第13話 地下都市の洗礼
階段を降りきると、灯りが見えた。地の底に、街がある。
崩れた石柱のあいだに小屋が建ち、その上にまた小屋が積まれている。壁という壁に油の灯が点き、黒い岩肌には紫がかった鉱石の筋が走っていた。天井は高く、どこまで続いているのかは暗くて見えない。
何も変わっていなかった。油と、埃と、鉄と、酒。匂いまで、あの頃のままだった。
通りには露店が並び、肉を焼く煙が上がっていた。値切る声が飛び、どこかで誰かが笑っている。子どもが走り回るそばで、店主の腰にも客の腰にも、当たり前のように刃物が下がっていた。
路地の端では、男が一人、壁に押しつけられていた。何か揉めているらしいが、通りを歩く人間は誰も足を止めない。子どもたちも、そのすぐ横を駆け抜けていった。
ここでは、自分の身は自分で守る。守れなければ、それまでだ。
それでも、街だった。
人が住み、飯を食い、寝て、起きる。俺は五年、そうやってここで暮らした。
「おい」
声がかかった。振り返ると、鍛冶場の前に立っていた大男が目を丸くしていた。
「ガルフォードじゃねえか。生きてたのか」
「ああ、久しぶりだな」
「地上へ帰ったって聞いたぞ」
「帰ったんだが、用があってまた来た」
男は俺の肩を叩き、それから隣のエリシアを見て黙った。
通りを進むと、酒場の戸口から女が顔を出した。俺がよく飯を食っていた店だ。
「あら。ずいぶん立派になって」
「相変わらずだな。ずいぶん世話になった」
「今日は飲んでくの?」
「いや、やめておく」
女はうなずいたが、それきり俺のほうは見なかった。
俺の隣を見ていた。
*
しばらく歩いて、気づいた。
見られている。
俺じゃない。エリシアが、だ。
露店の親父が、客の相手をしながら目で追っている。壁際に座っていた老人は顔を上げたまま動かず、すれ違った男まで、通り過ぎてから振り返った。
この街の見方には、決まりがある。
弱い奴は見られない。最初から目にも入らず、見られるのは強い奴だけだ。どこまでやれるのか、敵か味方か、金になるのか——そうやって値踏みされる。
だが、エリシアに集まる視線は、そのどれとも違った。値踏みする前に、ただ見ている。路地の子どもたちも、遊ぶのをやめて見ていた。
エリシアは、気にする様子もなく歩いている。
彼女は、自分がどう見えているのかなど、一度も考えたことがないのかもしれない。
*
旧王宮跡は、街のいちばん奥にある。
近づくにつれ、腰に剣を下げた人間が増えていった。壁際に立っているだけの男もいれば、杯を片手にこちらを窺っている男もいる。誰も道は塞がないが、通る人間から目を離す奴はいなかった。
王宮といっても、地上にあった部分はとうに崩れ落ちている。残っているのは地下にあった二つの広間だけだ。かつての謁見の間と、その隣の宴会場。
今は、どちらも同じように使われている。酒を飲み、賭けをし、物を売り、話をつけ、殴り合う。石の床には染みが、柱には刃の跡があった。
謁見の間の突き当たりに、玉座がある。王国は滅んだのに、それだけは残っていた。
そこに座っているのが、オルブライト。この街の支配者だ。王を名乗ってはいない。名乗る必要がないからだ。
俺たちが入ると、広間のざわめきが少し落ちた。
「ガルフォードだ」
「こないだまでいた奴だろ」
声が飛ぶ。
だが、視線はすぐに俺の横へ流れた。その女は誰だ、と。
若い男が人垣から飛び出した。十七か、十八くらいだろう。見覚えのない顔だから、俺が地上へ出たあとに流れてきたのかもしれない。抜き身の剣を提げて笑っている。
「そいつ、強いのか?」
誰かが止める前に、男は踏み込んだ。上段から振り下ろした剣は速く、腕は悪くなかった。エリシアが半歩ずれると、刃はその脇を抜けて床を叩いた。男はすぐに剣を返したが、二撃目も届かない。
三撃目はなかった。
いつ動いたのか、俺にも見えなかった。気づいたときにはエリシアが男の手首を取り、次の瞬間にはその体が床に転がっていた。
剣は、抜いていない。
「もういい?」
広間からざわめきが消えた。誰もが黙ったままエリシアを見ている。
俺も、動かなかった。
「……ガルフォード」
聞き覚えのある声に振り返ると、柱の陰から男が出てきた。
スレン。
「久しぶりだな」
そう言いながら、スレンは俺を見ていなかった。床に転がった若者からエリシアへ目を移す。相手の力量を測るときの目だ。五年も一緒にいれば、それくらいは分かる。
ただ、いつもなら見極めればすぐに興味をなくす男が、今日はまだエリシアを見ていた。
エリシアは構わず玉座のほうへ歩き出したが、あとを追ううちに、その足がわずかに緩んだのが分かった。見ているのは玉座ではなく、その背後にある古びた黒い扉だった。




