毒針が落ちるまで五週間、付き合ってくれたのはギルマスさんだけ(1)千匹に一匹
「毒針を手に入れた幻術師の女の子が、とんでもなく強くなったらしいよ」
VRサーガの、BARの形をしたワールド。のらねこラウンジのカウンターで、しろねこがそう言った。
毒沼から三日後。ペンギンはいつも遅刻。
あいつはいつも忙しそうだ。ゲーム中毒の僕に合わせられるやつのほうが、むしろ珍しい。毎回、ボス相手に三時間以上も粘らせている。来てくれるだけありがたいと思おう。
「あんたら二人、見てて不憫だったからさ。客に聞いて回ったんだよ」
しろねこは、この店のバーテンダーだ。見た目はガタイのいい男性アバターで、声は男。恐らくボイチェンだ。中身は女性な気もするが、このVRの世界でわざわざ聞くのは野暮というものである。踏み込みすぎは良くない。
この白い衣装に身を包んだバーテンダーは、僕らを、不憫だと言う。それはそうなんだが、面と向かって言われると癪に障る。
「まあ、あいつは不憫だよな。潰れたあんぱんの顔、言葉に出すのをためらう名前で、ジョブは縛りプレイなんて言われて……」
「不憫なのは、ボクの話?」
後ろにいた。
「……いつも遅いな」
ペンギンが、隣の席に転がり込んできた。
「毒針って、なに?」
「幻術師の武器。刺した相手が猛毒の状態になるんだって。あんたと同じジョブの女の子が、それを手に入れて、別人みたいに強くなったって話」
ペンギンは鉄杭を取り出して眺めた。敵に1しかダメージを与えられない最弱の武器。パーティのお荷物、役立たずだと言わせた元凶である。
「それって、ボクでも敵にダメージを与えられるってこと?」
「さあね。ただまあ、レアアイテムだから入手は困難だよ。その女の子も、取り巻きの男たちに貢がせて手に入れたらしいけどね」
「貢がせて……」
ペンギンが弱った声を出した。人をたぶらかして貢がせるのは、絶対にダメだよな。
「まあ、そういう子もいるんだよ。落ちるのは、ハリバチの巣。千匹に一匹とか、そのくらいだって」
「千匹」
毒針という言葉を、僕はこの夜、初めて聞いた。うちみたいな弱小ギルドから見たら、レアアイテム自体がそもそも無縁の存在なわけで、耳にするはずがない。普通ならこの話はこれで終わりだろう。
だが、鉄杭から目を離さないペンギンを眺めているうちに、興味が湧いてきた。幻術師。こいつと同じジョブのやつが強くなった。多少の誇張はあるのだろうが、僕を動かすには、そんな不確かな噂でも十分だった。
「毒針を手に入れたら、このギルドは凄いことになる。お前のために取りに行こう」
言った瞬間、自分でも大きく出たなと思った。
「……ギルマスさん。それ、どのくらい効くか知らないのに言ってるでしょ」
「知らん。wikiに一行もねえ。同じジョブのやつが、それで強くなった。分かってるのは、それだけだ」
「千匹……」
「千匹倒せば、六割は落ちる」
「六割なんだ……」
「六割だ」
千匹という数字は、口に出すと重かった。普通なら諦めるような数。「冗談はやめてよー」とか、「いくわけないでしょ」とか、笑って逃げればいい。だが、こいつはそういうやつじゃない。何度かの戦闘の中で、僕はこいつの粘り強さをよく理解している。
「……いく。明日から毎日ログインするから」
忙しそうにしてるこいつが、毎日だと? まあいい。少し気合いが入りすぎているのが気になるが、とにかく次の目標が決まった。
その夜のうちに、たけのこにも、しめさばにもメッセージした。
「蜂な。いいよ、何回かは付き合う」
たけのこはそう言ってくれた。しめさばは、「暇なときなら」とだけ返してきた。
一日目は四人で入った。
ハリバチの巣は、崖に開いた穴の奥だ。ボスじゃない。強めの雑魚だ。四人なら、一匹に一分もかからない。
一晩で四十匹。ドロップは、ハリバチの羽と、ハリバチの蜜。それだけだった。
「まあ、初日だしな」
たけのこが言った。しめさばは何も言わなかった。
二日目で八十匹。三日目で百二十匹。羽と蜜。
四日目から、しめさばは来なくなった。たけのこが、「あいつ、他で誘われてるみたいでさ」と言った。
しめさばは、八日目の夜に、巣の入り口で待っていた。蜂の巣に向かう格好ではなかった。すぐに察しはついた。
「みな。悪い。別のギルドに誘われたから、そっち行くわ」
「……分かった」
「お前らのことを嫌いになったとかじゃねえ。ただ、蜂を千匹は、俺には無理だ」
「分かってる」
しめさばは、ちょっとだけペンギンに目をやって、それから、何も言わずにポータルの向こうに消えた。
しめさばには、辞めるための理由が要った。蜂を千匹。それなら、誰も責めない。僕が作った理由を、上手く使ってくれた。それでよかった。
ギルドメンバーの一覧が、三行になった。
「ボクのせいかな……」
「違う。千匹って言ったのは俺だ」
ペンギンは、それ以上言わなかった。代わりに、鉄杭を握り直した。
「いこ、ギルマスさん。今日の分」
ここ最近、VRサーガはギルドが増えていた。発売から四ヶ月が経ち、レベル20を超えたプレイヤーが一気に増えたからだ。ギルドに入らないとパーティが組めないため、新しいギルドが毎日のようにできていた。
できたばかりのギルドは、人数と、腕の分かっているメンバーが欲しい。だから、どこかのギルドにいる、レベルの上がったプレイヤーに声をかける。引き抜きだ。うちみたいな、ランクの低い小さいギルドは、いちばん引き抜かれやすい。
たけのこは、週に二回くらい来てくれた。残りの夜は二人だった。
六角形の壁がどこまでも続いて、その壁から、腕くらいの針を持ったハリバチが、際限なく湧いてくる。二人だと、一匹のHPがなかなか減らない。たけのこの剣も、しめさばの火の玉もない。
黒の付箋の暗示は、十秒もせずにかかる。かかってからが長い。目が潰れた一匹を、僕の剣だけで削る。三分。四人なら一分もかからなかった一匹に、三分もかかる。
遅い。遅いけど、減る。
十二日目の夜は、途中で引き返した。湧いてくる数を読み違えて、ペンギンが暗示をかけている最中に二回落とされ、僕のポーションが切れた。巣の入り口で、二人で座り込んだ。
「あーーー、ムカつく。俺だ。俺が集めすぎた」
「欲張ったね。……でも、ボクの位置取りも悪かったし、おあいこだよ」
「お前は落ちていい。俺が受ける」
「じゃあ、ギルマスさんは受ける係で、ボクは数える係ね」
次の夜は最後まで行けた。落ちなかった。
蜂を狩っているうちに、変わってきたことがあった。
「杭、いく!」
「まだだ。俺が集めてからだ」
「ん!」
「……今だ!」
ペンギンが飛ぶ。杭が刺さる。右手が固定されて、体が宙ぶらりんになる。
「杭、入った。……暗示、かかった」
「降りろ。次のやつに書け」
「ん!」
ハリバチの針が持ち上がる。ペンギンには当たらない。当たらないけど、ペンギンの体が振れる。僕は盾を入れる。
「次、落ちるときは、俺の左に転がれ」
「左ね。……右、壁だから?」
「右は壁だ」
「ん」
言葉が短くなっていった。
最初の頃は、「そこじゃない、もっと背中の上」「杭を抜くのはまだ」と、一つずつ言っていた。それが「まだ」と「今」だけになった。
ペンギンは、しがみついている間、敵の体に顔を押しつけている。付箋と、真名と、敵の背中は見えていても、自分の足元と、落ちた先に何があるかは見えていない。だから、落ちる場所は僕が決める。落ちる前に、声で決めるようになった。
一匹三分が二分半になった。一晩三十匹が四十匹になった。
毒針は落ちなかった。
二週間で四百匹。
三週間で六百匹。
六百匹目の夜、巣から出たあと、僕は何も言わずにポータルを開けた。ペンギンも、何も聞かずについてきた。
江ノ島の夏。
出会った夜に、DECK BEATで遊んだワールドだ。あれから一度も来ていなかったのに、ポータルの行き先を決めるとき、指が勝手にここを選んだ。
橋の真ん中まで歩いて、欄干にもたれた。海の向こうで、花火が数発上がって、消えた。
「六百匹だぞ。六百匹で、一本も落ちねえ。……ムカつくなー! はぁぁぁ、ムカつく!」
ペンギンは何も言わなかった。
「千匹に一匹ってのは、たぶん本当だ。もしかしたら、もっと悪いかもしれない。しめさばの言う通りだよ。千匹は、無理なんだよ」
「ギルマスさん、凹んでるー?」
「凹んでるよ! 六百匹だぞ!」
「んふふー。ゲーセンで負けたときのボクみたいな声してるー」
「うるせえ」
ペンギンが、僕の隣で欄干にもたれた。着ぐるみだから、もたれるというより、引っかかっている。
「ね、ギルマスさん」
「なんだよ」
「なんで、こんなに付き合ってくれるの? しめさばさんは抜けちゃったし、たけのこさんも、週に二回しか来ないのに」
「言い出したのは俺だ」
「それだけ?」
「それだけだ」
嘘ではない。言い出したのは僕で、千匹と言ったのも僕だ。
弱音を吐き出してスッキリしたのか、不満や怒りはやる気に変わって、なんとしてもやり遂げたいという気持ちが、ふつふつと湧いてきた。こいつと話していると、なぜかいつもそうなる。
「……やるぞ。千匹って言ったのは俺だ」
「んふふー。ボクは、いつでもお供するよー? 明日も、明後日も」
「当たり前だろ。お前の毒針だ」
「んふふー」
花火がもう一発上がった。
ギルドメンバーの一覧は、まだ三行あった。




