↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/55

第21話 目覚め、幼い手当て

 目が覚めた。


 天井がある。木の梁が渡され、その向こうに白い漆喰が続いている。見覚えはない。どこかで見た気もしたが、思い出そうとはしなかった。


 しばらく、それをながめていた。何かに呼ばれて目を開けたわけではない。声も、光も、痛みもない。目が開いて、天井がある。


 身体を起こそうとしたが、腕が思うように上がらない。指は動くし、手首も回る。けれど腕全体を持ち上げようとすると、途中で重くなって止まってしまう。


 重い。自分の腕がこんなに重いものだとは、知らなかった。


 部屋の隅で、小さな音がした。目だけを動かすと、椅子に子どもが座っている。膝の上に本を開いたその子は、私と目が合うと、本を持ったまま動かなくなった。


「……エリシア?」


 呼ばれたのが自分の名前だと分かるまでに、少し時間がかかった。


 子どもはそのまま私を見つめていたが、急に本を取り落とすようにして立ち上がった。


「……起きてる? 起きたの!?」


 返事をしようとしたが、喉がうまく動かず、声にならなかった。


「お医者さま呼んでくる!」


 子どもは部屋を飛び出していった。「エリシアが起きた!」と叫ぶ声が廊下の向こうへ遠ざかり、やがて足音が増えて、また散っていった。


 私は、天井を見ていた。


*


 医師が来て脈をとり、瞼を持ち上げ、短い言葉をいくつか交わして帰っていった。何を言われたのかは、あまり頭に入らなかった。身体を起こすのはまだ無理だと言われ、背中に枕をいくつも入れて、半分だけ身を起こした格好にしてもらった。


 医師と入れ替わりに、大柄な男が入ってきた。急いで来たらしく、上着の襟が少し乱れている。その人は私の顔を見て一度足を止め、それからゆっくり息を吐いた。


「……お目覚めになったのですね」


 どこかで聞いた声だった。


「……ここは?」


「ダームベルグの城です」


 ダームベルグ。その一言で、目の前の顔と名前がつながった。アルベリク。この国の王だ。前に訪れたときより、少しだけ老けたように見えた。


 アルベリクは寝台のそばの椅子に腰を下ろした。さっきまで子どもが座っていた椅子だ。


「化身は、消えました。あの日から、二度と現れていません」


「……そう」


「ガルフォードたちは、今、裂け目の調査に出ています。じきに戻るでしょう」


 ガルフォード。名前を聞くと、最後に見た顔が浮かんだ。どこで別れたのかは、うまく思い出せない。


 扉のところで小さな足音がして、さっきの子どもが戻ってきた。私が起きているのを確かめると、ほっとしたように部屋へ入ってくる。


「それから、こちらは息子のセドリックです」


「セドリックです」


 子どもは、大人びた仕草で頭を下げた。


「……あなたの?」


「はい。九歳になります」


 セドリックはもう一つ椅子を引き寄せ、当たり前のように寝台のそばに座った。


「明日からも、ぼくが来るからね」


「……どうして?」


「ガルフォードがいないから」


「……?」


「ぼくが見てないと、だめでしょ」


「セドリック。誰も頼んでいませんよ」


 アルベリクが横から言ったが、セドリックは聞いていなかった。少し身を乗り出して、私の顔を覗き込んでくる。


「ねえ、エリシア」


「何?」


「ぼく、妖精さんかと思ってた」


「……私を?」


「うん。ずっと寝てるし、全然変わらないし」


 そう言って、セドリックは少しばつが悪そうにした。


*


 次にセドリックが来たときは、器を両手で捧げるように持っていた。


「これ、体にいいんだって。料理長に作ってもらったの」


 本で調べて、薬草を入れてもらったのだという。


 スプーンを取ろうとしたが、また腕が上がらず、器に届く前に下りてしまう。それを見たセドリックが、先にスプーンを取った。


「ぼくがやるよ」


 ひと掬いし、息を吹きかけて冷ましてから、口元へ運んでくる。


 私は迷ってから口を開けた。温かいものが、喉を通っていった。


「おいしい?」


 セドリックが、覗き込むように聞いた。


「……ごめんね。味、分からないの」


「そうなの?」


「うん。でも、ありがとう」


 数口で、もう入らなくなった。身体が受けつけないというより、それ以上入る場所がないような感じだった。セドリックのスプーンが宙で止まると、しょんぼりしたその顔を見て、控えていた侍女がそっと口を挟んだ。


「エリシア様は、まだお目覚めになったばかりですから。たくさんは召し上がれないんですよ」


「そうなの?」


「少しずつです。今日より明日、明日より明後日、少しずつ召し上がれるようになります」


 セドリックは、スプーンを器に戻した。


「……じゃあ、明日も持ってくる」


「うん」


「少しずつ、だからね」


 私は、うなずいた。


*


 それから何日か、眠っては覚めるのを繰り返した。目を開けるたびに、窓の明るさが違っていた。


 何度目かに目を開けたとき、寝台の脇の椅子に老人が座っていた。


「おはよう、エリシア」


 いつもの声だった。私が名前を呼ぶまで、老人は何も言わずに待っていた。


「……メルキテウス」


「うむ」


 メルキテウスは私の額に手を当てた。指先から、淡いものが流れ込んでくるのが分かる。しばらくして、手を離した。


「力が、戻らないの?」


「今は、そう見える」


「今は?」


「おぬしの中で、マナが巡っておらん。入れても留まらず、外へ流れていく」


 言われても、よく分からなかった。身体の中のことは、自分では見えない。


「原因は、まだ分からん」


 深刻ぶる様子もなく、私も特に何も思わなかった。


 メルキテウスは数日城に留まり、毎朝同じように私の額に手を当てた。変わりは、なかった。


「しばらく、ここで世話になるといい」


 王都へ戻る前、そう言われた。


「あちらでも、調べる」


「うん」


「……焦らんでいい」


 めずらしく、そんなことを言った。


*


 そのうち、枕を積まなくても、少しのあいだなら身を起こしていられるようになった。


 窓の外は庭だった。低い生け垣と花壇の向こうに、芝生が広がっている。誰かが水をやったのか、ところどころ土の色が濃い。日が当たって、暖かそうだった。


 私は、それをながめていた。セドリックが本から顔を上げて、私の視線をたどった。


「エリシア、お庭に行きたいの?」


「……行きたい、かも」


 窓はそう高くないし、下は芝生だ。


「ここから飛び降りたら、すぐなのにね」


 セドリックが、椅子を鳴らして立ち上がった。


「だ、だめ!」


「……どうして?」


「エリシア、妖精さんじゃないんだから! 二階から飛び降りたら、怪我するよ!」


「……そうなの?」


「そうだよ!」


 セドリックは窓と私のあいだに立ち、まだ怒った顔をしている。


 その肩越しに、庭が見えた。日の当たった芝生も、土の色が濃くなった花壇も、手が届きそうなほど近い。


 けれど、今日は行けなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。