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神様、それはスキル付与ではなく権限昇格です  作者: J-AI


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第50章 俺の履歴

【第4部 ARC-IV:事後選択と整合性負債(POSTSELECTION)】

大聖堂の地下深層書庫が、凄まじい地鳴りと共に崩れ落ち始めていた。

 壁に刻まれていた千年前の聖句が、青白い走査線ノイズとなってチリチリと空中に霧散し、歴代司教の石像は解像度を失った粗いキューブの塊へと自壊していく。


「ここを出るぞ! 天井の梁が保たん!」


 セラの叫び声が響く中、俺は錯乱するリナを背負い、オルドと共に崩落する石段を一気に駆け上がった。

 足元の石段が、まるで古いブラウン管テレビの画面のようにチリチリと青白い走査線ノイズを散らし、踏みしめるたびに空間の輪郭がブレて激しく揺らぐ。

 礼拝堂を抜け、大聖堂の巨大な扉を押し開けて王都の広場へと飛び出した瞬間――俺たちの目に飛び込んできたのは、息を呑むような悪夢の光景だった。


 ――王都ルミナリアの夜空が、割れていた。


 穏やかに輝いていたはずの満月と星々が、まるで砕け散った鏡の破片のように角張ったポリゴン状に裂け、その割れ目の奥から、紫紺の無底の虚空が口を開けていた。

 中央市場通りの噴水から噴き上がる水しぶきは、重力を失ったかのように空中で静止し、コマ送りの描画遅延を起こしている。

 通りにいた市民たちも、恐怖に叫び声を上げながら逃げ惑っていたが――その声は途切れ途切れの電子ノイズのように反響し、同じ台詞を何度も狂ったようにループさせていた。


「平和条約バンザイ……平和条約バンザ……ヘいわジョウヤク……へい……」


 建物群の漆喰の壁がパラパラと剥がれ落ち、その下から灰色の冷たいワイヤーフレームが剥き出しになっていく。

 世界そのもののテクスチャが、剥ぎ取られていくのだ。


「な、なんだこれは……!? 空が……街が……世界が壊れていく……!?」


 セラが抜剣したまま、呆然と割れた夜空を見上げた。


「計算飽和……因果のレンダリングエンジンがパンクしたのだ!」


 オルドが杖を突き、激しく明滅する小型干渉計を掲げながら叫んだ。


「貴様が『北方との戦争不発生』という超巨大な境界条件を固定したことで、世界はユリウスを消し、ガウェインの過去を捏造し、リナの生い立ちを丸ごと改変した!

 だが、改変された過去はまた別の無数の因果矛盾を引き起こし、負債が指数関数的に爆発したのだ! もはやこの宇宙の処理(コヒーレンス)能力(容量)では、辻褄を合わせきれん!」


***


 俺たちは崩壊の進む大通りを駆け抜け、王宮の貴賓館へと逃げ込んだ。

 室内の調度品すらも、触れるたびに青白い火花を散らし、実体感を失って半透明に透け始めていた。


「……蓮。お前は……大丈夫なのか……?」


 セラが、肩で激しく息を乱しながら俺の顔を覗き込んだ。


「俺は……」


 俺はスーツの内ポケットから、これまで肌身離さず持ち歩いてきた『黒革の手帳』を取り出した。  世界線を渡るたび、記憶が削られるたびに、自分を繋ぎ止めるために書き殴ってきた記憶台帳。

 そしてその一番奥の隠しポケットには、日本にいた頃、就職活動の際に作成した自分の『職務経歴書』のコピーを小さく折りたたんで挟んであったはずだった。


 大学の名前。

 専攻した情報システム工学。

 新卒で入社した品川のITインフラ企業。

 徹夜でモニターとにらめっこしたサーバー室の冷気。

 通勤電車の吊革の感触。  コンビニの蛍光灯の明かり。

 自分が「相馬蓮」という一人の人間として、東京の街で確かに生きていたという、物理的な証拠。


 ――ガサリ。


 震える指先で、折りたたまれた紙片を開いた。


「……っ!?」


 その瞬間、俺の目の前で、紙片に印刷されていた日本語の活字が、チリチリと青い火花を散らして蠢き始めた。


氏名: 相馬 蓮 (SOMA REN)

生年月日: 1998年…… -> [ERROR: INVALID_TIMELINE_ANCHOR]

学歴: ○○大学 工学部…… -> [MUTATING: LUMINOUS_MAGIC_ACADEMY_DROP]

職歴: クラウドインフラ設計…… -> [RE-DEFINING: KINGDOM_ORPHANAGE_WARD]


「文字が……書き換わっていく……!?」


 俺が悲鳴を上げると、紙片の上の日本語は完全に溶け崩れ、ルミナス王国の公用文字へと再構築されていった。


【ルミナス王国 身元証明書】

氏名: レン・ソウマ

身分: 王都外縁スラム孤児 (魔導院雑役係)

起源: 王国生まれ。異世界属性なし。


「嘘だ……! 俺は……俺は日本のエンジニアだ! 東京の会社で働いていて、異世界から召喚されたんだ!」


 俺は手帳を抱きしめ、必死に自分の過去を口に出して叫んだ。


「母さんが作ってくれた油揚げの味噌汁の匂いも……高校の部活の帰りに友達と食べたコンビニの肉まんの味も……深夜のサーバー室で初めて書いたプログラムが動いたときの感動も……全部、全部本物だったはずだ!!」


 だが――俺の口から出た言葉は、空気に触れた瞬間からノイズを帯び、ルミナリアの言葉へと勝手に翻訳され、消去されていく。

 頭の奥で、恐ろしいほどの静寂と冷たい思考が広がっていく。  


(……あれ? 俺は本当に、日本という国にいたのか……? 俺は最初から、この世界の魔導院で雑巾掛けをしていた孤児だったのではないか……?)


「相馬蓮……!」


 セラが俺の手帳を覗き込み、青ざめた顔で息を呑んだ。


「文字が……見えん。まるで、最初から何も書かれていなかった白紙のように……」


「セラさん……俺の……俺の過去が……死んでいく……ッ!」


***


「小僧! 意識を保て!」


 オルドが手帳を奪い取り、俺の胸ぐらを掴んで怒鳴りつけた。


「それが【自己履歴改変】だ! ……考えれば小学生でもわかる理屈だぞ! 『北方との戦争が最初から起きなかった平和な歴史』において、異世界から勇者を召喚する儀式など、最初から執り行われるはずがないのだ!」


 ――ガツン、と頭を殴られたような衝撃が走った。


「戦争がない世界では、勇者召喚という因果の入口(原因)が存在しない。……入口がないのに、貴様という異物がこの世界に存在し続けることは、因果律にとって最大の致命的エラーだ! 世界は貴様の存在矛盾を解消するために、貴様の起源そのものを『最初からこの世界にいた現地民の孤児』へと書き換え、異世界人としての履歴を丸ごと抹消しようとしているのだ!」


「そんな……。じゃあ、俺が日本で生きてきた人生も……全部……最初からなかったことにされるのか……!?」


「そうだ! それがPOST(事後)SELECTION(選択)という麻薬の正体だ!」


 オルドは窓の外の崩壊していく夜空を指差した。


「神はかつて、世界の破綻を防ぐために『世界線(Branch)剪定( Pruning)』を行い、無用な可能性を都市ごと消去して負債をゼロにリセットしてきた! だが貴様は剪定を拒絶し、事後選択で未来を縛り、メモリリークのように負債を溜め込み続けた! 過去・現在・未来を全て繋ぎ合わせる因果の保存則を舐めるな! お前が支払わなかったエントロピーの請求書が、今、宇宙の破産宣告として届いたのだ!!」


***


 ビビビビビビッ――!!


 網膜UIが、今までにない狂乱の光点となって視界を真っ白に染め上げた。


FATAL_SYSTEM_CRASH_ALERT:

- CURRENT_BRANCH: BR-031

- CONSISTENCY_DEBT: 0.9200 / 1.0000 (OVERFLOW_LIMIT)

- REALITY_INTEGRITY: 0.00% (TOTAL_COHERENCE_COLLAPSE)

- EXECUTING_FORCED_PRUNING: SYSTEM REBOOT CANNOT PRESERVE THIS TIMELINE.

- ALL_LOCAL_ENTITIES_WILL_BE_PURGED.


 九十二パーセント。

 整合性負債が限界を突破し、この世界線 BR-031 そのものが、宇宙のガベージコレクションによって丸ごと強制消去(Purge)されようとしていた。


 王都の大聖堂の鐘楼が、光の粒子となって夜空へと霧散していく。

 割れた夜空の隙間からは、かつてレンが捨ててきた並行世界線の残骸が、オーロラのような多重露光となって渦を巻いて降り注いでいた。


 足元の床がガラスのように抜け落ち、天井が崩れ去っていく。


「レン様……ッ!」


 リナが、崩れ落ちる床の中で俺の腕を必死に抱きしめた。

 その瞳には、自分の生い立ちを奪われながらも、俺を見つめ続ける魂の光が灯っていた。


「レン様がどこの誰になっても……世界が全部消えてしまっても……私は、レン様の手を離しません……ッ! レン様が私を呼んでくれたその声だけは、絶対に嘘じゃないから……!」


「蓮!」


 セラが腰の宝剣を抜き放ち、崩壊する空間の亀裂へ向かって刃を向けた。


「偽りの平和など、もうたくさんだ! お前が命を削って私たちを救ってくれたように、今度は私たちが戦う番だ! 真実の現実へ、私たちの戦場へ連れ戻せ、相馬蓮ッ!!」


「小僧! 事後選択のアンカーを解けば、世界線は貴様が本来いるべき『破滅の特異点(BR-021)』へと猛烈な慣性で引き戻されるぞ!」


 オルドが崩れ落ちる瓦礫を杖の障壁で弾き飛ばしながら叫んだ。


「過去も記憶も、全てが過酷な現実だ! それでも往くか!?」


「ああ……行くに決まってる!」


 俺はリナの手を強く握り返し、セラの肩を引き寄せた。

 そして右腕の聖剣イグニスを鞘から抜き放ち、崩壊する空間の特異点ノードへと切っ先を突き立てた。


 自分の記憶を失うのが怖くて、他人の痛みを消し去って、嘘の平和に逃げ込んだ。

 だが、そんな偽りの世界で生き残っても、そこには俺たちが愛した人間も、魂の絆も、自分自身の存在すら残っていなかったのだ。


「俺は……エンジニアだ! 都合のいい魔法使いなんかじゃない! どんなに泥臭くても、破綻したシステムを直すのが俺の仕事だ!」


 俺は網膜UIの中央、点滅する赤色のシステムコマンドを見据えた。


ABORT_POSTSELECTION_ANCHOR (FORCE_RELEASE_DEBT)

-> CONFIRM_EXECUTION? [Y/N]


「俺たちの……本当の現実を取り戻すぞッ!!」


 俺は全身の魔力をイグニスに注ぎ込み、コマンドを強く叩いた。


 ――ドォォォォォォォォンッッ!!


 世界中の音が消滅し、純白の閃光が、崩壊する偽りの宇宙を丸ごと呑み込んでいった。

世界線:BR-031 → BR-021 | 観測忠実度(Identity Fidelity):0.8300 | 事後選択解除・BR-021帰還(負債清算:0.00)

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