第24話 帰還
裂け目周辺の調査は、ひと区切りついた。
あの日を境に、新しい眷属は現れていない。だが裂け目そのものは相変わらずそこにあり、塞ぐ手立ても見つからないまま、ひと月近くが過ぎていた。手の打ちようがない。
引き上げの支度にかかった頃、野営地に伝令が着いた。ダームベルグから俺たちを追ってきたらしく、調査で場所を移していたせいで、何度か行き違いになったという。
シルフィが書状を受け取って目を走らせ、俺を見た。
「……ガルフォードさん」
「どうした?」
「エリシアが、目を覚ましたそうです」
手にしていた地図を、取り落としそうになった。
「……いつだ」
「二週間ほど前、と」
身体のほうが先に動いていた。荷の半分を野営地に置いたまま、馬の腹を蹴っていた。
シルフィは調査の記録を持って一度王都へ戻り、メルキテウスに報告してから追いつく、と言っていた気がする。その横には、当然のようにスレンがいた。自分が何と答えたのかは、覚えていない。
*
ダームベルグへ着いたときには、もう日が傾いていた。
馬を厩番に押しつけて、城門をくぐる。何日も馬を飛ばし続けた足は自分のものとは思えなかったが、止まる気にはならなかった。廊下を走り抜けると、階段の下にアルベリクがいた。
「二階です」
それだけ言って、アルベリクは道を空けた。
扉を開けると、エリシアがいた。
窓際の椅子に座り、膝掛けをかけて、窓の外を見ている。扉の音に振り向いたその目が、まっすぐ俺を見た。
「……ガルフォード」
名を呼ばれた。
椅子の前まで一気に距離を詰め、身をかがめて、そのままエリシアを抱きしめる。膝掛けがずれて、床に落ちた。
薄い肩だった。腕の中で一回り小さくなったように感じたが、それでも息をして、体温があった。
「……ガルフォード?」
もう一度、名を呼ばれた。答えようとしたが、喉の奥がうまく動かず、声が出てこない。視界がにじんで、肩口に顔を伏せた。
答えの代わりに、腕に力がこもる。エリシアは何が起きているのか分からない様子だったが、そのまま、じっとしていてくれた。
俺は、腕をほどけなかった。
やがてエリシアが、俺の腕をそっと押した。少し身を引くと、目の下に薄い影の残る顔が、こちらを見上げている。目を開けたエリシアの顔を見るのは、半年ぶりだった。
「……立てるのか」
「少しなら」
エリシアは肘掛けに手をついて、ゆっくり立ち上がった。二歩、三歩と進んだところで身体がふらつき、とっさに腕を伸ばして腰を支える。
「エリシア!」
「ちょっと、ふらついただけ」
そう言うが、支えた身体は思っていたよりずっと軽い。
「もう座れ」
そのまま、椅子へ戻した。
*
翌朝、エリシアの部屋へ行くと、セドリックが先に来ていた。
この半年、城で顔は合わせていたが、口数の少ない子どもだという印象しかない。それが今は、エリシアの寝台のそばに当たり前のような顔で座り、話しかけている。
「エリシア、今日は庭まで行けそう?」
「ええ、たぶん」
「じゃあ、ぼくが連れていってあげるね」
セドリックが手を差し出すと、エリシアは何のためらいもなく取った。
二人は階段を、一段ずつ降りていった。セドリックはそのたびに足を止め、エリシアが降りるのを待つ。俺は少し後ろからついていった。
庭に出ると、エリシアは低い生け垣のそばで足を止めた。朝の光が花壇に落ちている。セドリックが何かを指さして話し、エリシアがうなずく。
二人のあいだには、俺の知らない時間があった。
料理長のところへ行ってくると言ってセドリックが駆けていったあと、俺はエリシアの隣に立った。
「……あいつ、随分懐いてるんだな」
「セドリック?」
「ああ」
「優しい子よ。毎日来てくれるの」
「……そうか」
セドリックが駆けていったほうを見た。
*
それから数日が過ぎた。
その日の午後、廊下の向こうから走ってくる足音がして、勢いよく扉が開いた。
「エリシア!」
シルフィだった。王都からまっすぐ来たらしい。
「シルフィ」
振り向いたエリシアを見た途端、シルフィの顔がぐしゃりと崩れた。
「……よかった……っ」
駆け寄ってエリシアにしがみつき、肩に顔を埋めて泣き出す。
「だって……半年……っ」
エリシアはしがみつかれたまま、困ったようにその頭を見下ろしていた。
少し遅れて、スレンが入ってきた。肩で息をしている。
「……お前、足速すぎんだろ」
シルフィにそう言ってから、エリシアを見る。
「……起きたんだな」
「うん」
「そりゃよかった」
泣きもせず、いつもの調子だった。
「シルフィ、泣きすぎ」
「だ……誰のせいだと思ってるの……!」
エリシアの肩に顔を埋めたまま、シルフィが言い返す。
「そいつ、ここまでずっと落ち着かなかったからな」
「スレンは黙ってて!」
涙声で怒鳴られて、スレンが肩をすくめた。
ひとしきり泣いて、シルフィがようやく顔を上げた。目も鼻も赤い。袖で乱暴に顔を拭うと、一度大きく息を吐いた。
「……ごめん。ちゃんと話さなきゃ」
まだ少し鼻声のまま、エリシアを見る。
「師匠から、エリシアの身体のことで話があるの」




