちらを見なかった。しばらくして、あらためて俺を見る。
「……分かった。お世話になります」
そう言って、エリシアは頭を下げた。
返す言葉が、すぐには出てこない。断られることも、困らせることも、すぐには決められないと言われることも考えていたが、こんなふうにあっさり受け入れられるとは思っていなかった。
「……本当に、いいのか」
「何が?」
「いや……」
エリシアは、不思議そうに俺を見ている。
「悪くない話なんでしょう?」
「……そうだな」
たしかに、自分でそういう話にした。
*
それから、王都へ発つまでに何日かあった。
シルフィは瓶詰めのマナをまとめて置いていき、道中での使い方を俺に教えていった。朝と昼と寝る前の補給も、変わらず続けている。
エリシアは調子のいい日には城の中を歩き、セドリックが来れば一緒に庭へ出る。前より歩けるようにはなったが、まだ無理はきかない。
出発の日が近づくにつれて、セドリックは毎日のように、あと何日かと聞くようになった。そのたびに、エリシアが残りの日を教える。
発つ日は、よく晴れていた。城の前に馬車が回され、荷が積み込まれていく。
エリシアに手を貸して馬車へ乗せようとしていると、セドリックが駆けてきた。息を切らしてエリシアの前まで来ると、そこで足を止める。
「……エリシア」
「どうしたの?」
「……また来る?」
「うん、また来る」
「絶対?」
「ええ。絶対」
セドリックは、しばらくエリシアを見上げていた。何かしたそうに両手を動かしているが、近づこうとはしない。
「セドリック?」
「抱きついても、大丈夫?」
エリシアは少し目を瞬いた。
「大丈夫よ、おいで」
それを聞いて、セドリックは一歩近づき、エリシアの身体に腕を回した。エリシアは一瞬動きを止め、それから、ゆっくりと抱き返す。
「……ぜったい、だからね」
「約束する」
それでも、セドリックはなかなか離れなかった。エリシアも急かさず、そのままでいる。やがてセドリックのほうから腕をほどくと、エリシアは少し乱れたその髪を、手で直してやった。
少し離れたところで、アルベリクがそれを見ている。
「世話になった」
俺が言うと、アルベリクは軽く手を上げた。
「こちらこそ、退屈しなかった」
それから、エリシアに目を移す。
「達者でな。……次は、自分の足で来られるといい」
「そうする」
エリシアを馬車に乗せ、俺もあとに続いた。扉が閉まり、馬車が動き出す。
窓の外では、セドリックが手を振っていた。馬車が進んでも、まだ振り続けている。エリシアはそれを見て、少し遅れて手を上げる。
その後ろに立つアルベリクは、馬車が道を曲がるまで、その場を動かなかった。




