第17話 決戦の地へ
樹海を出て討伐隊と合流し、四日かけて北西の山系まで来た。
山に入ると、道は消えた。旧坑道の入口は崩れた岩の裏にあり、案内がなければ一生見つけられない場所だった。その手前の窪地に、天幕が張られた。
討伐隊は三十人ほどいた。騎士も、国軍も、ギルドから来た者もいる。荷を下ろし、火を焚き、水を汲む。そうした作業が、やけに手際よく進んだ。
メルキテウスは天幕の一つに入り、地図と道具を並べ始めた。杖を地に立て、その周りに何か書き込んでいる。
「なんだ、それは」
「戻ってくる者のためじゃ」
老人は顔も上げなかった。
「傷を負って出てきた者を、ここで受ける。それだけのことじゃよ」
布と水と、寝かせる場所が用意されていく。
五年前、この準備は誰もしなかった。俺たちは三人で谷へ入って、二人で帰ってきた。
その夜、エリシアが全員を集めた。
「ここから先は、今までより眷属が強くなる」
火のそばに立って、いつもの調子で言った。
「生きて帰れるとは言えない」
誰も口を挟まなかった。
「残る人は、ここで待ってて」
先へ進むと決めたのは、結局十人ほどだった。ここに残る者を、誰も責めなかった。エリシアが「分かった」とだけ言って、話は終わった。
出発の朝、エリシアはメルキテウスのところへ行った。
「メルキテウス、行ってくる」
「……ああ」
老人はそれだけ言って、地図に目を戻した。引き止めもしなければ、帰ってこいとも言わない。
樹海の大樹の下で、何も言わずにエリシアを抱いた大きな腕を、俺は思い出していた。
*
坑道の中は、思ったより広かった。
人が掘った跡が途中まで残っていて、そこから先は自然に崩れた洞になる。空気が重い。シルフィが掲げる灯りは、数歩先までしか届かない。
最初の群れが出たのは、二刻ほど進んだあたりだった。
一体目を斬った瞬間に分かる。今までのものとは違う。
硬い。速い。斬っても止まらない。
スレンが横から一体を潰し、返す手でもう一体を壁へ叩きつけた。
「おい、これは外のとは別物だぞ」
「分かってる」
俺は前へ出た。剣の入りが浅い。踏み込みを深くして、体ごと押し込むように斬る。
後方で声が上がった。国軍の若い男が、腕を裂かれて膝をついていた。庇いに入った別の一人も、脚をやられている。
エリシアが振り返った。群れを片づけるまで、長くはかからなかった。だが終わったとき、二人は立てなくなっていた。
「戻って」
エリシアは、傷を見てすぐに言った。
「まだ戦えます」
若い男が食い下がった。血が滴っているのに、剣を離そうとしない。
「行けるかどうかじゃない。帰れるうちに帰って」
男が黙った。負傷した二人を運ぶため、三人が付き添って戻っていく。十人が、五人になった。誰も文句は言わない。
奥へ進むほど、息が苦しくなる。吸っても、肺まで届かない気がした。途中で、一緒に来ていた最後の一人が足を止める。顔が青い。
「……すみません。ここまでです」
「無理しないで。戻って」
男は一礼して、来た道を戻っていった。
*
どれくらい歩いたのか分からなくなった頃、前を行くエリシアが足を止めた。
通路の先が、開けている。その奥が黒い。シルフィが灯りを向けても、光が途中で吸い込まれて戻ってこない。立っているだけで、腹の底が冷えた。
「ここまででいいよ」
エリシアが振り返る。
「ここからは私がやる。みんなは戻って」
誰も動かない。残っていたのは四人だった。俺と、スレンと、シルフィと、エリシア。
エリシアが、一人ずつ見ていく。
「スレンも」
「俺は行く」
「ここから先は、スレンには関係ないよ」
「最初から関係ねえよ」
スレンは肩をすくめ、それきり何も言わなかった。
エリシアが、シルフィのほうを向く。
「シルフィは──」
「私は帰れないよ」
先に言われて、エリシアが口を閉じる。シルフィは、まっすぐエリシアを見ている。
そして、俺の番になった。
「ガルフォード」
「帰らない」
エリシアが、少し黙る。
「……まだ何も言ってないけど」
「どうせ帰れと言うだろ」
「言うよ」
「帰らない」
エリシアはしばらく俺の顔を見つめる。それから、前を向いた。
「ガルフォード、スレン。今から力を解放する。合図したら、一気に最深部まで行くから。周りの眷属、お願い」
返事が、一拍遅れた。
「なるべく、ここでは力を使いたくない」
「……分かった」
「引き受けた」
スレンが剣の柄を握り直したところで、エリシアが後ろを振り返る。
「シルフィ」
「うん」
「お願い」
「わかったよ、エリシア」
シルフィが深く息を吸って、両手を胸の前に上げた。
*
遠くのキャンプ地で、メルキテウスが顔を上げた。包帯を巻いていた手も止まる。
「先生?」
誰かが声をかけても、老人は答えず、しばらく山の奥を見ていた。
*
空気が鳴った。
シルフィの足元から光が走り、いくつもの円と文字が地面を這って、エリシアを囲んでいく。円は重なりながら回り、少しずつ速くなる。
エリシアは動かない。その体の内側から、やがて光が滲み出した。
薄い金の髪が、風もないのに浮き上がる。足元から立ち上った粒のような光が、体のまわりを絶えず巡っている。
息をするのを忘れた。
神というものを、俺は見たことがない。もし目の前に現れたなら、こんなふうなのかもしれない。隣のスレンも、何も言わなかった。
だが、光の中にいるのはいつものエリシアで、目だけがまっすぐ奥を向いている。
ひどく美しかった。
エリシアが一歩、前へ出る。
「行くよ」
俺が剣を抜くと、スレンも続いた。シルフィは術式を保ったまま、その後ろにつく。
四人で、黒い奥へ入った。




