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神様、それはスキル付与ではなく権限昇格です  作者: J-AI


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第49章 リナの子供時代

 深夜の王都大聖堂、地下深層書庫。

 地上での華やかな親善祝宴の喧騒から隔絶されたこの石造りの空間は、何百年分もの埃と、古びた羊皮紙の放つ酸っぱい匂いが重く立ち込めていた。

 壁の燭台の炎が微風に揺れ、石壁に俺たち四人の長く伸びた影を不気味に揺らしている。


 俺とリナ、セラ、そして魔導院から急遽駆けつけたオルドの四人は、教会の『教籍原簿・身元引受録』――ルミナス王国全土の教会に預けられた孤児や身寄りのない聖職者候補たちの出生台帳を囲んでいた。


「……あったぞ。聖暦七五二年、王都大聖堂への入籍記録だ」


 セラがランタンの灯りを手元に引き寄せ、震える指先で分厚い革表紙の頁をめくった。

 インクの掠れた公用記録。  そこに記されていたのは――。


【教籍番号: 752-L-048】

氏名: リナ・クローデル (当時八歳)

出身: 王都近郊南区・クローデル商会 (豪商クローデル家の息女)

家族: 父・エドワード (商会主)、母・エレノア (共に病没)

経緯: 両親の流行病没に伴い、多額の遺産寄進(金貨三千枚)とともに大聖堂へ預け入れ

遺留品: 青水晶嵌装・銀製ロケットペンダント一箇


「クローデル……商会……?」


 リナの唇から、かすれたような声が零れ落ちた。

 その瞳には、生まれて初めて見る呪われた外国の文字を読んでいるかのような、深い混乱と恐怖が渦巻いていた。


「違う……違います……! 私のお父さんは、北境のラーナ要塞の近くにある、貧しい開拓村の農民でした……! 春になっても雪が残る痩せた土を、泥だらけになって耕して……お母さんはいつも、夜遅くまで私の服の綻びを繕ってくれていて……。豪商のお嬢様なんかじゃ、ありません……ッ!」


 リナの言葉は、かつてラーナ要塞の宿舎で、カファ・アプルを飲みながら俺に語ってくれた、あの温かく切ない思い出そのものだった。

 貧しくても、春に咲く白い雪割草を摘んで笑い合い、父が木を削って作ってくれた不揃いな木彫りのスプーンを大切に使い、母が歌う素朴な収穫の歌に包まれて育った――それがリナの人生の根幹だったはずだ。


「リナ、胸元にある形見の品を……見せてくれ」


 俺が声をかけると、リナは震える指先で、神官服の胸元の合わせ目から、肌身離さず持っていたお守りを取り出した。


 ――そこにあったのは。

 リナがこれまでずっと大切に身につけていたはずの、母親が編んでくれた『素朴な麦わらのお守り』ではなかった。

 豪奢な銀の鎖の先に、夜空のように深い青水晶が嵌め込まれた、宮廷職人の手による見事な細工の銀製ロケットペンダントだった。


「……あ……」


 リナの指から力が抜け、ペンダントが冷たい石床にカランと乾いた音を立てて落ちた。

 衝撃で開いたロケットの内側には、優雅な絹のドレスを着た気品ある貴婦人と、仕立ての良い礼服を着た口髭の紳士――見知らぬ裕福な男女の肖像が、細密画で描かれていた。


***


「うっ……! あ、頭が……ッ!」


 その瞬間、リナが両手で激しく頭を抱え、床にうずくまって悲鳴を上げた。

 リナの全身が激しく痙攣し、青白い微弱な光の粒子が、その身体から蒸気のように立ち上る。


「リナさん……ッ!」


 俺は咄嗟にリナを抱き起こした。

 リナの額は異常な熱を帯び、瞳は焦点を失って激しく泳いでいた。


「レン様……っ! 消えていきます……っ! 小麦畑の匂いも……お父さんの大きな手のひらも……木彫りのスプーンも……子守唄の旋律も……全部、真っ白に削り落とされていきます……ッ! 知らない広いお屋敷の廊下が……弾いたこともないピアノの音が……厳しかった家庭教師の声が……頭の中に無理やり流し込まれてきて……痛い、痛いよ……ッ!」


「リナ……! しっかりしろ! お前はリナだ!」


 セラがリナの肩を強く揺さぶる。

 だが、リナの目からは止めどなく涙が溢れ、その口からは、別の誰かの過去の言葉が零れ落ちていた。


「私……クローデル家のリナ……? お父様……お母様……? 違う、私は……私は誰なの……ッ!?」


***


「……因果の(Causal)再配置(Relocation)だ」


 オルドが手元の小型干渉計を冷徹に見つめながら、沈痛な声で告げた。


「なぜ……リナの子供時代の過去まで書き換わるんだ、オルドさん! リナは関係ないはずだろ!」


 俺が叫ぶと、オルドは書庫の石壁にチョークで歴史の因果樹を描き殴った。


「関係なくなどない! 北方との二十三万の戦争が消えたのだぞ、小僧! ……リナの故郷であった北境の開拓村は、もともと王国軍が北方への防衛線を構築するために、三十年前に国策で農民を入植させた軍事開拓集落だったのだ!」


「……っ!」


「戦争が最初から起きない歴史では、北境の開拓村そのものが建設される理由がない。……村が存在しない以上、そこで生まれるはずだったリナの出生因果は行き場を失う。世界はリナという存在をこの世に繋ぎ止めるために、最も辻褄の合う別の出生地――王都近郊の商人家庭へと、過去の歴史を丸ごと付け替えたのだ!」


 オルドの言葉が、俺の頭を金槌で殴りつけたかのように響いた。


「私の……治癒魔法も……」


 リナが自分の震える両の手のひらをじっと見つめた。

 指先から漏れ出る、淡く温かな聖樹の光。


「私は……村が貧しくて、怪我をしたお父さんや病気のお母さんを助けたくて……泣きながら野草を摘んで、必死に聖樹様に祈って治癒の力を覚えたはずでした……。それなのに……今、頭に流れ込んでくる記憶の中の私は……広い屋敷の温室で、家庭教師に褒められるためのお行儀の良いお稽古事として、魔法を習ったことになっていて……。私の祈りは……私が誰かを助けたいと願った心は……全部、偽物だったというのですか……ッ!?」


 リナの叫びが、地下書庫の冷たい石壁に反響した。

 それは、過去の事実だけでなく、その人間が何を信じて生きてきたのかという『魂の尊厳』そのものを粉々に踏みにじる、世界の冷酷な合理主義だった。


「小僧……よく見ろ」


 オルドは、痛みに震えるリナを冷徹に指差した。


「生まれ育った環境が変わり、両親が変わり、幼少期の経験がすべて書き換わった。……人間とは何だ? ただの骨と肉の器か? それとも、過去から積み重ねてきた記憶と因果の積分値か? ……過去の全てを他人のものに挿げ替えられたこの少女は、果たして貴様がラーナ要塞で命を救い、世界線を越えてまで追い求めてきた、あの『リナ』と同一の人間と言えるのかね?」


「……っ、そんな……!」


 息ができなかった。

 喉の奥が焼け付くように熱く、視界が真っ赤に染まっていく。


「相馬蓮……!」


 セラが俺の胸ぐらを掴み上げた。その瞳には、かつて見たことのない怒りと悲痛な涙が滲んでいた。


「私は……お前を責めないと誓った! 仲間を救うためにお前が背負った罪を、共に背負うと決めた! ……だが、これが……これが本当にお前の望んだ結末なのか!? 生き残ったリナの魂を削り取り、中身を別の女に作り変えて……それで『全員を救った』と笑えるのか、蓮ッ!!」


「セラさん……俺は……俺は……っ」


 言葉が出なかった。

 反論の余地など、一欠片もなかった。


 東京での日常を忘れ、母親の声すら失い、自分が何者として生きていたのかすら語れなくなった。

 それでも、「この世界で出会ったリナとセラを守る」ということだけを最後の錨にして、命を削って世界線を渡ってきたはずだった。

 なのに――その結果として俺がやったことは、自分が一番守りたかったリナの生い立ちを殺し、リナの実存を宇宙から消し去ることだったのだ。


「俺は……俺はただ……リナに生きていてほしかっただけなんだ……! 誰も死なない世界で、みんなで笑っていてほしかっただけなのに……ッ!」


 俺は床に膝をつき、両手で顔を覆って慟哭した。


***


 ピピッ、ピピッ、ピピッ――!


 耳を劈くような警告音とともに、俺の網膜UIが真紅のエラーログで埋め尽くされた。


CRITICAL_CONSISTENCY_ALERT:

- CURRENT_BRANCH: BR-031

- CONSISTENCY_DEBT_ACCRUED: +0.2500

- TOTAL_CONSISTENCY_DEBT: 0.8500 / 1.0000

- REALITY_STABILITY_INDEX: 15.00% (CRITICAL_FAILURE_ZONE)

- WARNING: SYSTEM_COLLAPSE_THRESHOLD APPROACHING (DEBT >= 0.9000)

- COHERENCE_BREAKDOWN_IMMINENT: REALITY CANNOT SUSTAIN FURTHER MUTATIONS.


 八十五パーセント。

 世界の整合性負債が、臨界点直前の 0.8500 に達していた。

 現実の安定性指標は、わずか十五パーセント。世界の基盤が、これ以上の因果の嘘を支えきれずに崩壊寸前の悲鳴を上げている。


「……レン様……」


 激痛が少し治まったのか、リナが震える細い指先を伸ばしてきた。

 その冷たくなった指先が、そっと俺のこめかみに触れる。  ――いつもの、温かな鎮静の手当て。

 記憶がどれほど消え去ろうとも、魂の奥底に刻み込まれた愛おしさの残響(情動の残響)だけは、決して消えていなかった。


「リナさん……」


「……不思議ですね」


 リナは涙で濡れた瞳で、弱々しく、だがこの上なく愛おしそうに微笑んだ。


「子供の頃の記憶は……ぐちゃぐちゃになって、お父さんたちの顔も思い出せなくなってしまったのに……。レン様と出会った日のこと……ラーナの宿舎でパンを分けてくださったこと……こめかみを撫でるとレン様がホッとしてくださることだけは……胸の奥が、あったかくて……ちゃんと覚えています……」


「リナさん……っ!」


 俺はリナの小さな身体を、壊れ物を抱くように強く抱きしめた。

 涙が止まらなかった。


「レン様……私、怖いです……。もしこの先……レン様の記憶まで、知らない誰かの思い出に書き換わってしまったら……私、どうしたらいいんでしょうか……ッ」


「絶対にさせない……! 俺が、絶対にリナを取り戻す……!」


 だが――俺たちの足元の石床が、ギチギチと不吉な軋み音を立てて激しく微振動を始めていた。

 地下書庫の天井から、パラパラと白い石粉が降り注ぐ。

 ふと壁の石組みの隙間を見ると、現実の綻びを示す青白い走査線ノイズの光が、ひび割れからチリチリと漏れ出していた。


 八十五パーセントの負債。

 俺が選んだ『戦争を消す』という甘美な嘘の重圧に、この宇宙の整合性が耐えきれず、決定的な破綻(崩壊)の瞬間を迎えようとしていた。

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